Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

春きたりなば夏とおからじ

2024年03月24日 | つれづれ

仕事を休んで息子といっしょに両親のお墓まいりをしてきたのは既報のとおり。

仕事用の携帯電話を持っていくのを忘れたのでどんなメールや連絡があったのか
分からずにいる。携帯電話を開けるのが怖くて明日の早朝にしようと決めている。

別に犯罪を犯しているのではないので、あとを追われることはないのだが
もう数十年の間、追われ続けているような気がする。

つい先日、何十年も逃れ続けていた爆弾テロ関係者が名乗って亡くなったが
ああいう気持ちが少しわかる気がする。

で、もうそろそろこの気持ちから逃れようとしているわけだが、色々客観的に考えて
みると、自分自身の性格がそうなのだから追いかけられる相手がいようかいまいが
何も考えずに平和な余生・・・なんて難しいのではないかと思っている。

 

いまの環境は至極恵まれたもの。

延長雇用とはいえ、給与は世間一般の金額を超えた金額をもらっている。

家族も、いまのところ特に問題なく元気に暮らしてくれていて、ありがたいことに自分を
疎んでいるふうでもない。

ほしいものを我慢して貯めてきたので、預金・資産もそこそこにあり、この先の暮らしに
そう不安もないので、このままゆっくりしてもよいかとは思う。

ただ、当初の目論見(独身時代の遠い目標)であった閑地で気ままに暮らすことには
少し障壁があり、奥さんからはやんわり反対されている。

行くならば独りになりそうだが、結局はその「気まま」を求めているのだから
それでよいのかもしれない。

とは言え、あまりの閑地では自分が倒れたときに大変な手間がかかりそうだし
法律が改正されて所有物が残ると後処理もいる。

なかなかままならないものだ。

今のところ、熱海・湯河原あたりか、富士・山中湖などがいいと考えているが
一方で、独りで何して暮らすのだ・・と自問すると答えが出てこない。

苦し紛れに「何もしなくてよいではないか」と返答しても鼻で嗤われてしまう。

明石が近ければ、小さいころからよく見ていた「毎日釣り親父」の道もあったはず
だが、こちらではそうもいかないし、明石は少し遠い。

帰省したおりに、親友Y君と会った。

父君が亡くなり、その旨を家主に告げたところ退出を求められて現在住まいを探して
いるという。

独り身で後処理のことはどうするのかと聞いてしまったが、それも大きなお世話だった。

現住所の近隣で探していると言っていたが、確かに年齢的に賃貸に入るのは難しく
中古の居宅を購入する方が早いのも事実なのだ。

 

それぞれ色んなことを考える時期に来ているのだな。

いずれにしても週明け、携帯電話を覗くのが怖いことだけが残っている。

 

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お墓参りからの観光旅行

2024年03月23日 | 子供たち

<後編>

最終日、朝から晴天ながらやはり風は少し冷たい。

幸運なことに町内のGSがニコニコレンタカーを併設していたので
レンタカーを借りて淡路島へ。

自分の希望で、鳴門の渦潮を観に行くことにしていた。この時期は春の大潮なので
観潮するにはとてもよい時期と聞いていた。

明石から明石海峡大橋に行くには、一度神戸市の西区の方を周って垂水JCTを経由しなければ
ならない。

ただ、ここを経由して舞子トンネルをくぐることで、衝撃的な海上橋の光景を観ることが
できるので決して不便な造りだとは思わない。

息子には、トンネルの中でカーナビの画面を追うように言っておいて、トンネルを出ると同時に
顔をあげるように言った。

この景色は何度見ても感動する。

 

