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つりがねずいせん(赤塚植物園)
昨日は一番楽しみの「八雲句会」GWもあいまって3名の欠席でしたが、
事前投句、締切り、当日選句発表、名乗りとなり句会は充実しておりました。
立夏ともなり爽やかな風の中での散歩、広場でのおしゃべりに充分時間を
費やして、尚且つ近くの区立美術館でバスを待つ間の鑑賞。
句会場には1時間後れの到着となりました。 ふぅ~
私は選句モードに入るとひとり言が多くなると家族の者に言われますが、
そりゃあ、内容が濃い証拠!パスしたくなるようなお句も全く無いわけでは
有りませんが(失礼)それは私にも言えること、でも自分が可愛い!!!
「この季語の斡旋はないでしょう・・」「韻がなぁ・・・」「うまい!」
「どういう意味?」「はぁ?」 きっとこんな事を言っていると思いますが・・
まあ逆選はPC上の文章にすると角が立つので、出来るだけお顔の見える場所で
しなくてはいけませんが。多少誉めることで欠席裁判にならぬよう心がけて・・と
{かに座、A型の行き届いた心配り)
まずは縄さん
拝復の後は続かぬ夏隣
旨いなぁ、夏隣という季語をもってこられた手柄でしょうね。新年、盆、立夏、
立春等など、体感と関係なく暦に従った手紙、葉書ならお決まりの時候の挨拶が
有りますが、今の時期の書簡には書き出しから詰まりますね。「確かに」と思わされ
ました。 ホームランです。
しかし、
いかなごを噛んで産み月ずっと先
もし、女性が詠んでいたり、数ヶ月後に祖父母になると言うのなら善意の解釈で
セーフ。しかしこのお句なら、ころころだって産み月ずっと?永遠に?先ざんしょ?
てな訳で、同一作者はホームランバッターゆえに三振もするのであります。
つぎにみー様
門前のおやきほほばる遠足子
良かったですよ。頂きました。一連不可も無いのですが
明石灘いかなご漁の船あまた
との違いは前句が絵手紙、後句が絵はがきなんです。これは私の主観ですがね。
でもいつも句は丹精で好感度は一番です。
つぎはU様
いかなごや手に盛りくれし島男
私は頂きました。市場でしょうか?船着場でしょうか?じっと水揚げを見ている
作者に「おう、これいかなご。旨いぞ食ってみな・・」なんて聞こえてきそうでした。
しかし連衆の中のご意見に「や」は少しおかしいと言う意見もありました。
でも結構でした。◎
昨日は一番楽しみの「八雲句会」GWもあいまって3名の欠席でしたが、
事前投句、締切り、当日選句発表、名乗りとなり句会は充実しておりました。
立夏ともなり爽やかな風の中での散歩、広場でのおしゃべりに充分時間を
費やして、尚且つ近くの区立美術館でバスを待つ間の鑑賞。
句会場には1時間後れの到着となりました。 ふぅ~
私は選句モードに入るとひとり言が多くなると家族の者に言われますが、
そりゃあ、内容が濃い証拠!パスしたくなるようなお句も全く無いわけでは
有りませんが(失礼)それは私にも言えること、でも自分が可愛い!!!
「この季語の斡旋はないでしょう・・」「韻がなぁ・・・」「うまい!」
「どういう意味?」「はぁ?」 きっとこんな事を言っていると思いますが・・
まあ逆選はPC上の文章にすると角が立つので、出来るだけお顔の見える場所で
しなくてはいけませんが。多少誉めることで欠席裁判にならぬよう心がけて・・と
{かに座、A型の行き届いた心配り)
まずは縄さん
拝復の後は続かぬ夏隣
旨いなぁ、夏隣という季語をもってこられた手柄でしょうね。新年、盆、立夏、
立春等など、体感と関係なく暦に従った手紙、葉書ならお決まりの時候の挨拶が
有りますが、今の時期の書簡には書き出しから詰まりますね。「確かに」と思わされ
ました。 ホームランです。
しかし、
いかなごを噛んで産み月ずっと先
もし、女性が詠んでいたり、数ヶ月後に祖父母になると言うのなら善意の解釈で
セーフ。しかしこのお句なら、ころころだって産み月ずっと?永遠に?先ざんしょ?
