六月は自分や周囲の人間の誕生日が多い
死んだ父親も母親も六月生まれだった
自分も六月に生まれ、父親が死んだ年齢に少し近づいた
あと4年ほどだ
父親は、神戸の元町駅で倒れ、そのまま日赤病院で息を引き取った
葬儀の夜、弔問に来られた近所の人の話では
死んだ日の朝、父親は国道を明石駅の方に向かって歩いていた
何度も何度も自宅の方を振り向いていた
という
普段、父親は最寄りの私鉄の駅から明石駅に向かうのだが
その日は国道沿いの歩道を歩いていたという
不思議な話ではあるが、何か知らせるものがあったのだろう
1988年、60歳になって3ヶ月ほど経ったころだった
それからちょうど30年
今年、母親が病院で息を引き取った
昭和の最後に父親を、平成の最後に母親を亡くしたことになる
父親も母親も、仕事や子育て、孫の面倒見を終えたあと
少し心に穴が開いたように元気をなくしてこの世を去った
いま、自分もなんだかそんな気持ちになっている
ある程度目途もついた
先週、NHKの番組で「安楽死」の場面を見た
あんなに安らかに死に行くことができるのかと思うと
気持ちが揺らいだ
大して楽しい趣味もない、どちらかというと羽をもがれた鳥の
ように生きている気がする
いま「生」に対する固執が少し足らなくなっているようだ
さてさて、今年も6月になった
6月は自分たちと両親の誕生月であり、結婚記念日のある特別な月だ
夏休みの計画もそろそろという季節だ
今月から姫さまは大学受験のために塾に通い始める
少しお金のかかることが続くが、これも10年後の笑顔のため
と考えれば大したことではない
何事にも先行投資は必要だ
投資もせずに、ただ愚痴を並べていても何も変わらない
毎日の授業についていけていないのであれば、少し補習するしかないのだが
なかなか自分だけではできない
王子も約束を守って、宿題をこなすために通塾している
塾のない間はずっとゲームばかり
朝も起きられない
休日は昼近くまで起きてこない
伸長はまだまだ伸びてこないのだが、靴のサイズは父を越した
ひげもうっすら生えてきて、そろそろ第二次性徴が起きている
中学生らしくなってきた
父もそのころはよく寝ていた
夜更かしもしていた
たまたま早起きの体質だったので起床時間で苦労はしなかったけれど
いつまでも寝ていたい気持ちは同じだ
恐らく奥さんもそうだったろうと思う
彼女は会社に入ってからも、よく昼休みに爆睡していた
春は眠いのだが、もう6月だ、梅雨入りだ
今年の梅雨はどうなのだろう
どんだけ眠っていられるだろう