そのまま橋を渡り切ったところのハイウェイオアシスで朝ごはん。

さすがに観覧車には乗らなかったが、壮大な景色を眺めながら休憩して土産物も購入しておいた。

瀬戸内海というところは風光明媚なところだ。

ここから鳴門までは高速道路一本、走りながら息子に観潮船の時間と場所を調べてもらったら
ちょうどよい船が福浦港から出ているという。

これに乗らない手はない。

あらためて福浦港にナビをセットして向かうと大潮にドンピシャのタイミングで到着。

日本丸と咸臨丸、どこかで聞いたことがあるような船名だけれど気にせずGo。

既にたくさんの観光客が乗り込んでおり、我々は最後の方。

乗船して間もなく船は鳴門海峡を目指して出港、冷たい風にさらされながら外海へ。

おじさんの観光案内が続いたあと、前方の海上に白い波の線が見えてきた。

鳴門海峡は瀬戸内海と太平洋をつなぐ狭い水路、且つ水底が浅い独特の地形で
満潮干潮の際に海水が行き来することで激しい水流が生まれるのだそうだ。

鳴門の渦潮は春と秋の大潮のあたりが最大になるといわれ、この日はこの便までが
おススメ時間となっていた。

帰港して一度車に戻って昼食を考えていたら、息子さんが近くによい海鮮の店があるという。

よく見たらさっき下船したところ。即決して店に向かったところ、並ぶこともなく
すんなりと入店できた。

海鮮類はあまり好まない息子が自ら海鮮丼で行こうなどと言い出して少し驚いたが
本当に海鮮丼を注文、サイドメニューで頼んだ大あさり焼もペロっとたいらげてしまい
「これうまいっ」と知るまですすっていた。

自分は久しぶりに穴子を食べることにしたが、この穴子丼もボリューム満点、且つ美味。

明石の穴子が比較的細いのに対して太くてやわらかく、モチッとした食感がタレに合っていて
ご飯が進んで仕方がなかった。

昼食を終えたら急いで明石に帰ってレンタカーを返さなければならない。

15時まで借りて3,000円弱は破格、よい足になってくれた。

そして、明石からJRで新大阪に向かい、そのまま帰宅の途についた。

息子は、愛知県にある奥さんの実家に立ち寄るというので名古屋駅でのぞみ号から降りていった。

 

 

突然に親子旅をすることとなって少し戸惑ったが、道中いろいろと高校時代の話なども聞かせて
くれたので、日頃あまりとっていなかったCommunicationがとれてよい旅だった。

次回はまた、家族で伊豆にでもでかけて温泉と海鮮を満喫したい。

さてさて息子も4月からは晴れて大学生、入学式スーツも揃えたし準備は万端。

この旅はお疲れさまでしたが、次の旅を楽しい旅にするように。

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お墓参り+α

2024年03月23日 | 子供たち

母親の命日が3月、父親の命日が9月、いずれも彼岸の前にある。

自分は既に故郷を出て川崎市にいるので、墓参りもせずに不義理を続けている。

今回、休暇の取得日数を満たすために、思い立って彼岸の墓参りに行くこととした。

ただ、墓参りだけでは旅費ももったいないので、ぶらりと姫路城にでも寄ってくるかと
したところ、長男が自分も姫路城に行きたいと言い出したので思わぬ二人旅となった。

成人した息子と二人で旅する機会などあまりないのでありがたい経験になった。

 

