Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

しづこころなくはなのちるらむ

2024年04月28日 | 子供たち

今年は桜が咲くのが遅かった。

おかげで長男の入学式は桜の季節に重なった。

人間が決めた暦なんてものは結局アテにはならないということか。

その後、そんな息子が急に「胃が痛い」と言い出し、翌日も浮かぬ顔をしていた。

仕事からの帰り道、地下鉄の中に家内から電話があり「肺気胸で緊急入院したから、追い
かけて病院に来てほしい」という。

慌てても電車は早くはならないので、まずは時間通りに到着してくれることを願い。

駅についてからは、自宅マンションまでの上り坂を駆けのぼった。

自分自身に「急ぐ時ほどゆっくりと」と阿川弘行の言葉を繰り返して。

自宅に着くと、留守番をしていた長女が状況を説明してくれ、タクシーで以前入院して
いたことのあるS病院の夜間救急に向かったという。

そのまま自分の車で病院に向かう、「急ぐ時ほどゆっくりと」と繰り返しながら。

無事、到着すると緊急外来には姿が見えない。ひとりウロウロしていると本人からLINEが
入って居場所が判った。

処置室に連れて行ってもらうと、息子が寝台に横たわってぐったりしていた。

そばにいた家内もただただ心配そうにいて、開口一番「こんな状況なら救急車を呼ぶ
べきだったって言われた」という。

そんなにひどいのかと少し不安になったが、当の息子は原因が判って少し明るくなって
いて、しかし小声で「採血の人、くそヘタだった」と云った。

 

この夜は偶然「呼吸器科の専門医」がいて診てくれていた。

曰く「肺の上部に小さな風船ができて、それが破裂して穴が開いている「気胸」という
症状です。直接的な原因は解明されていないのですが、ストレスなどではないかと
云われています。」

続けて「今夜はICUに泊まってもらって胸の横に穴を開けてドレンを入れます。ドレン
から胸腔内の空気と肺水を抜いていきます。穴がふさがればそれで自然に肺は戻るの
ですが、**さんの場合は恐らく手術してふさぐ必要があると思います。」と。

明るい若い医師は「特別な症状ではなく、自分も年間50回ほど執刀する手術なので
そう心配はいりません」と軽く話していた。

 

長男がICUに移るタイミングで帰宅したが、既に夜半すぎ。

帰宅途中のコンビニで調達したお弁当を食べてなんとか就寝、翌朝そうそうにまた
病院を訪ねた。

自分はこの歳になるまで一度も入院したことがなく、また手術というものにもほとんど
縁がない。

なので病院で過ごす夜がどんなものか想像もつかないし、全身麻酔で手術することなど
どんな感じなのかもわからない。

ただ、彼が小児病棟に入院したときに「就寝時間なので帰宅してくれ」と云われて
別れたときほど寂しげな顔はしていなかった。大きくなったものだ。

翌日主治医から入院後の治療方針について説明があり同意書にサインした。

その後、翌週の半ばには手術を終えて土曜日に自宅に戻ってきた。

久しぶりに家族が顔をそろえた。

いずれ方々に散らばってしまう家族かもしれないが、今すこしばかり4人で過ごす
時間を大切にしたいものだ。

今回も改めて、なにもない日常が極上の日常なのだと思い知った。

ひさかたの ひかりのどけきはるのひに しづこころなく はなのちるらむ

 

追記)

手術前の同意書作成の折に医師は「ごくわずかな率ですが、手術の際に動脈を
傷つけてしまうと「輸血」の必要がありますが同意されますか」という。

「実はもう15回も献血しているので、他人の血を使うくらいなら是非私の血を
使ってください」と言いかけた。

結果的に輸血など必要なかったのだが、輸血するなどということがどんなに重篤
なイメージなのかなど身に染みた。先週から400ml献血が解禁になっているので
早々にまた献血センターに行かねば。

