Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

今年もあと1/4

2018年09月30日 | 単身赴任



今年も残すところあと1/4
相変わらず色んなところにでかけてきたが、バタバタとしているうちに終わってしまいそう
8月は沖縄旅行という我が家にとっては大きなイベントがあり、9月は少しおとなしく
していた

二回の連休も一度だけ自宅に帰り、あとは大阪にいた
大阪にいた週末、思い出ドライブのあと、このままだと体がなまると思い
散歩方々六甲山系にでかけてみた

阪急岡本駅から保久良神社に参って、風吹岩まで周ってみた
このところ、足腰とも使っていなかったので最初はこたえた
湿度が高くて汗が飛ばない、ダラダラとT-Shirtやパンツに染み込むばかり
どんどん着衣が重くなっていくのでたまらなかった

なんとか風吹岩まで到達、普段ならハイキングコースのはず
息を切らしているのが恥ずかしかった







大阪湾を見下ろしてしばし休憩
ボーっと生きていても仕方ないので、地図を広げて帰路を考える
ロックガーデンから芦屋川駅に降りるのが順当なコースのように見えたが
岩場を下るのは、登ってくる方にとっては迷惑かなと思い、魚屋道から降りることにした
途中、ところどころにキノコたち





夏が終わり、彼らが成長する季節になったのだろう
皆、精一杯に背伸びしている
まだ、どこかでツクツクボウシが鳴いている



麓まで下りたら急に黒い雲が拡がりだした
傘は持ってきたが、降られるのは面白くない
さてさて、登山道の入り口で新しいT-Shirtとジャージに着替え
駅へと急ぐ

公園をショートカットしようとしたら花壇で食事中のツマグロヒョウモンが
「また来いよ」と送ってくれた



ちらちらと通り過ぎる


大阪での仕事ではあまりいい思いをしていない
たいして仲間も増えない中で、孤軍奮闘の状態が続く
そろそろ歳も歳になってきたので、大阪からは退きたいところだ
なので、この秋は時間の空く限り六甲や須磨、明石を巡りたい




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分割民営化・・して誰が便利になったんだろう

2018年09月22日 | 単身赴任

外国人旅行者がこんなに増えて、口々にクレームとなっているのが新幹線
大阪から東北に行く際、何故東京駅でつながっていないのか

あそこを分断することで誰にどんなメリットがあったのだろう
もっと言うと、田舎JR東海が東海道新幹線を運営しているために
切符では「東京都区内」で新幹線降車後もJR線が使えるのだが
Jr東海のEXカードだと、新幹線の駅で終了

一見便利そうに見えるし、高い割引率にはなっているけれど
どうなんだろう

もうひとつ

父は単身赴任中なので、時々早朝に新横浜駅から新幹線を利用する
ときにはキャリーバッグ、ときにはリュック型のカバンを持参するが
新横浜駅の下りホームにあがるには階段をえっちらおっちら上っている

エスカレーターは「下り」なので使えない
あの時間に東京や品川から乗車して新横浜で降車する乗客がいったい
何人いる想定であの運用なのだろう

あの時間帯でなくとも、東京や品川から新幹線で新横浜にくるVIPへの
対応なのだろうか



JR東海の方々に告ぐ(特に名古屋で)、ボーっと生きてんじゃねーよ。

 


別件で



父の単身赴任先は関西

引越し後にインターネットの無線環境が悪かったのでNTTの固定線(光)を
利用すべく申し込んだ

NTT西日本とNTT東日本は別の会社なのであらためて色んな費用がかかる
当然契約も別、分割民営化によって両社はNTTコミュニケーションズやNTT
ドコモとは競合関係にあるらしいが、固定線の世界ではただ並立している
だけだ

そして、さまざまな割引による数年しばりの低廉料金を提示していた
仕方なく契約して二年経過、どうしようか迷っている

後段はただのグチ、前段部分は今更どうしようもない話
中段の新横浜駅・・・・なんとかなるだろ?



