Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

山はしろがね

2010年01月26日 | 子供たち
5年ぶりに泊りがけでスキーに行ってきた
宮崎県下にも五ヶ瀬というところにスキー場があったが
まぁなかなか行けるところではないので
東京/大阪に帰ったら本格的なスキーに行こうと決めていた

今年は例年になく雪の多い冬で、大雪を危惧していたが
なんのことはない
初日こそ、渋滞を抜けても曇天から降雪であまりいい
コンディションではなかったが、午後になって姫さまと
王子をスキースクールに放り込むとなぜか雪もやんで
そこそこの状態になった

翌日にはもう姫さまは一人でリフトに乗れるようになり
ボーゲンをこなして緩斜面をゆうゆうと滑ってくるようになった



子供たちの吸収力はすごくて、王子も先生に連れられていきなり
リフト1本上がって滑ってきた


いずれにしても、天気予報に反して日曜日の上越地区はピーカン!
いやはや5年ぶりの上越湯沢方面だったけれど最高でした



全員一致で2月にもスキー旅行に行くことになってしまった



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【読了】 海へ 南木佳士

2010年01月22日 | 読書
最近読んでいる本は大抵Book-Offで仕入れている
当然のことながら古本となっているのでずいぶん
安く仕入れてくるのだが、この小説も単行本で
105だった

価格と小説に因果関係はない

前回、浅田次郎で素直に泣かせてもらったあとに
南木佳士なので陰鬱となること必至なのだが、存
外に期待を裏切る「明るさ」があったように思う

南木佳士といえば、
多くの末期癌患者を見取って精神を病んでしまっ
た信州の医師が自らの精神の闇を砕いていくよう
な小説が思い浮かぶ
本編もそこから始まるものの一人の少女との邂逅
からわずかばかりの光を得る物語となっている

話は変わってしまうが南木の勤める病院は佐久総
合病院であり、本名で調べると現在も内科の外来
にその名前を見つけることができる

ずいぶん前のことなので記憶が曖昧だが、単車愛
好の仲間で蓼科でスキーをした時、ある先輩が滑
走中の事故で脊髄の圧迫骨折になり搬送されたの
が佐久市の方の救急外来だったように思う
佐久総合病院でないのは確かだが、信州の方で病
院ときくとそればかり思い出してしまう
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【読了】 月島慕情 浅田次郎

2010年01月17日 | 読書
泣きたいときには浅田次郎

「長崎ぶらぶら節」の冒頭、貧しい漁村から長崎に売られる
少女が女衒に連れられて長崎に向かう場面がある
今でこそ「格差」は問題とされるが、太平洋戦争以前の世界
では「格差」は当たり前に存在し人身売買も公然と社会の一
部に組み込まれていた

本作短編集のうち表題の「月島慕情」は寒村から吉原に売ら
れ、太夫にまでなった女が主人公
前述「--節」で緩んだ涙腺にまた売られていく少女の場面
から始められてしまった

うちの姫さまも7歳になり幼児から少女に変わってきた
こういう作品を読むとどうしても姫さまの姿が重なってきて
涙腺を刺激する(決して姫さまを売ったりはしないが)

しかし、数ある作家が毎年々々数多くの作品を発表するなかで
浅田次郎はどこでこれらの小説の種を仕込んでくるのだろうか
欧州の工房(ピニンファリーナやベルトーネ)のように、数人
の作家が浅田次郎ブランドで書いているのではないのかとも
思えてくるほどだ

浅田次郎で泣いたあと、ひさしぶりに「南木佳士」を手に取った
ひとしきり泣いたあとなので、今度は人生に悩もう
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旧友再会

2010年01月12日 | つれづれ
急な出張で出身地の明石に帰った
新横浜まで新幹線見物&見送りにきた王子は
(わずか1泊の別れに)号泣していたが
父を乗せたN700は快速を飛ばして新神戸に

実父の墓参りを済ませ、自宅に荷物をおき、私鉄で2駅
待ち合わせ場所に着くと遠めにも懐かしい友人たちの顔が
判った

この歳になっても旧友との再会はうれしいものであり
会えただけで笑顔がほころぶ
仕事のこと、単車のこと、家族のことなど話はつきない
少しビールを飲んだあと、あっと言う間に焼酎も空になった

旧友再会、こんな自分でも懐かしんでくれる友人たちがいると
いうことは幸せなことだ

もう一つ

取引先に通ううちに、その昔高校時代の後輩がその会社に就職する
ような話をしていたのを思い出し、担当の方にきいてみたところ

「その人は、おそらく私の指導員だと思う」と意外な展開になった

後日、その窓口担当者からやはりそうであったとのメールをいただいた
加えて、今回の出張に際してはその後輩の出勤日まで調べてくれた

今日、昼過ぎにその店に寄ってみた

店内に入ったところで女性店員が「いらっとしゃいませ」と丁寧に
出迎えてくれ、彼の名前を告げようとした瞬間

衝立の陰から彼が現れ、名乗るまもなく

「うわあ、ご無沙汰しています。久しぶりですねぇ。」と

幸せなことに顔はちゃんと覚えていてくれたようたった

彼もまた相変わらずの長身、天然パーマのごつい髪で変わっていなかった
15分ほど近況と経緯について話し、その場を後にした

今度は25日に来てくれと云われているといったところ
その日は出勤しており、是非寄ってくれという

旧友再会

やはり故郷はよい


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【読了】 長崎ぶらぶら節

2010年01月09日 | 読書
表題通り長崎を舞台にした作品であり、直木賞後に吉永小百合主演で映画化もされている
作品の舞台となる料亭「花月」は実在のものであり、主人公「愛八」もまた実在の芸妓である

今回実読するまで、この作品に関する知識は全くなかったし
映画もDVDも見ていなかったが、書店でふと手に取り読み始めてしまった



わずか5年の間ではあったが、九州に住んでいたので、なんとなく長崎の言葉
イントネーションなども素直に浮かび、立ち読みしている最中から登場人物たちが生き生きと話を進めてくれた

言葉には神が宿っているという
どんな物語であれ、その言葉やイントネーションからいろんな背景が浮かぶものだ
それは土地であり歴史である

昨春まで5年ほど宮崎に住んでいて九州の言葉には抵抗がない
さらに幸運だったことに、博多出身の同期生がちょうど福岡勤務となっており
福岡出張のときには、地元オンリーの店などに連れて行ってもらえたことから
博多弁の会話も生で吸収できた

九州は山地で区切られたいくつもの国がある珍しい土地であり、九州として
ひとくくりにしてしまうことはできない
関西人からすれば似た言葉もひとやま超えれば違うものだという
実際、宮崎にいても都城方面から北上していく中で薩摩系、児湯系、日向系と
言葉は変わってくるし、当然のことながら気質も変わってくる

本作品はそういった背景もあって、自分にとって頭の中に素直に舞台が用意できた作品であり
作品の秀逸よりも背景によって心に響いた佳作だった

「綺麗かやだろう。ゲンジボタルたい。長崎がおうちば歓迎しとるとやかね。」
「嬉しか」

もう一度じっくりと長崎に行きたくなった
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