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お墓参りからの観光旅行

2024年03月23日 | 子供たち

<後編>

最終日、朝から晴天ながらやはり風は少し冷たい。

幸運なことに町内のGSがニコニコレンタカーを併設していたので
レンタカーを借りて淡路島へ。

自分の希望で、鳴門の渦潮を観に行くことにしていた。この時期は春の大潮なので
観潮するにはとてもよい時期と聞いていた。

明石から明石海峡大橋に行くには、一度神戸市の西区の方を周って垂水JCTを経由しなければ
ならない。

ただ、ここを経由して舞子トンネルをくぐることで、衝撃的な海上橋の光景を観ることが
できるので決して不便な造りだとは思わない。

息子には、トンネルの中でカーナビの画面を追うように言っておいて、トンネルを出ると同時に
顔をあげるように言った。

この景色は何度見ても感動する。

 

そのまま橋を渡り切ったところのハイウェイオアシスで朝ごはん。

さすがに観覧車には乗らなかったが、壮大な景色を眺めながら休憩して土産物も購入しておいた。

瀬戸内海というところは風光明媚なところだ。

ここから鳴門までは高速道路一本、走りながら息子に観潮船の時間と場所を調べてもらったら
ちょうどよい船が福浦港から出ているという。

これに乗らない手はない。

あらためて福浦港にナビをセットして向かうと大潮にドンピシャのタイミングで到着。

日本丸と咸臨丸、どこかで聞いたことがあるような船名だけれど気にせずGo。

既にたくさんの観光客が乗り込んでおり、我々は最後の方。

乗船して間もなく船は鳴門海峡を目指して出港、冷たい風にさらされながら外海へ。

おじさんの観光案内が続いたあと、前方の海上に白い波の線が見えてきた。

鳴門海峡は瀬戸内海と太平洋をつなぐ狭い水路、且つ水底が浅い独特の地形で
満潮干潮の際に海水が行き来することで激しい水流が生まれるのだそうだ。

鳴門の渦潮は春と秋の大潮のあたりが最大になるといわれ、この日はこの便までが
おススメ時間となっていた。

帰港して一度車に戻って昼食を考えていたら、息子さんが近くによい海鮮の店があるという。

よく見たらさっき下船したところ。即決して店に向かったところ、並ぶこともなく
すんなりと入店できた。

海鮮類はあまり好まない息子が自ら海鮮丼で行こうなどと言い出して少し驚いたが
本当に海鮮丼を注文、サイドメニューで頼んだ大あさり焼もペロっとたいらげてしまい
「これうまいっ」と知るまですすっていた。

自分は久しぶりに穴子を食べることにしたが、この穴子丼もボリューム満点、且つ美味。

明石の穴子が比較的細いのに対して太くてやわらかく、モチッとした食感がタレに合っていて
ご飯が進んで仕方がなかった。

昼食を終えたら急いで明石に帰ってレンタカーを返さなければならない。

15時まで借りて3,000円弱は破格、よい足になってくれた。

そして、明石からJRで新大阪に向かい、そのまま帰宅の途についた。

息子は、愛知県にある奥さんの実家に立ち寄るというので名古屋駅でのぞみ号から降りていった。

 

 

突然に親子旅をすることとなって少し戸惑ったが、道中いろいろと高校時代の話なども聞かせて
くれたので、日頃あまりとっていなかったCommunicationがとれてよい旅だった。

次回はまた、家族で伊豆にでもでかけて温泉と海鮮を満喫したい。

さてさて息子も4月からは晴れて大学生、入学式スーツも揃えたし準備は万端。

この旅はお疲れさまでしたが、次の旅を楽しい旅にするように。

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お墓参り+α

2024年03月23日 | 子供たち

母親の命日が3月、父親の命日が9月、いずれも彼岸の前にある。

自分は既に故郷を出て川崎市にいるので、墓参りもせずに不義理を続けている。

今回、休暇の取得日数を満たすために、思い立って彼岸の墓参りに行くこととした。

ただ、墓参りだけでは旅費ももったいないので、ぶらりと姫路城にでも寄ってくるかと
したところ、長男が自分も姫路城に行きたいと言い出したので思わぬ二人旅となった。

成人した息子と二人で旅する機会などあまりないのでありがたい経験になった。

 