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思い出ドライブ

2018年09月17日 | 単身赴任

この連休、土曜日は何もせずにごろごろ

日曜日はレンタカーを借り父の墓参りと母の見舞いに行ってきた
早朝に借り受けて混雑もなく、時間にも余裕があったので、ほとんど
高速道路を使わなかった

今回は思い出の場所を制覇しておこうと、まず大学の現状を覗きに
阪急岡本駅周辺までドライブ
いやいや震災以降、どんどん新しくなっていったようで見違えるばかり
のキレイなキャンパスになっていた(それでも西校舎の一部は父の時代
のものだったが・・・)

そこから六甲山頂を目指した
学生自体、何度も何度も走った道・・・表六甲有料道路
現在は無料開放されているが、前回の台風で一部通行止めや工事区間
となっていた

当初の予定では丁字が辻から左折して、六甲山牧場から再度山の方に
回ってこようと考えていたが、牧場のところで通行止めとなっていた
残念だが、仕方ない

そこから来た道をそのまま戻り、麓から青谷を抜けて新神戸、加納町
から県庁、大倉山、上沢通、長田を左折して父のお墓へ

お墓参りは久しぶりだったので、丁寧に参って花を供えておいた
本来は来週の彼岸に来るべきなのだが、来週は自宅に戻るので
母親の見舞いついでに先に済ませてもらった

長田から高松線、二号線では海沿いを快走
休日の朝は渋滞がないのがよい
塩屋から垂水へ、途中の平磯は父が子供のころには埋め立てられておらず
冬場はすさまじく風当たりの強いところで自転車で須磨模型に行ったかえ
りには苦労したものだ

垂水から舞子、朝霧からは浜国道、月照寺の脇から太寺の方に周ってみた
いずれも子供のころの思い出がいっぱいある道、少し細い道に入ってみて
友達の家だったところを懐かしんだ

さてさて、余りゆっくりしていると買い物時間がなくなるので、そのまま
加古郡稲美町の母の病院へ
途中、靴のヒラキで買い物をしたが、特に安いものはなく残念


実は、今月初めの父親の命日に帰宅したとき、母親たちの元気だったころの
写真をケータイに収めておいた
母親は既に言葉は失っているが、会話の意味は分かっているらしいと兄が
云っていたので、これを見せた時にどんな表情になるのか試してみたかった

母は、ハワイに行ったときの写真、父と並んで映っている写真、孫たちの
写っている写真、それぞれに頷き表情を変えた
特に仕事仲間とハワイに行った時の写真は普段閉じている左目も開いて
じっと見つめてから頷いていた

わかるんだ、まだ色々わかるんだ

自然に涙が出てきた

そのまますーっと眠ってしまったので、母の見舞いはここまで

帰路も思い出の道、土山から二見に抜けて明姫幹線を東に西明石で右折し
明石駅前に戻った

ドライブの間、ずっとラジオ関西やMBSを掛けていたのだが、三時前後の
道路情報で阪神高速神戸線が11kmほど渋滞しているという
ここが混むとき、神戸を東に抜けるには相当時間かかかる
レンタカーを返す時間が気になる
ナビは渋滞情報を参考にして、阪神高速北線から中国道の方に抜けて江坂
まで帰れという
高速代はもったいないが致し方ない、万が一返却が遅れるのも癪だ

永井谷から高速にのると非ETCなので1,300円も取られた
このままずっと高速でいくと相当な料金負担となる
そこで、唐櫃から六甲トンネルを抜けて、東灘区から山手幹線で帰る
こととしてナビをぶち切った
確かに、六甲山トンネル登る道も思い出の道と云えば、思い出の道だ
(大きな声では云えないけれど)


さてさて作戦は成功し、トンネル通行料金210円で済ませてなんとか
江坂まで帰ってきた、都合197kmのドライブ

運転ばかりで疲れていたので、風呂に入って少し晩酌したらそのまま
眠ってしまった
2時ころ目覚めたけれど、これでは休日が充実しないので、翌朝は長
距離散歩か登山にいくことを決めてもう一度目を閉じた






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あの夏、鳥取の海

2018年09月15日 | つれづれ




鳥取県倉吉市に江北という場所がある
縁あって、そこに二回ほど行ったことがある
こう言っては大変失礼なのだが、なにがあるというところでもない
何があるかというと、学生時代にお世話になった方のお宅がある

父は、学生時代の大半を神戸そごうの新在家配送センターのバイト
に通っていた

お中元やお歳暮に送られる食品の包装を担当していたのだが、それ
ぞれ名前を書いた熨斗を貼って発送しなければならないときがあり
その名前を見事な毛筆で書く方を「筆耕さん」と読んでいた
筆耕さんは二人おられ、藤井さんと内山さんとおっしゃった

だいたい中高年の女性なのだが、新在家ではいつも同じ方がこられ
ていたのだが、藤井さんのご自宅、と云ってもご主人がリタイヤさ
れてから夫婦で移り住むために建てられたお家が江北にあった


大学4年生の夏、特に旅行に行くでもなくだらだらと暑い配送セン
ターにバイトに来ている父たちを見かねて、藤井さんが「鳥取に行
って海水浴でもしてきたらいい」と勧めてくれた

