Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

あきまつり

2012年09月30日 | 子供たち


早朝、拙宅から見た西の風景

丹沢の向こうに富士山のいただきが見える

今朝は、そのはるか向こうに台風があるはずなのだが、なんとか午後までもって
無事に秋祭りが終わればよい



例年通り、土橋神社に8時15分集合

今年も大勢の元気な小学生たちが集まっている

まず、神様に神輿に移っていただくための「御霊入れ」の神事
神輿に移っていただいたら、さっそく町内を練り歩く

低学年は山車を曳き、この山車には筆耕の方がいてご寄付をいただくと
お名前を山車に張り出して感謝する





昼食はこの公園でお赤飯と豚汁を振る舞っていただいた




4年生になった姫さまは今年からはお神輿をかつぐ

今年は高学年の人数が少なくて大変だった




それでもみんな小さな肩でよくがんばった

この地区は尻手黒川線を底に降りて登る地形なので毎年々々子供たちは苦労する

そして神輿よりも苦労するのが山車なのだが、こちらはサポートの大人たちが
がんばって、なんとか5丁目てんで山の坂道を登りきり、最後の7丁目をまわって
土橋神社に帰った

神社に帰ると神様に本来のすみかである本殿にお帰りいただいて終了

今年も無事秋祭りの神輿パレードがおわった

次は6日の夜店だ

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金時山 登山

2012年09月18日 | 子供たち



この夏は引越が中心でなかなか家族で遊びに行けなかった
結局、海水浴もせずじまい
まぁ、従兄妹のところに行けたので子供たちは満足していたのだけど
奥さんと父はなんとなく過ごしてしまった

そこで、9月となってしまったがちょこっと足を伸ばして御殿場/箱根間にある
金時山に登ってみた



御殿場市にある乙女森第二キャンプ場から出発し、乙女峠から長尾山経由で金時山に登る軽登山

前日、家族でトレッキングシューズを購入した店の方は、神奈川の小学生は遠足でよく登ったものだと
言っておられた

途中、乙女峠までは富士山も機嫌よく雄姿を披露してくれていたけれど、頂上に近づくに連れて
ガスがかかり、景色が薄れてきた



それでも眼下には箱根仙石原の絶景が拡がり、この山の急峻さを物語っていた

さて、金時山ときたら「金太郎さん」

なぜかしら、頂上に着くと「♪マッサカリかついで~」と唄いだしてしまうわけで
こんなサービスも用意されていた



王子はくまさんに乗っているのだそうだ


お昼時の頂上は登山客で満員状態、大山登山でもそうだったけれど、どこに行ってもヒトだらけだ



このあと、公時神社(箱根側)に下山、バスで乙女森第二キャンプ場まで帰って泊まった

さて、立派な靴も買ったことだし、この次はいずこへ登らん!





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帰郷(危篤電報を受け取って)

2012年09月12日 | つれづれ

祖母の通夜にでるため新幹線に乗っている
今朝は富士山が初冠雪だったと新聞に載っていた
あの山を見ながら旅立つのだろう

井上陽水の曲を思い出した
「季節はづれなのはホトトギス」と唄いだす
もう既に「危篤」ではないのだが、なんだろう
「もうすぐだね君の家まで」に続くフレーズが
いまのなんとも虚しい気持ちにつながってくる

小学生だったころ、母親について帰省するのは
本当に楽しみだった
祖母のところに行くときだけ新幹線に乗れるから

40年経って、いま祖母の亡骸に別れを告げるために
新幹線に乗っている

あの頃走っていた「0系」も「100系」もなくなり
「300系」でさえ博物館に飾られてしまった
調子にのって紙コップをがめってきて、あきれられた
のも思い出のひとつだ

もうすぐだね、君の家まで





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祖母がなくなった

2012年09月12日 | つれづれ

自分は、母親の実家で生まれ
生まれてから2歳くらいまでは働く母親に代わって
祖母が面倒をみてくれていたと聞いている
実際に、数少ない乳児のころの写真は祖母と
いっしょに写っているものばかりだ

