休暇をとってゆっくりしてたら、携帯電話が鳴っている。
宮崎時代の取引先、というより無邪気な友人の名前が表示されている。
どうせ押し間違えたのだろうとやり過ごした。
もう宮崎を後にして15年になるのだから、よほどのことでない限り用事はなかろう。
放置していたら、また鳴りだした。なにか用があるのだろうかと訝りながら電話に出てみた。
元気な声で名乗るところは15年前と同じ、どんげしたぁ?とこちらも少し訛ってしまう。
懐かしさがこみあげてきて、話がはずんだ。
どうやらあの頃懇意にしていただていたある会社の社長さんが、私の話を聞きたいと言ってるが
電話番号を教えてもいいかという内容だった。
こちらも相当世話になった社長さんなので、この件は快諾した。
逆に近況を尋ねてみると、皆元気にやっていると云う。
こっちはもうそろそろ定年退職だと告げると驚いていた。
宮崎には来んとですか。と直球のメッセージを飛ばしてくる。
自分も、定年は節目なので当時お世話になった方々に挨拶して周ろうかと考えていたところだった。
2月の宮崎はホテルが満杯。今年はWBCの合宿もあるのでなおさらという。
オープン戦が始まるころに一回行こうかねぇ、と告げて久しぶりの会話は終わった。
年末から地味に想像していた宮崎旅行だが、どうやら本当に行かなくてはならなくなったようだ。
西橘、地鶏、焼酎くれが自分を待っている。
そして隙があれば自分の移住先を探してみたいものだ。
この先、宮崎の郊外で少しの畑を耕しながら単車を磨いて過ごすのもよいかもしれない。
宮崎の郊外ならば、空港までは30分。飛び立って羽田まで1.5時間、羽田からは1時間で帰宅できる。
足腰が健全なうちに田舎に引きこもりたいと思った。
それにしても、宮崎の人たちが自分のことを覚えていてくれただけでなんとも嬉しいものだ。
話は変わるが、先月の終わりに奥さんとでかけた神代植物公園で「沈丁花」の鉢を手に入れた。
売り場のおばさんが「なんにもしなくても丈夫に咲くよ」といっていたので気軽だ。
以前も書いたが、明石の実家は玄関前に母親が植えつけた沈丁花があり、今も咲いている。
春先のころ、陽光を浴びて薫るとなんともいえない気分になる。
まだ小春日和というころに咲き、南側の部屋で内職をしている母親といっしょによくラジオを聴いていた。
内職を手伝いながらボーっとしているのがなんとも暖かい思い出だ。
自分にとっては沈丁花の香りは母親の香りだ。
昼までの授業を終えて帰宅する小学生の自分をやさしく迎えてくれる春の香りだ。
来月はその母親の命日だ。母親は沈丁花の残り香の中、旅立った。
明石も、宮崎も、いまさら一人で帰ってもなにもないのだが、偶然の出来事から
最後にもう一度訪ねてみたくなった。
春の日差しはノスタルジックだ。