まだ、その方は新築の家に住んでおらず警察官であるご子息がひとり
で風通しのために行っているが、すぐに帰ってくるので、入れ違いに
行って来ればよいというのだ

お言葉に甘えて、当時のバイト仲間数人で泊まりにでかけた
4年生は甲南1名、関大2名
後輩は近大1名、大阪学院2名
中国道院庄ICから人形峠を越えて、確かずいぶん遠かったのだが、当時の
愛車/ファミリアターボを飛ばして行ってきた

昼は宇野海岸というところで海水浴、夜は地元で入手した牛肉で焼肉宴会
で冷たいビールで日焼けしてヒリヒリした肌を冷やしながら楽しんだ
ゆく夏を惜しむように、気に合った仲間たちで気ままな"別荘ライフ"を過
ごさせていただき、大変感謝した

数年後、会社努めを初めてからのこと
夏休みツーリングで、日本海までいくこととなり、藤井さんのお宅に立ち寄
ってみた
突然の往訪にもかかわらず再会を喜んでいただいた上、泊っていけといって
くれたので、懐かしい"別荘"に泊めていただいた
ご主人にも歓待していただき、何よりも同居している十数匹のネコたちにも
歓迎された

最初は宅内を自由気ままに動き回るネコたちに戸惑ったが、折角用意して
いただいたお寿司のネタをかっさらって叱られているのを見て、なんだか
お孫さんたちのようで慣れてしまった

その時に話されていた話

実のところ、藤井さんは前年の秋、大病を患って神戸の病院で手術を受けた
のだという
一回目の手術の結果が芳しくなく、再度手術することとなったのだが、もう
体力もなく、二度ほど病棟で意識を失ってはご主人の呼びかけと医師の手当
で帰ってきた

生死をさまよって、なんだかこのまま死んでしまうような気がしたという

結果的に手術は成功し、なんとか体力も戻って江北に帰ってこられた

だが、どうしたことか古参のネコが二匹いない
数日経っても現れない

藤井さんは、二度意識が戻ったのはあの子たちが身代わりになってくれた
のだといい、長くネコを飼っている方と話すとこういう話はよく聞くの
だという


父は、その次の夏にネコを飼っていた彼女にふられ
そのまた次の夏を待たずに、東京に転勤になった
転勤してからも達筆の年賀状や暑中見舞いをいただき、独り身でふらふら
している父のことをずいぶん心配していただいた

いただく年賀状の達筆が少しくずれ始めたと思ったところ、暑中見舞いは
ご主人からいただき、藤井さんの訃報を知った

父が今、人前で恥ずかしくなく文字が書けるのは、この藤井さんともう一つ
のバイト先である学習塾の中平先生のおかげだ

父は、決して偏差値の高い学校には行けなかったけれど
あの頃、いろんなところで出会った人たちに色んなことを教わって
家族を養っていける程度の教養は身につけた
父は、何事も人より少し時間をかけてしまうが、それも悪くない

寄り道は人生を少し豊にしてくれる





ひー君

寄り道OK、よそ見けっこう、なにか他人と違うこと
それが大事

 

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沖縄 その後

2018年09月02日 | 子供たち

沖縄最終日は朝から晴れてくれた

ゆっくり朝食をとってビーチでひと泳ぎ、午後は那覇に向かおうと考えていたら
奥さんがどうしても万座毛をみたいという
大したもんはないよと云っても、やっぱり行きたいという

それなら朝食後、すぐにでなければ
なんせ最終日なんだから時間に余裕がない
駆け足で観光を終えて、ビーチへ

昨日は家族全員でドラゴンボートに乗ってみたので
今日は男女に分かれてエクストリームに

うつ伏せ状態で引っ張られるので、どうしても肘を
突っ伏してしまい、父は少し擦りむいたほど

それにしてもジェット系の乗り物はすごい

大海原を駆け巡って楽しいことこの上ない



海から上がって、少しプールで泳いで、大浴場でひと風呂浴びて
残波岬は終了

少し時間に余裕があるかと思って国道経由で那覇市内に向かった
子供たちに「基地」を見せたかったのだ
ここに外国がある不思議さ、戦争のための基地が泰然と存在していることを
見せたかったのだ

が、結果的にここでの渋滞が響いて、最後の国際通りが短時間になってしまった

いつもそうだが、貧乏性であり旅行にでてもあれもこれもと欲張ってしまう

「ゆっくりすること」にもう少し慣れなければリゾートは楽しめない




沖縄の海、きれいな海、この海がこれからはずっと平和でありますように。
Thanks a lot , Okinawan sea is one of the best memory of our life. 



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