Remains of The Accidents

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宮崎に行ってきた

2016年11月20日 | 宮崎

出張で、実に8年ぶりに宮崎に行ってきた
空港からJRでいきなり県北に向かって、これまた
引き継ぎで挨拶に寄って以来のお客さんに会った
ありがたいことに父のことを覚えてくれており、実に
懐かしく、されど今回は新しい商材について話を進めた

そこから、県央の新規先に立ち寄って宮崎市内に戻っ
たのだが、東九州自動車道がつながってすごく早く
移動できるようになっていた
ずいぶんな費用をかけて開通させた道路であり、紆余
曲折の次第は宮崎に住んでいたころ、よく耳にした

宮崎市はもともと人口20数万人の地方都市、町村
合併があったので人口が増えたとするひとがいたが
あくまで合併によるものだと思う
そんな地方都市なのに県庁所在地であることから
ほとんどの施設が市立のものと県立のものがあり
インフラは必要にして十分にあるのがよいところ

夜、通称「ニシタチ」とよばれる飲食街で、古くからの取引先の役員と会食した
会長・社長が不在ということで残念に思っていたら、逆にその専務さんが歓待してくれた。
えびのの焼酎を酌み交わし、あっという間に五合瓶を空にしてしまった
専務さんは今月で退任されるとのことで本来であればこちらから送別会をしなければ
ならないところだったのだが、若造に奢らせるような方ではなく二軒目まで財布に手を
かけさせなかった

このあたりは地方企業といいながらも、地場一流の矜持なのだろう



明けて昨日は朝から旧知の会社に寄って旧交を温めた

入口にはいる前、ガラス戸の内側から受付の女性が驚いて飛び出てこられた
8年ぶりの面談、その間、一度の連絡もしたことがないのに、覚えていてくれたのだ
事務所では中からぞくぞくと懐かしい顔ぶれが集まってくれる
往訪することは伝えていなかったのだが、皆、変わらない笑顔で迎えてくれた
宮崎はやはり良いところだ

サウスホスピタリティは微塵も消えていない

さて、一通り仕事を終えておやつ時にはフリーになった
帰路につく飛行機の便まで時間がっあったので、一度立ち寄ってみたいと思っていた旧宅を覗いてみた
当時住んでいたマンションはちょうど大規模修繕を行っていて周囲に足場が組まれていて近づけない
玄関のところで少し懐かしんで何気なく中を覗いてみたら7階の友人がロビーに立っていた
自動ドアのすきまから声をかけると驚いて寄ってきてくれた
かれこれ年賀状のやりとりだけになって8年、まさかもう一度顔を見るとは思っていなかった
お互いに歳を重ねて、子供も中学を卒業するまでになっている

いつかいつかと思っていた宮崎への出張であったが、同時にいろんなことも思い出した旅だった

ただ、仕事の反応が悪くなく宿題ももらっていることから来月にでももう一度やってくることになる
懐かしさが現実の仕事になれば、いたずらに宮崎で仕事をしていたわけではないことを証明できる

コメント
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