『脱原発とデモ そして、民主主義』瀬戸内 寂聴,鎌田 慧,柄谷 行人,落合 恵子,小出 裕章,平井 玄,坂本 龍一,田中 優子,武藤 類子,高橋 まこと,飯田 哲也,宮台 真司,いとう せいこう,小熊 英二,毛利 嘉孝,鶴見 済,稲葉 剛,松本 哉,山本 太郎,雨宮 処凛,山下 陽光,二木 信,中村 瑠南,原発いらない福島の女たち 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480864192/
図書館から借りたので備忘録として印象的な文章をメモしておいた。そのまま引用するのは問題があるかもしれないが、ここであらためて紹介する目的は著者らの趣旨から離れたものではないと(勝手に)考える。一文だけで全てを伝えられるものではないので、是非本を入手するか図書館から借りるなどして、一読されることをお勧めしたい。
つい1年前まで、(ニュアンスの差はあれ)原発全廃という道筋が確かに私たちの目の前に見えていた。この本がただ埋もれてしまった歴史を記録するだけの意味しか持たないのか、あらためてその道筋の在り処を照らしてくれる松明になるのかは、読者一人一人に委ねられている。
2011年4月から2012年9月までに各地のデモにおけるスピーチと寄せられたコメント、対談から構成されている。ちょうど秘密保護法をめぐって、自民党石破幹事長の「デモはテロ」ブログが問題となり、強行採決に反対する国会周辺デモが盛り上がっていた時に読んだ。私たちは「原発は民主主義の対極にある」(鎌田慧氏)と考えているが、全く逆に「脱原発デモは民主主義と相容れない」と考えている人たちがいるということについて、先の戦争をめぐる認識の違いとも相照らしながら、考え込まざるを得なかった。
(以下、引用)
宮台真司
<原発をやめる>ことより<原発をやめられない社会をやめる>ことが大切です。
この人たち{原発絶対安全神話の自明性の上に乗って生きる人}の多くは原発補助金がなくなれば生きていけない(と意識されます)。だから、認知的整合性理論が予測する通り、自分自身の変えられない属性に合わせて認知を歪めます。つまり絶対安全だと思い込むことで補助金づけの現実に後ろめたさを感じなくて良い。
雨宮処凛
原発が爆発した瞬間に気付いたのは、そんな自分の沈黙が、「安全神話」を補完することに役立っていたということだ。何もしなければ、「賛成」「容認」に自動的にカウントされてしまう。それが嫌だったら、行動するしかない。
鶴見済
戦争をしていた頃から、この国は全然変わっていないのではないか。戦時中の「お国のため」が、戦後は「経済のため」に変わっただけなのではないか。経済のためなら、玉砕だってしかねない。当たり前のことだが、経済のために我々が生きているのではない。我々がよく生きるために、経済があればいいのだ。
毛利嘉孝
今日本に必要なのは、いささか手垢にまみれた民主主義という言葉。それは、自然に上から与えられるものではなく、たえず私たちが不断の努力によって獲得していくもの。現在の脱原発/反原発運動は、私たちの手に民主主義を取り返す試みでもある。デモは、民主主義を取り戻すための第一歩。
山本太郎
3.11以降、人間性がない人たちの姿も浮き彫りになったし、その一方で尊敬できる大人とも出会えて、その両方が見れたのがよかった。
柄谷行人
「デモをして社会を変えられるのか」というような質問に対して、私はこのように答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです。
デモは主権者である国民にとっての権利。デモができないなら、国民は主権者ではない。韓国では20年前までデモができなかった。
憲法21条に「集会・結社・表現の自由」とあるが、デモという語はみあたらない。しかし、その理由は簡単である。集会の中にデモがふくまれるからだ。
われわれは、デモをたんに手段としてのみならず、同時に目的として見るべきである。デモ(アセンブリ)はたんに代議制議会の機能不全を補うための手段ではない。代議制民主主義とは異なる直接民主主義の可能性を開示するものだ。
鎌田慧
原発の支配から脱する脱原発運動は、文化革命であり、意識を変えていく運動でもある。
核に依存して生きることは人類には絶対にできない。核と人類は絶対に共存できないことは、広島、長崎、そして今度の福島の事故でも証明されている。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができようか。
これからの子どもたちに、平和で安全な社会を残す。それが責務です。
