なにやらノロノロと動きの遅い台風のおかげで週末も予定がたたない。
今週はなにをしてみようか。週末を迎えるたびに考えている。
それほど平日がつまらない。
ここのところ、平日のルーティンは起床して洗濯で始まる。
玄関と手洗い、洗面所の掃除を簡単に。
そのあとは、パソコンを起動して所有資産の時価と損益状況をチェックする。
朝から「カネ勘定」かとは思うが、投資信託の時価というのは早朝に反映される
ので、仕方のないところだ。
最近はできるだけETFの購入を進めているのだけれど、分配金目当てとなると
種類が豊富な投信も購入対象にせざるを得ない。
今は、株式は購入しない。これは仕事も関係しているのだが、個別の会社の
株式の選定はギャンブルに近いと考えている。
自分は昔からギャンブルに極端に弱いので、よほど真剣にうまくやらない限りは
利益にはつながらないと考えて手は出していない。
さて、奥さんが起きてくるタイミングで洗濯機が軽快なメロディを鳴らして
儀式の終了を教えてくれる。
洗濯ものを干したのちに、奥さんが朝食を整えてくれる。
仕事が積まれている場合は、ここいらで朝食もとらずに出勤してしまうが
普段は朝食をとりながら、少し世間話をして服薬、洗顔、手洗いと
ルーティンを進める。
自宅から最寄りの駅までは3分ほど坂を下るだけだ。
各駅停車に乗って、運がよければ次のターミナルで着席できるが、大抵は
そのまま「つり革」をもって窓の外を眺めることになる。
2つ3つ駅を過ぎると多摩川を渡る橋にさしかかる。
毎日、長時間にわたって液晶画面を眺めていることが多い仕事なので
通勤の僅かな間でも少し遠くを見て眼に楽をさせたいので、多摩川を
渡るまでは、スマホやタブレット、本は出さない。
すでに、右眼は眼精疲労を通り越して人生過労といった感じで経年劣化が進んでいる。
極端な「効き目」らしく、ほとんどのものを右眼で見て疲弊させているらしい。
以前は、早朝にウォーキングを行ってから出勤していたが、今期になってほとんど
止めてしまった。仕事のストレスがこちらで制御できなくなった。
傍からみれば、そう疲れもストレスもあるようには見えないらしい。
成人病検診に出掛けても予定通りに老化している部分が増えつつあるだけで、変調をきたして
いるなどと言われたこともない。例外的に心電図の結果はよくなくて専門医に回されたことが
あるが、結局診察の際には正常とのことで一過性のものと診断されてそのままにしている。
もともと二重人格と言ってもよいほど、タフで鈍感な自分とナーバスで気の小さい自分がいる
ことに気付いていて、最近はそれ゛それの出番が微妙に変わってきている。
一方の自分は調子よく生きていて、友人と一緒に楽しく過ごすことを好んでいる。
そいつが眠りにつくと、もう一方の自分が起きだしてなにやらネガティヴなことばかり思い
浮かべては自分の心をつつき始める。
さて、通勤電車の中。
着席できるとタブレットを取り出して今日のニュースを閲覧したり、ネット
ニュースを眺めては、少し世間のことを知るようにしている。
もう長い間新聞は購入していない。
契約している証券会社のアプリにログインすると日経新聞が読めるし、ネットニュ
ースも充実している。
新聞の購入をやめて10年以上経つが、どういう形でも情報はとれるので必要性はない。
そういえば、以前ある新聞社と取引がありそこの社員とも交流があったが、あの業界は
なかなかレガシーな感覚から抜け出せない人たちを大勢抱えているようで大変そうだった。
新聞やテレビというメディアこそが、インターネットという基盤の上で取り残されている
のをよく感じるが、残念ながら仕方ないほどのレガシー社員が残っている。
それはメディア以外でもそうなのだが、この業界は特に症状が重いようだ。
電車を降りて長い階段を上がると、そろそろ仕事が始まる。
職場は明るく、雰囲気も悪くはない。
老齢の嘱託社員ながらある、ある程度の「裁量」も持たせてもらっている。
ただ、終わりのない旅に少し疲れている。
理想郷を求めて歩いてきたわけではないし、愉しいこともたくさんあった。
されど、旅はいつしか仕事となり、踏み出そうとする足に枷をくくりつける。
いつのまにか、枷を外して向かう場所さえ忘れてしまった。
そして、そんな場所など最初からなかったと思い出してしまうのかもしれない。