自分は先にJALの特典で羽田-伊丹の席を確保していて、息子分を追加。

運よく通路を挟んだ臨席が空いていたのでKeep。

7:30発の便だったのだが、祝日ではあるけれど水曜日なので混雑はないだろうと勝手に
決めて最寄り駅から空港バスで羽田に行くことにした。

だが、バス乗り場に到着すると「全席予約制・本日は満席」となっていて第一関門の
トラブル発生。

慌てて確認したところ出発時刻になって席が空いていれば乗せてくれるという。

並んでいるのは自分たちを含めて7名程度、ただその中の3人は次のバスを予約しているという。

結局、なんとか潜り込めたので第一関門はクリア、羽田空港第一ターミナルへ。

しかし、コロナ禍が明けてインバウンドが拡大していて空港も搭乗便も大変な混雑。

バスが予約制になるのもわかる気がした。

そして、息子はというと昨年の修学旅行以来のフライトで搭乗する前から少し緊張していた。

フライトというものは、だいたい緊張しているとよく揺れるもので、伊丹に降りる前、ちょうど
あべのハルカスが見えるところあたりからは西風を受けて揺れる揺れる。

揺れるたびに、息子が座席の手すりを力強く握りしめているので自分は少し和んだ。

到着後ほどなく空港バスに乗り換えて神戸は三宮へ。

このバスは空いていたので、それぞれ別の2席を占領、緊張から解放された息子は爆睡していた。

三宮では喫茶店で身体を温めてようやく人心地。少し時間をつぶした後に当家のお墓へ。

息子は初めての墓参り、当家は珍しい苗字なのだが、地元なので周囲のお墓も当家と同じ
苗字、これには少し驚いていた。

待ち合わせて一緒に墓参りした自分の姉兄によればこの苗字は淡路島と赤穂の一部にある
とのこと。恐らく当家は淡路島がルーツ。

墓に刻まれた屋号は淡路島からここ神戸に出てきた曾祖父が鮮魚類を扱う仕事をしていたから
といわれ、当時はずいぶん羽振りが良かったように聞いている。

曾祖父の財産を祖父の代で無くし、父は14歳で満州に働きに出たと聞いている。

財産をなくした理由が不況によるものなのか遊興によるものかはわからない。

 

<国内現役最古のマシン>

さて、墓参りのあとに残った用事は親友のところにお香典を持参すること。

50年来の友人であり、そのお父さんは自宅にお邪魔すると本当に愛想よく迎えていた
だいたのだが、そのお父さんが先月亡くなられ、参らせていただこうと考えていた。

友人のお母さんも既に施設に入っておられ、友人は実質一人暮らし。

線香をあげたいとも思ったが、日のもとは少ない方がよいので手を合わせるだけとし
そのまま3人で喫茶店に出向いた。

長男には理解しにくいのかもしれないが、我々は自宅がそんなに広くないこと
家族と同居で気を遣うこともあって、ほとんど喫茶店で話すのが定番。

そして、会計の前にじゃんけんしてどちらが払うか決める。

そしてそのまま明石市立天文科学館に送ってもらい、恐らく40年ぶりくらいに
プラネタリウムを使った天文ショーを鑑賞。今月のお題は「北極星」・・・と
なっていたが、開始早々に息子の寝息が聞こえ、最後は自分が息子に起こされる
体たらくとなってしまった。学芸員の方、申し訳ありません。

 

