Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

早めの夏休み

2022年07月31日 | 二輪の話

今年の夏ツーリングは、涼を求めて大門峠から上田市に抜けて
菅平から信州須坂、そして志賀高原をめざす予定だった。

ところが、最近は信州から北関東にかけて梅雨に戻ったような
長雨が続いてしまい、仕方なく草津温泉をキャンセルして伊豆
に向かった。

直前の変更でキャンセルフィーも取られたが、せっかくの休みに
びしょぬれになっていたのではくつろげない。

これまで利用していたレンタルバイクの廉価版サービスが終了
するとのことで、こうやって気軽にツーリングに出られる機会も
少なくなってしまうので、今回はぞんぶんに走ってきた。

金曜日を休暇にして早朝から出発、府中からのスタートなので、まずは府中SICから
中央道を駆け上がる。平日の早朝なので渋滞も皆無で、そのまま河口湖方面に進む。

今回は「はや旅」のツーリングプラン[東名・中央ミニプラン/走り放題\2,500」を
利用しているので東名なら沼津まで、中央道なら甲府昭和までは定額且つ乗り降り自由。

とはいえ、ミニだけに範囲が狭いので、この範囲をただひたすら走り回るだけ。

そのまま富士五湖道路/山中湖ICで降りて朝食。

タブレットで天気を確認すると、やはり信州は降雨確率60%、直前の判断は正解だった。

山中湖畔で食べる朝食も一段とおいしく感じる。信州と甲州なんてとなりのような
気がするが山々を超えて天気は全然違うようだ。

山中湖からは河口湖方面に戻って、R139で鳴沢村。村からは大好きな道「富士宮鳴沢線」
で朝霧高原の先まで一気に走った。

高原の風はここちよく、牧場の匂いはなぜか心をリラックスさせてくれる。

その後、富士宮市から沼津までの一般道で、今が夏で単車が渋滞に弱いことを再認識。

沼津御用邸の先までぐずぐす進んでから左折、修善寺駅前を抜けて伊豆スカイラインへ。

伊豆スカイラインもガラガラ、再度さわやかな風に包まれながら終点の天城高原IC。

大室山に向かって降りながら、空腹を感じて昼食の場所を考えた。

R135沿いには観光客向けの土産物屋さん兼食堂はあるがどれもあまり魅力的でない。

そういえば、少し前にアド街で石原良純さんが紹介していたお蕎麦屋さんがあったはず。

注意深く進んでいるとそれらしきお店があった。

まあ、お蕎麦であれば外すこともなかろうと寄ってみたら、存外おいしいお蕎麦が
いただけた。お蕎麦をいただきながら検索すると確かにアド街の店だったが、店内
どこにもそんなことは掲げられてなく、印象も〇。

 

さて、昼食後もソロライダーは気儘に進むのだが、このままだと今夜の宿早く着きすぎ
てしまう。今夜は伊豆の南端「弓ヶ浜」に泊まる予定。

早く着いたら水着に着替えて海に入ろうかと準備はしてきたが、よくよく考えるといくら
真夏とはいえ、還暦手前のおじいが独りで浮いていても・・・と考えて寄り道することに、

いつのまにか関東周辺の灯台という灯台には立ち寄った感じなのだが前回下田ツーリング
でサボった石廊崎が残っていたので少し回り道しながら立ち寄った。

駐車場から歩きながら「ここから先は海の向こうのアメリカか・・」と考えていたが
岬の先まで行くと、少し先には利島や新島が見える。

まだまだ日本の領土はこの先の先にもあり、自分の浅はかさに少しあきれた。

石廊崎から弓ヶ浜まで近く、早々に宿に着いてチェックイン。水着には着替えないが
持参したサンダルをつっかけて浜に出てみた。

きれいな海。寄せては返す波の勢いが太平洋を感じさせる。明石近辺ではこうはいかない。

平日なのでビーチはすいていたが、若者たちのグループなどもいてにぎやかにしていた。

波打ち際を歩いていると、少し大きな波がきて、太ももの辺りまで濡れてしまった。

少し濡れたので、もう気にすることもなく膝まで海に入って涼んでみた。

 