原発がなければ生きていけない、といわれてきたが、原発がなくてもなんでもない、ということがわかったのだ。たとえば、DV男のように、いなければ平和に暮らせるのだ。原発のない社会が、いかに真っ当な社会だったことか。
各地の原発建設は、餌付けのように、カネをバラ撒くことからはじまった。魂の買収行為だった。なんと矮小な世界なんだろう。ブレヒトの『三文オペラ』のような世界。
落合恵子
想像してください。まだ平仮名しかしらない小さな子どもが、夜中に突然飛び起きて「ほうしゃのう、こないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。
原発と言う呪詛から自由になること、反戦、反核、反差別はひとつの根っこです。
山本太郎
今、大人がするべきことは子どもたちを守ること。そのためには、行動を起こすことだと思うんです。
武藤類子
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
坂本龍一
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とアドルノは言いました。
ぼくたちはこう言い換えたい。
「フクシマのあとに声を発しないことは野蛮である」と。
稲葉剛
原子力発電が燃料にしているのはウランやプルトニウムだけではない。原発は差別と貧困を喰らいながら電気をおこしているのだ。
原子力発電は現代社会における貧困や差別の存在を前提にしないと存在しえないシステムである。だが、長年、私たちの社会は貧困や差別を「不可視化」することで原発の安全神話に手を貸してきた。
小出裕章
人々が本当に自分の意思を持って、原子力を止めさせようと思うのであればできるんだ。私はその時に確信しました。(1986年ウィーンのデモ行進で)
原子力は、私を含め個人の力では到底防ぐことができない巨大な力で進められてきました。しかし、「民主主義」を実現できるほどに一人ひとりが自立できるなら、原子力など簡単に廃絶できると私は思います。
中村瑠南(中学生)
私たち子どもにも、原発について本当のことを知る機会と、日本が原発を持つかやめるか決める機会をください。
柄谷行人
共食すること。それは遊動民の特徴です。今もいろんな宗教でそうですが、一緒に食事をするということが基本です。プラトンの「饗宴」なども、実はそうですね。「饗宴」といっても、英語で「シンポジウム」といっても、せいぜい飲むイメージしかないけど、食うことが大事だった。本来は一緒に食う場がシンポジウムなんだと思う。
松本哉
特に東アジアの近い国の人たちとどんどん友達になってる時に、国家って邪魔者以外の何者でもないじゃないですか。今のうちに国を超えた人のつながりを作っておきましょうよ。本当、ここ3年、5年がすごく勝負のような気がするんですよ。
権力者が悪いことをする時って、だいたいもう情報を統制したり分断したり、個別に孤独な思いをさせておいて悪いことするじゃないですか。それに対抗するのは、やっぱりただ集まるだけだから、実はすごく簡単なんですよ。
原発いらない福島の女たち
「汚染されたところに生きるってことはとてもつらいです。私は生きる希望を失いました。でも、つらいです、っていうことをみなさんに伝えること、それで今生きようとしています。みなさんにこういう思いをしてほしくないです」
「東京電力福島第一原発事故の責任を誰がとったんでしょうか? 誰がとりましたか? 誰もとれてないと思います。私の責任において原発を再稼働させる、なんていう野田総理の言葉を聞いた時に、私は本当にこの人は別の世界に住んでいるんだと思いました。いったい何を言っているのか、まったく理解できませんでした」
小熊英二
社会科学的には、1人デモにくる人がいたら、その背景には、100人は同じ意見の人がいると考えたほうがいい。10万から20万ということは、東京人口の1パーセントから2パーセント。その100倍ということは、東京人口の1倍から2倍。広く東京圏のなかから集まったと考えたとしても、多数派が同じ意見だということです。
中長期的にみれば、原発はいずれ止まる。産業としてもう芽がない。そもそも、廃棄物の受け入れ先が、六ヶ所村や各地の原発の貯蔵プールを全部足しても、フル稼働したら7~8年分しかない。先がないとわかっていても、自分の任期の間は、自分が退職金をもらうまでは、自分が天下りするまでは、動かし続けたい。決定を先送りしたい。そのことは、業界関係者もわかっているはずだ。
瀬戸内寂聴
私はその前年末から背骨の圧迫骨折で臥床を余儀なくされていたが、福島原発災害のニュースに仰天して、気がついたら思わずベッドからすべり下り、自分の足で立っていた。原発ショック立ちと自称して、私はその日から、つとめて歩く練習に必死になり、6月から被災地へ車椅子と杖を頼りに見舞いの旅に出た。
