6月15日

2009-06-14 23:44:13 | Weblog

        ( 禊萩・みそはぎ・盆花 )

 

にぎやかに盆花濡るる嶽のもと        飯田蛇笏

 

みそ萩のはつはつ咲いて草の丈        滝 春一

 

家遠しみそ萩つむは孤児か                      幸田露伴

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6月14日

2009-06-14 00:30:36 | Weblog

      ( 大山蓮華 )

 

うつむきて大山蓮華香りけり      久本 澄子

 

大山蓮華渓のくらさを鳴る水音     土屋紫信

 

大和にどこか大山蓮華見て忘る     森澄雄

 

  ☆ 1940年の6月14日隅田川に勝鬨橋が開通しました。
   また,今日は築地波除稲荷神社のお祭の最終日です。築地を訪れた方には
 あの大きな獅子頭を思い出されるでしょう。あの雌雄一対の獅子頭が担がれます

 

    勝鬨橋梁撥ね上りたり炎夏 永井龍男

 

昨日、ブログに桜桃忌の句の鑑賞を書いていながらふと気づいたことに
鑑賞は予備知識が必要か否かということでした。
結社誌などにある鑑賞文はそれなりに必要にもおもいますが、
誰が詠もうと,一句は一句。色々な文献を読んでも今だ高名な俳人の数句の
句意を書けないものがあるそうです。
私も虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」という有名な一句の良さが
分からないのです。勉強不足といえば返す言葉もないのですが・・・
他にも数多くあります。
俳句作者の感性はその生い立ち,生き様に、同じく鑑賞者の捉える感性も
同じで、当然ながら鑑賞に正解を出すのは作者だけなのだろうと思います。
ころころ流の考えでは俳句の上達の一つの学びに鑑賞を書くという作業が
絶対に必要に思っています。間違ったら笑われるなどと思わず、自分流の
鑑賞を是非心がけてみては如何でしょうか





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