この日はそのまま少し離れた町にあるスーパーに買い出しに出て地魚の刺身などを調達。

宿は10室ほどのホテルで、どこかの保養施設だったのかと思うくらいよくできた宿。

温泉は塩化物泉、さすがに長湯はできないけれど、風呂上りには冷房の効いた部屋で
くつろいだ。まずはアサヒの黒ビールとキリンの糖質ゼロビールでハーフ&ハーフ。

これにまさるものはない。

朝はいつものとおり散歩。歩数を稼ぐことは大事なルーティンだ。

夜明け時のビーチは遠い台風の影響か、波が荒かった。これだと今日は遊泳禁止かなと
土曜日にここまで来る若者たちを憂いてしまった。

驚くことに、もう駐車場には数台の自家用車が並んで開場を待っている。

開場を待ちながら自分たちのタープなんかをセットして砂浜に場所をとっていた。

ホテルに戻りもうひと風呂。朝ごはんをしっかりとって出発、

帰路は西伊豆をぐねぐね上がっていくつもり。

どこからか右折して半島内部に出て、一旦御殿場あたりまで戻るつもりだったが
ぐねぐねのR136でも車がいないのでどんどん進んでしまい、土肥温泉についても
まだまだ午前中。

距離的にはそこそこ走っていたので、このまま御殿場から篭坂峠を越えて中央道に
まわればちょうどよい帰宅時間になりそうだ。

この着せ、あとは渋滞と夕立をさけるだれだ。

そう思って、修善寺から伊豆中央道経由で新東名/新御殿場IC、R138に降りて
篭坂峠を越えて山中湖。やっぱりここは涼しい。標高は1,000弱なので六甲山の
山頂ほどかと。

しかし、それでも順調すぎてまだお昼時。富士吉田で軽く昼食をすましたが
帰るには早すぎるので、そのまま富士桜高原の別荘地を走って締めくくろう。

ここには亡くなった安倍前首相の別荘があり、献花台がおかれていた。

別荘地(と言っても広大な面積)を一周して河口湖ICから中央道に入ったのだが
少し先にはどす黒く大きな雲がそびえたっている。

嫌な予感はあたるものでシールドにポツポツと雨粒。

バックミラーには改正の夏空、行くか戻るか思案したけれど、雨中走行が大嫌い
なので、都留ICでUターン。

そのまま富士五湖道路⇒御殿場⇒東名⇒厚木JCT⇒圏央道⇒中央道⇒渕裕SICで
今年の夏ツーリングは終了。

単車を返して帰宅したのだが、妙に足が疲れていた。疲れるはずで、2日間の
総走行距離は730kmだった。あーしんど。

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ひさかたの帰省(2)