てな訳で、同一作者はホームランバッターゆえに三振もするのであります。
つぎにみー様
門前のおやきほほばる遠足子
良かったですよ。頂きました。一連不可も無いのですが
明石灘いかなご漁の船あまた
との違いは前句が絵手紙、後句が絵はがきなんです。これは私の主観ですがね。
でもいつも句は丹精で好感度は一番です。
つぎはU様
いかなごや手に盛りくれし島男
私は頂きました。市場でしょうか?船着場でしょうか?じっと水揚げを見ている
作者に「おう、これいかなご。旨いぞ食ってみな・・」なんて聞こえてきそうでした。
しかし連衆の中のご意見に「や」は少しおかしいと言う意見もありました。
でも結構でした。◎
第一子誕生の折、カミサンの両親は既に亡くなっていたので、数ヶ月前から私の実家に
預けることにした。私の両親はとても喜び
たぶん私のした最大の親孝行だったろう。
その頃を思い出しての句でした。
俳句は一人称ということですが、私は第三者を観察して詠むことが結構多いのです。(良いか悪いか知らないけれど。)
詠まずにいられない、印象的な人を見るとついね。
聞けば余計これは愛情溢れた御句ではありませんか。
「ずっと先」にすべての人が誕生を待つ心が溢れていますね。
当然第三者を観察して詠む場合も自分は存在すべきで
なりすましは佳い方向とは言えません。
ご本人がその気がなくてもなりすましに読めてしまうのは
やはり違うと思います。
八雲が上の逆選で本来ならば申し上げるべきでは無いの
かもしれませんね。
俳句としての「完成」は当然認めます。
私は時々未亡人になったり、少年になったりしていました。(;´Д`A ```
ある時、俳句は原則一人称ということを聞いて「ゲッ、そうなの?」となったことがあります。
そのことでネット上で質問したことがあるので、その書き込みを探したのですが、見つかりません。
答えは「原則としてそうだが、、、」というようなものでした。
この機会に反省し、初心に戻って基本的に原則を外さない句作りを意識します。
感謝。
みなさま、どうして席題があんなにお上手なのでしょう!!
ちなみに、おやきの句は吟行句、いかなご漁の句はでっちあげ句でした。
週刊誌、新聞と追っかけをしてた時代がありました。
ある時、婦人誌の女性だけの俳句大会に女性名で
投句し、受賞をしてしまったのです。
係りのかたからの電話にも出られず。結局辞退しか方法が
有りませんでした。そのつらさより、龍太さんを騙した
事を未だに悔やんでいます。
一人称のことを、土曜日以来ずっと考えました。確かに詠んでいるのは常に「私」だけれど、他者を読むということは・・・・。そして、きょう、ふと思ったのです。
「人間を対象とする写生」
そう考えてはいけないかしら。
こうやって、薄い皮を一枚づつ剥ぐように
学んで行けば、俳句感も見通し明るいものに
なって行くんだろうなあ。
うーむ、そういえば私は曖昧な句が多い。
俳句の味と俳諧の味かもしれませんね。
いかなごを噛むや産み月ずっと先
ならば曖昧ですがもう一人の人物の影が見えます。
絵の写生と俳句の写生の圧倒的違いは、
絵は鳥の目になって眼下を描いたり、蛙の目線で地上を
描いたり出来ますが俳句の場合の「だろう」「のやうに」
「ごとく」などと憶測の表現になってしまいます。
超結社俳句などでは自分が「蛙」でも許されるのでは
ないでしょうか?
いろいろな反響でお騒がせしましたが、ころころも
勉強中の身でありそれが結論ではありません。