今日は台風襲来とのことで、時折激しい雨が降っている。
激しい雨の中、散髪に出かけたらいつもの混雑はなくスムーズに刈ってもらえた。
結婚する少し前から散髪に(=自分のみてくれ)はあまり気にしなくなった。
故に、いつも千円散髪で済ませている。
さて、散髪してもらいながらふと人生というものについて考えた。
自分にとって人生は行先が記されてない列車、中ほどの車両に乗っているようなものだと。
どのあたりを走っているのかさえ、窓辺を流れる風景でしか測れない列車だ。
動いているのか止まっているのか、速いのか遅いのか、ただ相対的に知るだけだ。
この列車は時折駅に止まり、駅ではわずかながら乗降客もいる。
自分も自由に乗り換えることができるのだが、乗り換える列車の行先もまたわからない。
駅からは自分の列車に並行して走る別の列車もある。
が、その列車がどの線路を進んでいくのか、そしてまたどこで停まるのかもわからない。
旅を続ける中で、となりに座る人も現れた。
どこまで旅をともにするのかもわからないまま一緒に旅をしている。
さて、自分の乗ってきた列車がある駅に着こうとしている。
駅に着いたからと言って特別なことをする必要はなく、列車を降りたり乗り換えたりする
ことは元々自分自身の判断によるものだ。
ただ、行先は分からなくとも、この旅がそう長くないことには気づいていて、あと数年の
旅をどうするか決めあぐねたまま、どうやらそろそろ駅につきそうだ。
大きなターミナル駅のようで乗り換えられる列車がいくつか待機している。
このままこの列車に乗っていることもよし、乗り換えてあと何年かを過ごすのもいい。
不安はあれど、そこそこ手当はしてきたので、そう怖れることはない。
怖れはないのに、思い切っては動けない。いや、動かないでいる。
どうしよう。そろそろわがまましてもよいのだろうか。
思い悩む今日この頃だ。
ふと、こんな話になったのは生命保険と医療保険を見直す時期にきているからだ。
一方はA生命の保険マダム、もう一方はS生命の生保レディー、それぞれ現有の保険内容を
元に提案してきたので今日のうちに決めることとなる。
さてさて、そんなに長くない残りの人生、余らぬ程度の保障で手を打とう。