2022年07月18日 | つれづれ

さてさて友人に暇をつげて明石駅から新快速で新大阪に向かったのだが
淀川を渡ったあたりでピタっと電車が止まってしまった。

社内アナウンスではなにやら先行している快速電車が動かずにホームが空かないとのこと。

あれあれ予約した新幹線に間に合うのかな。

5分ほど経ったが、まだ動かない。

仕方がないので、スマホを取り出して予約を変更。

少し余裕を見て最終ののぞみ号で座席を確保しておいた。

顧みると、この時点であきらめて明石に引き返していれば大騒動には
ならなかったのだが、それは後の祭り。

結局15分ほど遅れて新大阪に到着、最終ののぞみ号に乗ってホッとして眠ってしまった。

その時点で大阪も激しい雨だったのだが、静岡でそんな大雨になっているとは
つゆ知らずに大いびきをかいていた。

目が覚めると、のぞみ号は止まっていて社内アンウンスが「この先、掛川ー静岡間の
大雨について収束の見込みがついていない」と言っている。

あれあれ、早速奥さんにラインをいれたところ、静岡県の大雨はニュースにも
なっているといい、このまま名古屋で降りて奥さんの実家によればよいと。

ただ、奥さんの実家に向かう電車もそろそろ終電、あぶないかも・・・。

最終的に、ずいぶん遅れて名古屋駅についたので新幹線をあきらめて下車、改札口で
払い戻しを受けて名古屋鉄道/新名古屋駅に向かった。

幸いこちらは特に遅れもなく終電車で着席。

ほぼ、夜中に近い時間になって奥さんの実家に到着、義兄が少しのみながら待って
いてくれたので、缶チューハイを2杯ほどいただいて、単車話などして就寝。

翌朝、少し二日酔いではあったが早々に帰宅しようと早い電車に乗った。

この時間だと、奥さん家からは一旦豊橋に出てJRに乗り換えて浜松
浜松でひかり号に乗り換えて新横浜に向かう。

ようやく自宅に着いたのは日曜日の10時すぎ、そのまま倒れそうなくらい疲れていた。

ちょっと出張の足を延ばしただけのつもりがたいそうなことになってしまった。

まあ、久々に墓参りもできたし、実兄とも話せた。

なにより旧友と杯を傾けられたのだから、てんこ盛りの帰省だつたということにしよう。

さあ、定年退職まであとちょうど1年、そのまま継続雇用になるとしてもそんなに
出張に出ることはないはず。

随分、いろんなところに出向いて仕事をしてきた。

47都道府県はすべて周ったが、それぞれゆっくりしたことがない。

仕事人生が終わったら、もう一度、今度は観光目的でゆっくり行きたいものだ。

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ひさかたの帰省

2022年07月15日 | つれづれ

コロナ禍前、法事のために行って以来の明石。

たまたま大阪に出張することを思いついて、できれば週末を重ねて
墓参りにもいかない不義理を払拭しようと予定を組んだ。

ちょうど取引先の方も金曜日がよいとしてくれたので、数年ぶりに関西に行けた。

わずか3年前には江坂に住んでいたのだから不思議な感じではあるが
久々の新幹線は相応に緊張して、ずいぶん余裕をもって新横浜駅に着いた。

 

大阪での仕事は客先周りで、大口の取引先2件と初めて面談する会社が2件。

夕刻、16:30に立売堀の客先が最後のアポイントメント。

心斎橋の大阪本社に立ち寄って、のんべの後輩と杯を傾けることも考えたが
あと数年でいなくなる身としては、後輩に気を遣わせてつきあわせるのもどうかと
考え、早々に帰宅することにした。

実家には兄が独りで暮らしている。

数年前に吐血して入院した兄ではあるが、近所に実姉も住んでいるので一人暮らしを
していてもそう心配はない。

兄は自動車通勤なので明石駅でPick-UPしてもらい夕食を摂ってから帰宅した。

玄関をあけた瞬間から実家のにおいがした。

においというものは、脳の中でほかの記憶とは別の場所に格納されているようだ。

人の名前もなかなか出てこなくなっている脳なのだが、においの記憶はすぐに呼び起せる。

太古の昔、まだ人類がサルだったころの名残かも知れない。

 

そんなことを考えたりしながら、帰宅後は兄も缶ビールを開け少し話しながら飲んだ。

翌朝、いつものとおり早く目覚める自分はカメラを携えて海岸を散歩した。

ここの海岸は、自分が明石を離れてから整備された海浜公園で早朝から釣り人たちが大勢いる。

自分が小中学生だったころは海岸沿いに国道28号を通したあとで、海沿いにはテトラポッド
が積まれていて子供は入ってはいけない場所とされ、海は遊泳禁止区域だった。

ただ、その分誰にも邪魔されずに泳げたし、釣りも楽しめた。

明石海峡は流れが速く、テトラポッドは海から上がりにくいので事故のもとだったのだろう。

自分も一度大きな波に押されてテトラポッドの隙間にはまり、動けなくなったことがある。

息がなくなって死に向かっていく間の感覚は今でも忘れられない。

幸いなことに、少し塩水を呑んだあたりでうまくひき波で身体がはなれて助かった。

そんな簡単なことでひとは死んでしまう。

 

 

そんなことを思い出しながら、カモメやウミウを撮っていた。

ふと、目を戻したところにアオサギが立っていた。

距離にして1mはないほどのところで釣り人が捨てる小魚をまっている。

ドキッとしながら、なんとかシャッターを切った。

最近、鳥を撮るためにテレコンをポチったのだが、テレコンを入れるとうまくAFが動かない。

そこでマニュアルでピントを撮りに行くのだが、レンズそのものがAF基本なので
リングが硬くてなかなかうまくピントが合わせられない。

また、年老いた「目」自体がピントが合っていないので、あとで確認すると
どの写真もピントが甘い甘い。

便利にはなったけれど、一旦Autoに頼ってしまうと昔のことを思い出す
のに苦労してしまうのは、カメラに限ったことではない。

 

その後、夕刻に旧友と駅前で一杯やって帰ったのだが、帰れなかった話は次回。

 

 

 

 

 

 

 

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