自分は先にJALの特典で羽田-伊丹の席を確保していて、息子分を追加。

運よく通路を挟んだ臨席が空いていたのでKeep。

7:30発の便だったのだが、祝日ではあるけれど水曜日なので混雑はないだろうと勝手に
決めて最寄り駅から空港バスで羽田に行くことにした。

だが、バス乗り場に到着すると「全席予約制・本日は満席」となっていて第一関門の
トラブル発生。

慌てて確認したところ出発時刻になって席が空いていれば乗せてくれるという。

並んでいるのは自分たちを含めて7名程度、ただその中の3人は次のバスを予約しているという。

結局、なんとか潜り込めたので第一関門はクリア、羽田空港第一ターミナルへ。

しかし、コロナ禍が明けてインバウンドが拡大していて空港も搭乗便も大変な混雑。

バスが予約制になるのもわかる気がした。

そして、息子はというと昨年の修学旅行以来のフライトで搭乗する前から少し緊張していた。

フライトというものは、だいたい緊張しているとよく揺れるもので、伊丹に降りる前、ちょうど
あべのハルカスが見えるところあたりからは西風を受けて揺れる揺れる。

揺れるたびに、息子が座席の手すりを力強く握りしめているので自分は少し和んだ。

到着後ほどなく空港バスに乗り換えて神戸は三宮へ。

このバスは空いていたので、それぞれ別の2席を占領、緊張から解放された息子は爆睡していた。

三宮では喫茶店で身体を温めてようやく人心地。少し時間をつぶした後に当家のお墓へ。

息子は初めての墓参り、当家は珍しい苗字なのだが、地元なので周囲のお墓も当家と同じ
苗字、これには少し驚いていた。

待ち合わせて一緒に墓参りした自分の姉兄によればこの苗字は淡路島と赤穂の一部にある
とのこと。恐らく当家は淡路島がルーツ。

墓に刻まれた屋号は淡路島からここ神戸に出てきた曾祖父が鮮魚類を扱う仕事をしていたから
といわれ、当時はずいぶん羽振りが良かったように聞いている。

曾祖父の財産を祖父の代で無くし、父は14歳で満州に働きに出たと聞いている。

財産をなくした理由が不況によるものなのか遊興によるものかはわからない。

 

<国内現役最古のマシン>

さて、墓参りのあとに残った用事は親友のところにお香典を持参すること。

50年来の友人であり、そのお父さんは自宅にお邪魔すると本当に愛想よく迎えていた
だいたのだが、そのお父さんが先月亡くなられ、参らせていただこうと考えていた。

友人のお母さんも既に施設に入っておられ、友人は実質一人暮らし。

線香をあげたいとも思ったが、日のもとは少ない方がよいので手を合わせるだけとし
そのまま3人で喫茶店に出向いた。

長男には理解しにくいのかもしれないが、我々は自宅がそんなに広くないこと
家族と同居で気を遣うこともあって、ほとんど喫茶店で話すのが定番。

そして、会計の前にじゃんけんしてどちらが払うか決める。

そしてそのまま明石市立天文科学館に送ってもらい、恐らく40年ぶりくらいに
プラネタリウムを使った天文ショーを鑑賞。今月のお題は「北極星」・・・と
なっていたが、開始早々に息子の寝息が聞こえ、最後は自分が息子に起こされる
体たらくとなってしまった。学芸員の方、申し訳ありません。

 

<世界遺産>

兄の家に泊まって翌日は息子の目的地である姫路城。

ただ、今週は大気が不安定で西風が強い中、なにせ家が古くて隙間風もあり
布団に入るまでは寒くて仕方なかった。

明石駅で朝マック、JR姫路に到着してもなかなか風が冷たい。

そして、姫路駅から真正面に見える大天守なのだがこれが想像以上の距離。

インバウンドのご一行様と大手前通りをぞろぞろ歩いていくのだが、10分ほど
歩いてようやく大手門あたり、ここから色々と城内を巡って天守閣にたどり
つくまでいったい何時間かかるのだろうかと不安に思ってしまった。

結局、登城して帰ってくるまでに約2時間/15,000歩ほどかかった。

さらに城内の廊下を歩く際に上履きの用意がないために靴下の下の板ばり廊下が
冷たくて冷たくて底冷えがしてきた。

途中、千姫のお話とその女中たちの部屋があったが、こんな冷たいところで
どうやって過ごしていたのかばかり気になった。

その後、大天守閣に登ってから下城、市立動物園の門を過ぎて大手門をくぐると
なにやら怪しい雲が追いかけてきた。

案の定、御幸通りのアーケードに入ると雨音が聞こえてきた。

あまりに寒いので、実家の町内にある温浴施設に行こうかと息子に告げて
一旦帰宅してから、そのまま海岸沿いの温浴施設で温泉に浸かった。

生き返った。

1時間ほど温まって、そのままそこで夕飯をとってから、また風呂に浸かり
身体の芯を温めてから帰宅。

当夜は本当によく眠れた。

<後編に続く>

 