(飯舘村の人々の)誰もが、政府の対応は一向に自分たちの心に降りてこない、はるか上空で、彼等の政策の一つとしてしかこの事故収拾に取りくんでいないと言いつづけた。
往年の昭和15、16年頃の日本の姿が痛いほど私の胸に帰ってきた。やがてまた報道の統制はもっときびしくなり、その果てには戦争がひかえているのではあるまいか。私の胸は今、恐怖の予測に震えている。
田中優子
デモは怒りの表現であり、求めずにはいられない要求をもっているのだから、明るく楽しいはずがないのだ。理不尽を見つめ個々の利害を超えることからしか、一揆は始まらない。
「デモと広場の自由」のための共同声明
http://jsfda.wordpress.com/statement/
「デモと広場の自由」のための共同声明
3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来において多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さらに、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、すでに片づいたかのようにふるまっています。
それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思がデモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。
しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。
私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。
2011年9月29日
起草者:柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480864192/
図書館から借りたので備忘録として印象的な文章をメモしておいた。そのまま引用するのは問題があるかもしれないが、ここであらためて紹介する目的は著者らの趣旨から離れたものではないと(勝手に)考える。一文だけで全てを伝えられるものではないので、是非本を入手するか図書館から借りるなどして、一読されることをお勧めしたい。
つい1年前まで、(ニュアンスの差はあれ)原発全廃という道筋が確かに私たちの目の前に見えていた。この本がただ埋もれてしまった歴史を記録するだけの意味しか持たないのか、あらためてその道筋の在り処を照らしてくれる松明になるのかは、読者一人一人に委ねられている。
2011年4月から2012年9月までに各地のデモにおけるスピーチと寄せられたコメント、対談から構成されている。ちょうど秘密保護法をめぐって、自民党石破幹事長の「デモはテロ」ブログが問題となり、強行採決に反対する国会周辺デモが盛り上がっていた時に読んだ。私たちは「原発は民主主義の対極にある」(鎌田慧氏)と考えているが、全く逆に「脱原発デモは民主主義と相容れない」と考えている人たちがいるということについて、先の戦争をめぐる認識の違いとも相照らしながら、考え込まざるを得なかった。
(以下、引用)
宮台真司
<原発をやめる>ことより<原発をやめられない社会をやめる>ことが大切です。
この人たち{原発絶対安全神話の自明性の上に乗って生きる人}の多くは原発補助金がなくなれば生きていけない(と意識されます)。だから、認知的整合性理論が予測する通り、自分自身の変えられない属性に合わせて認知を歪めます。つまり絶対安全だと思い込むことで補助金づけの現実に後ろめたさを感じなくて良い。
雨宮処凛
原発が爆発した瞬間に気付いたのは、そんな自分の沈黙が、「安全神話」を補完することに役立っていたということだ。何もしなければ、「賛成」「容認」に自動的にカウントされてしまう。それが嫌だったら、行動するしかない。
鶴見済
戦争をしていた頃から、この国は全然変わっていないのではないか。戦時中の「お国のため」が、戦後は「経済のため」に変わっただけなのではないか。経済のためなら、玉砕だってしかねない。当たり前のことだが、経済のために我々が生きているのではない。我々がよく生きるために、経済があればいいのだ。
毛利嘉孝
今日本に必要なのは、いささか手垢にまみれた民主主義という言葉。それは、自然に上から与えられるものではなく、たえず私たちが不断の努力によって獲得していくもの。現在の脱原発/反原発運動は、私たちの手に民主主義を取り返す試みでもある。デモは、民主主義を取り戻すための第一歩。
山本太郎