<世界遺産>

兄の家に泊まって翌日は息子の目的地である姫路城。

ただ、今週は大気が不安定で西風が強い中、なにせ家が古くて隙間風もあり
布団に入るまでは寒くて仕方なかった。

明石駅で朝マック、JR姫路に到着してもなかなか風が冷たい。

そして、姫路駅から真正面に見える大天守なのだがこれが想像以上の距離。

インバウンドのご一行様と大手前通りをぞろぞろ歩いていくのだが、10分ほど
歩いてようやく大手門あたり、ここから色々と城内を巡って天守閣にたどり
つくまでいったい何時間かかるのだろうかと不安に思ってしまった。

結局、登城して帰ってくるまでに約2時間/15,000歩ほどかかった。

さらに城内の廊下を歩く際に上履きの用意がないために靴下の下の板ばり廊下が
冷たくて冷たくて底冷えがしてきた。

途中、千姫のお話とその女中たちの部屋があったが、こんな冷たいところで
どうやって過ごしていたのかばかり気になった。

その後、大天守閣に登ってから下城、市立動物園の門を過ぎて大手門をくぐると
なにやら怪しい雲が追いかけてきた。

案の定、御幸通りのアーケードに入ると雨音が聞こえてきた。

あまりに寒いので、実家の町内にある温浴施設に行こうかと息子に告げて
一旦帰宅してから、そのまま海岸沿いの温浴施設で温泉に浸かった。

生き返った。

1時間ほど温まって、そのままそこで夕飯をとってから、また風呂に浸かり
身体の芯を温めてから帰宅。

当夜は本当によく眠れた。

<後編に続く>

 

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今日は少し特別な日

2023年01月09日 | 子供たち

今日は娘の成人式。

誕生日は既に過ぎているのだが、この子たちが皆大人になったというお披露目の日だ。

そして、同時に長男の誕生日もあって娘が「お姉さん」になったころのことを思い出させる。

母親が出産にあたって1週間ほど入院、初めて母親のいない暮らしをしていた長女は
ずいぶんストレスがあったようで、父は当時のブログにその有様を書き残している。

出産に際しては、奥さんの父母が助っ人としてきてくれていたのだが、自分が仕事から帰ると
娘はずっと話し続け、その日のことを何度も聞かせてくれ、離してくれなかったようだ。

そのまま父親が寝かしつけても暴れてしまい大騒動だったと書いている。

結局、夜中になって「ごめんね」と寝言のように謝ってくれるのだが、明け方にはまた
布団から父親を蹴りだしてしまったというお話。

宮崎で、そんなことがあってからもう17年。

コロナ禍にもかかわらず、昨年娘は少しの間、メルボルンで暮らし息子は高校生活をおう歌している。

二人とも無事に育ってくれた。

母も父も少し歳をとったが、まだまだ元気に暮らしている。

家族全員が無事に暮らせているということはすごくありがたいことだ。

 

1月9日は、当家にとっては少し特別な家族の日だ。

 

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長女が留学

2022年08月09日 | 子供たち

先週金曜日から夏休みとさせてもらっている。

大したところに出かけることもなく、昨日は短期留学にでる長女を送るために
成田空港まで車を走らせた。

久しぶりの空港はCovid-19の影響からか閑古鳥が鳴いているようだった。

事前に、そんな状況をつかんでいたので空港ではなく、途中で昼食を摂ったのだが
実際に空港内部がこんなに閑散としているとは思わなかった。

長女は、所属する大学のあっせんで豪州メルボルンで1ケ月ほど語学学校に通うのだが
4月にリーフレットを持ち帰ったときにはまさか参加することになるとは思っておらず
泣いてよろこんでいた。

恐らく学校でリーフレットを見つけて、ホームステイする自分を想像して「無理無理」と
あきらめていたのだろう。確かに一般の旅行に比べれば高額で奥さんも自分にみせながら
半分無理目な相談のように話していた。