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春なので

2024年03月17日 | つれづれ

この数日、暖かい日が続いている。

この間、大雪が降ったのでスキー場はまたにぎわっているようだ。

春スキーの料金になったこともあって集客がうまくいっていると報道されていた。

今年は、3度もスキーをしに出掛けたが昨年同様に最後のスキーは余分で
結局左足を痛めて帰り道はまた観光Onlyとなってしまった。

なんだろう、毎年この身体の弱ったところを探しに出かけているようだ。

今年は白馬コルチナに行ってみたのだが・・・・。

まず駐車場の入口の下り坂が凍っていて、見事に滑りながら下っていた。

凍っていたのは短い距離だったので、坂を下りきるまでにはグリップも効いて
無事に侵入できたのだが、久々の感触に肝を冷やした。

そして、愛車を置いてゲレンデに向かって歩き始めてすぐに足を滑らせて
見事にすっころんだ。

ヘルメットがなければ後頭部を激しく打って危なかったかも知れないほど見事な
転倒だったと思う。

立ち上がってまた歩き出したのだが、ちょっと恥ずかしいのと板を他人の車にぶつけては
いけないと思い、広い通路に出たところ、こちらも相当に凍っている・・・・と思った時
には、身体は宙に浮いて正面の運転席の人と眼が合った。

大転倒。

こんどは左側を下にズドンと落ちたが、そんなに痛みはなく「おーいっ」と
云いながら立ち上がって板を担ぎなおした。

結果的に、この転倒と普段のバランスの悪い滑り方、そして何よりも冬場になると
朝ゃ休日の運動をさぼっていることで内転筋を痛めてしまったようだ。

午前中なんとかごまかしごまかし緩斜面を滑っていたものの、どうも痛みに耐えられず
そのまま氷の解けた駐車場をトボトボ歩いて退散した。

宿までついてもまだチェックインには早く、ロビーの暖炉であたたまりながら時間を
つぶしていた。

その夜は降雪が予想されていて、心の中でこの痛みに耐えながらチェーンを巻くのは
嫌だなとつぶやいていた。

この時点では、階段は手すりにたよなければならないほどで、体重をかけると激痛が
走ってしまう状況だった。

そして、翌朝。

案の定、愛車の上には40cmほどの積雪、世界はまっしろになってしまっていた。

チェックアウトの時間まで部屋で過ごして、テーピングして少し痛みの治まった
左足を引きずりながらまずは雪下ろし。

続いて、少し広い場所に移動して何十年ぶりのチェーン装着。

ここまで積もると、逆にオールシーズンタイヤではまったくダメなので判断は早い。
というのも、今回はなぜか八方のゴンドラ下の急な坂道を上がったところにあるホテル
だったのでいきなりその坂を下っていかなければならずチェーンのほかに選択肢は
なかったのだ。

非金属チェーンなのでそんなに手間取らないかと思っていたが、結局左右両輪に巻く
のに、小一時間かかってしまった。

ぞろぞろと坂道を上がってくる白人たちをよけながらようやく広い道路に出たのだが
そこも真っ白の圧雪路、国道までの間は久しぶりの「雪道」だった。

結局、青木湖畔を抜けて信濃大町に入るところまでチェーンを付けて走った。

その後、安曇野に入るとキツネに化かされたと思うほどの晴天。

昼食をとってそのまま自宅に向かった。

こうやって毎回身体を痛めてしまうのは年齢のせいなのだが、どこかでまだまだやれると
健気に信じている自分がいて少し悲しくもなる。

帰宅して足を引きずっていると、家族は心配してくれるが、どこからか「またぁ?」という
声が聞こえてくるような気がした。

以上、そろそろ春なので、この冬の顛末。

 

 

 

 

 

 

 

 

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