明るいひとだった
正月や夏休みに母親の実家に帰ると
満面の笑顔で迎えてくれた

家事が終わると喫茶店
月に一度は美容院とパチンコ
髪をパープルに染めてお洒落な眼鏡をかけていた
歳をとっても元気なひとだった

名古屋弁どっぷりの愛嬌いっぱいの祖母だったが
笑顔の裏に過去も背負っていた
夫を戦争で亡くし、幼い子供を抱えて暮らした日々
のことを母から聞いたことがある

帰省するたびに、自分の手をとって喜んでくれたが
晩年は記憶も定かでなくなってしまい
老人病棟にいた

見舞いに行くというと、母親は
「もう全部忘れて、ただ眼を開けているだけ」
「会わないほうがいい」
と神経質な自分に会わせようとしなかった

最後に会ったのは、宮崎から岡崎に帰省していたとき
姫さまを見せたくて突然訪問した
まだまだ元気で姫さまを見てたいそう喜んでくれた

少しだけ孝行できただろうか

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いろいろあってもう9月

2012年09月11日 | 川崎

8月はバタバタと過ぎていき、もう9月も半ばにさしかかってしまった
お盆過ぎに遅めの夏休み
今年は姫さまの映画教室につきあったので、王子&奥さんを先に
奥さんの実家へ送り出し、旧宅で姫さまと二人で2日間過ごした

火曜日の夕刻には我々も実家に到着した
そのまま早々に父は自分の実家に帰る予定だったのだが
叔母が急に亡くなったことでスケジュールが大幅に狂ってしまった

結局、家族で出向くはずの法事には自分だけが出席し、何年かぶりに
姉たち家族に逢ったりした

自分の実家に向かう中、京都で途中下車
早朝の清水寺や三十三間堂など東山を中心に観光してきた
平日の朝、静かな京都でまったりできた
また、昼食はこてこての関西らしく「王将」で餃子とビール
京都まできてなぜ王将という感じもあるが
関西人の「血」が餃子を求めるので、これは仕方ない


そのまま明石の実家に宿泊した翌朝、例によって早くに目が覚めたので
海岸に散歩に出かけた

ほとんど夜明けと同時にカメラを持って大蔵海岸へ
すでに釣り人たちが方々でリールを投げては、巻いている

天気は快晴

淡路島がくっきりと眼前に浮かぶ
海峡を渡る朝の風がここちよい
太陽を腹に描いたフェリーが播磨灘を超えて
明石海峡大橋に向かって進んでいく
やっぱり明石が一番だ

子供の頃の風景とはずいぶん変わってしまったけれど
天気のよい日の明石海峡は本当に気持ちのよい場所だ

今回、この歳になってとうとう川崎市にマンションを購入したわけだが
なかなか購入できなかったのは、気持ちのどこかに
そろそろ関西転勤して明石に住めるようにならないか・・・
というのが残っていたのだろう
いつかは・・・



とはいうものの、月末には休暇をとって引越作業
なんとかかんとか新居に移った
新居のベランダからは丹沢の山の向こうに富士山の山頂が見える
風通しのよい食卓で、まったりするのも悪くない

いろんな手続きの多さには閉口してしまったが、富士山の笑顔に免じて
忘れてしまおう

その後、5日に仕事で沖縄にいってきた
15年ぶりの沖縄だった

午前8時に羽田を飛び立って21時45分に羽田に着陸という
日帰りツアー、楽しみは昼食のステーキ
沖縄のステーキ屋さんはアメリカ風ですごいボリュームで肉を食べさせてくれる
そして夕食は空港でラフテイとオリオンビール
日帰りはさすがにちょっとしんどかったけれど、南の島は最高だ

この日も天気に恵まれて、朝は飛行機のマドから見た与論島や沖縄本島の
海が光り輝いていてすごくキレイだった


南の海と明石海峡、最後に富士山と贅沢な話だと思いながら
なぜか駆け足であっという間に過ぎていってしまった今年の夏だった


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