だが、学校のあっせんであれば少しは安心だし、必ず留学させようと思っていたので
自分の中ではほぼ即決だった。短期というのが残念だけれどここはいたし方ない。

「留学、行っといでよ」といったとたんに長女が顔をほころばせた。

それからは初めての海外にワクワクドキドキで語っていた。

そして、ようやく今日の日になった。

フライトは翌日の午前11時なのだが、全員前日集合で前泊するのだそうだ。

シンガポールに7時間かけてたどりつたら、そこで4時間ほどかけてトランジットして、
また7時間ほど飛ぶのだそうだ。

自分は海外にも3回しかいったことはないし、乗り継ぎなどはまったく経験もないので
どんな感じかよくわからずアドバイスもできない。

ただ、南半球は真冬なので風邪などひかぬことを願うだけだ。

自分は、93年ごろにシカゴで働いていた友人に誘われて米国に出かけたのが初めての
海外だった。

友人の奥さんが、生まれたばかりの娘さんを連れて西宮に帰省し、シカゴの自宅に帰える
のをサポートしてやってくれよというリクエストにお応えして同道した。

成田で待ち合わせた飛行機は北に向かいアリューシャン列島の上を飛んでいく。

アラスカの方からシカゴに行くんだと言われてもピンとこず、CAの方に「下に見える
のがユーコン川ですよ」と教えてもらって初めてアメリカの上にいることに気が付いた。

以降、新婚旅行でオアフからロス、勤続15周年記念で豪州ケアンズに行ったのが全て。

最初の渡航がツアーではなくて、友人に現地の作法を教えてもらいながら旅したので
その後も自分で色々と手配して旅した。

新婚旅行で、オアフからロスまでのチケットをリコンファームするのだが、アラモアナ
シヨッピングセンターをうろついているときにハワイアン航空のカウンターがあって
「リコンファームできるか」と尋ねたら「Of Course」というのでさっさと処理してもら
った。

また、ロスに渡ってから最初のホテルで空調がおかしく、フロントに電話して修理の人を
呼んて調整してもらい、普通にお礼を言ってティップを渡してた。

ユニバーサルスタジオからはもう時間的に遅かったので、ホテルまでタクったのだが
運転手に頼んで途中の大きなドラックストアに寄ってもらい歯磨き粉とシーブリーズを
買った。その間、駐車場で待ってもらったのだが、そういう交渉や依頼は得意なほうだ。

こういうことを平然としていると、奥さんは何故そんなに慣れているかと云う。

そんなに旅慣れているわけではなくて普通のことだと思うのだが、不思議そうに云われる。

ケアンズではゴルフ場も自分で予約した。

また、観光地出会った子供たちと仲良くしゃべった。子供と話していると親たちも気軽に
声をかけてくる。もちろん70%は聞き取れないが、話の流れと表情でわずか30%でも
十分にコミュニケーションは成り立つ。

長女にもそんなところがあって、今回も「太い」ところを披露して逸話の一つも持ち
帰ってほしいところだが、親としてはそれよりも「万事、無事に済みますように」と
願う気持ちでいっぱいだ。

「万事、無事」を祈願するためではないが、成田方面に出かけることもあまりないので
帰り道に成田山新勝寺を訪ねた。

平日の午後、猛暑の中で訪れている人も少なく、境内を散策したのちに鐘の音に誘われて
15時に行われる御護摩に同席させていただいた。

不動明王をおまつりし、その面前で護摩をたく。

薄暗い本堂を通り抜ける風が心地よく、その中を護摩と線香のにおいが漂う。

 

さて、新勝寺を辞して自宅に帰るまでは1.5時間ほどでとにかく順調だった。

幕張新都心、東京ディスニーリゾートと見慣れた風景を横目に見ながら、コロナ禍に
も関わらずなんとか旅立てることとなった長女のことを思い、ホッとした。

一月後、どんな顔で成田空港のゲートから出てくるのか、迎えに来るのが楽しみだ。

 

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