句会後感

2006-05-07 09:50:44 | Weblog
     つりがねずいせん(赤塚植物園)

 昨日は一番楽しみの「八雲句会」GWもあいまって3名の欠席でしたが、
 事前投句、締切り、当日選句発表、名乗りとなり句会は充実しておりました。
 
 立夏ともなり爽やかな風の中での散歩、広場でのおしゃべりに充分時間を
 費やして、尚且つ近くの区立美術館でバスを待つ間の鑑賞。
 句会場には1時間後れの到着となりました。 ふぅ~

 私は選句モードに入るとひとり言が多くなると家族の者に言われますが、
 そりゃあ、内容が濃い証拠!パスしたくなるようなお句も全く無いわけでは
 有りませんが(失礼)それは私にも言えること、でも自分が可愛い!!!

 「この季語の斡旋はないでしょう・・」「韻がなぁ・・・」「うまい!」
 「どういう意味?」「はぁ?」 きっとこんな事を言っていると思いますが・・

 まあ逆選はPC上の文章にすると角が立つので、出来るだけお顔の見える場所で
 しなくてはいけませんが。多少誉めることで欠席裁判にならぬよう心がけて・・と
 {かに座、A型の行き届いた心配り)

 まずは縄さん
       拝復の後は続かぬ夏隣 
 旨いなぁ、夏隣という季語をもってこられた手柄でしょうね。新年、盆、立夏、
 立春等など、体感と関係なく暦に従った手紙、葉書ならお決まりの時候の挨拶が
 有りますが、今の時期の書簡には書き出しから詰まりますね。「確かに」と思わされ
 ました。 ホームランです。
 しかし、
       いかなごを噛んで産み月ずっと先
 もし、女性が詠んでいたり、数ヶ月後に祖父母になると言うのなら善意の解釈で
 セーフ。しかしこのお句なら、ころころだって産み月ずっと?永遠に?先ざんしょ?
 てな訳で、同一作者はホームランバッターゆえに三振もするのであります。

 つぎにみー様
       門前のおやきほほばる遠足子
 良かったですよ。頂きました。一連不可も無いのですが
       明石灘いかなご漁の船あまた
 との違いは前句が絵手紙、後句が絵はがきなんです。これは私の主観ですがね。
 でもいつも句は丹精で好感度は一番です。

 つぎはU様
       いかなごや手に盛りくれし島男
 私は頂きました。市場でしょうか?船着場でしょうか?じっと水揚げを見ている
 作者に「おう、これいかなご。旨いぞ食ってみな・・」なんて聞こえてきそうでした。
 しかし連衆の中のご意見に「や」は少しおかしいと言う意見もありました。
 でも結構でした。◎
   
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9 コメント

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逆選感謝 ()
2006-05-08 12:32:37
逆選であろうと、目にとめて頂いたのは嬉しい。

第一子誕生の折、カミサンの両親は既に亡くなっていたので、数ヶ月前から私の実家に

預けることにした。私の両親はとても喜び

たぶん私のした最大の親孝行だったろう。

その頃を思い出しての句でした。

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いかなごを噛んで・・ (まあまあ)
2006-05-08 17:45:59
私は頂きました。

俳句は一人称ということですが、私は第三者を観察して詠むことが結構多いのです。(良いか悪いか知らないけれど。)



詠まずにいられない、印象的な人を見るとついね。



聞けば余計これは愛情溢れた御句ではありませんか。

「ずっと先」にすべての人が誕生を待つ心が溢れていますね。



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それはそうかも知れないけど (ころころ)
2006-05-08 18:34:27
俳句を詠む場合、自分が何処にいるかは必須なのです。

当然第三者を観察して詠む場合も自分は存在すべきで

なりすましは佳い方向とは言えません。

ご本人がその気がなくてもなりすましに読めてしまうのは

やはり違うと思います。

八雲が上の逆選で本来ならば申し上げるべきでは無いの

かもしれませんね。

俳句としての「完成」は当然認めます。

返信する
なりすまし好き (まあまあ)
2006-05-08 21:00:26
反省します。



私は時々未亡人になったり、少年になったりしていました。(;´Д`A ```

ある時、俳句は原則一人称ということを聞いて「ゲッ、そうなの?」となったことがあります。



そのことでネット上で質問したことがあるので、その書き込みを探したのですが、見つかりません。

答えは「原則としてそうだが、、、」というようなものでした。



この機会に反省し、初心に戻って基本的に原則を外さない句作りを意識します。



感謝。
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ありがとうございます (みー)
2006-05-08 21:50:53
絵手紙と絵葉書・・・言い得て妙ですね。

みなさま、どうして席題があんなにお上手なのでしょう!!

ちなみに、おやきの句は吟行句、いかなご漁の句はでっちあげ句でした。
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その昔 (寛歩)
2006-05-08 21:58:02
昔々、その昔私は飯田龍太さんの選のある月刊誌、

週刊誌、新聞と追っかけをしてた時代がありました。

ある時、婦人誌の女性だけの俳句大会に女性名で

投句し、受賞をしてしまったのです。

係りのかたからの電話にも出られず。結局辞退しか方法が

有りませんでした。そのつらさより、龍太さんを騙した

事を未だに悔やんでいます。

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産み月ずっと先 (さばさば)
2006-05-09 16:54:41
いかなごを噛んでの御句に選をした一人として

一人称のことを、土曜日以来ずっと考えました。確かに詠んでいるのは常に「私」だけれど、他者を読むということは・・・・。そして、きょう、ふと思ったのです。



「人間を対象とする写生」

そう考えてはいけないかしら。

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俳句は原則一人称 ()
2006-05-09 17:45:02
知りませんでした。勉強になります。

こうやって、薄い皮を一枚づつ剥ぐように

学んで行けば、俳句感も見通し明るいものに

なって行くんだろうなあ。



うーむ、そういえば私は曖昧な句が多い。
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勿論OKですよ。 (ころころ)
2006-05-09 17:49:39
いかなごを噛んで産み月ずっと先



俳句の味と俳諧の味かもしれませんね。



いかなごを噛むや産み月ずっと先



ならば曖昧ですがもう一人の人物の影が見えます。

絵の写生と俳句の写生の圧倒的違いは、

絵は鳥の目になって眼下を描いたり、蛙の目線で地上を

描いたり出来ますが俳句の場合の「だろう」「のやうに」

「ごとく」などと憶測の表現になってしまいます。

超結社俳句などでは自分が「蛙」でも許されるのでは

ないでしょうか?

いろいろな反響でお騒がせしましたが、ころころも

勉強中の身でありそれが結論ではありません。





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