3.11以降、人間性がない人たちの姿も浮き彫りになったし、その一方で尊敬できる大人とも出会えて、その両方が見れたのがよかった。
柄谷行人
「デモをして社会を変えられるのか」というような質問に対して、私はこのように答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです。
デモは主権者である国民にとっての権利。デモができないなら、国民は主権者ではない。韓国では20年前までデモができなかった。
憲法21条に「集会・結社・表現の自由」とあるが、デモという語はみあたらない。しかし、その理由は簡単である。集会の中にデモがふくまれるからだ。
われわれは、デモをたんに手段としてのみならず、同時に目的として見るべきである。デモ(アセンブリ)はたんに代議制議会の機能不全を補うための手段ではない。代議制民主主義とは異なる直接民主主義の可能性を開示するものだ。
鎌田慧
原発の支配から脱する脱原発運動は、文化革命であり、意識を変えていく運動でもある。
核に依存して生きることは人類には絶対にできない。核と人類は絶対に共存できないことは、広島、長崎、そして今度の福島の事故でも証明されている。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができようか。
これからの子どもたちに、平和で安全な社会を残す。それが責務です。
原発がなければ生きていけない、といわれてきたが、原発がなくてもなんでもない、ということがわかったのだ。たとえば、DV男のように、いなければ平和に暮らせるのだ。原発のない社会が、いかに真っ当な社会だったことか。
各地の原発建設は、餌付けのように、カネをバラ撒くことからはじまった。魂の買収行為だった。なんと矮小な世界なんだろう。ブレヒトの『三文オペラ』のような世界。
落合恵子
想像してください。まだ平仮名しかしらない小さな子どもが、夜中に突然飛び起きて「ほうしゃのう、こないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。
原発と言う呪詛から自由になること、反戦、反核、反差別はひとつの根っこです。
山本太郎
今、大人がするべきことは子どもたちを守ること。そのためには、行動を起こすことだと思うんです。
武藤類子
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
坂本龍一
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とアドルノは言いました。
ぼくたちはこう言い換えたい。
「フクシマのあとに声を発しないことは野蛮である」と。
稲葉剛
原子力発電が燃料にしているのはウランやプルトニウムだけではない。原発は差別と貧困を喰らいながら電気をおこしているのだ。
原子力発電は現代社会における貧困や差別の存在を前提にしないと存在しえないシステムである。だが、長年、私たちの社会は貧困や差別を「不可視化」することで原発の安全神話に手を貸してきた。
小出裕章
人々が本当に自分の意思を持って、原子力を止めさせようと思うのであればできるんだ。私はその時に確信しました。(1986年ウィーンのデモ行進で)
原子力は、私を含め個人の力では到底防ぐことができない巨大な力で進められてきました。しかし、「民主主義」を実現できるほどに一人ひとりが自立できるなら、原子力など簡単に廃絶できると私は思います。
中村瑠南(中学生)
私たち子どもにも、原発について本当のことを知る機会と、日本が原発を持つかやめるか決める機会をください。
柄谷行人
共食すること。それは遊動民の特徴です。今もいろんな宗教でそうですが、一緒に食事をするということが基本です。プラトンの「饗宴」なども、実はそうですね。「饗宴」といっても、英語で「シンポジウム」といっても、せいぜい飲むイメージしかないけど、食うことが大事だった。本来は一緒に食う場がシンポジウムなんだと思う。
松本哉
特に東アジアの近い国の人たちとどんどん友達になってる時に、国家って邪魔者以外の何者でもないじゃないですか。今のうちに国を超えた人のつながりを作っておきましょうよ。本当、ここ3年、5年がすごく勝負のような気がするんですよ。
権力者が悪いことをする時って、だいたいもう情報を統制したり分断したり、個別に孤独な思いをさせておいて悪いことするじゃないですか。それに対抗するのは、やっぱりただ集まるだけだから、実はすごく簡単なんですよ。
原発いらない福島の女たち
「汚染されたところに生きるってことはとてもつらいです。私は生きる希望を失いました。でも、つらいです、っていうことをみなさんに伝えること、それで今生きようとしています。みなさんにこういう思いをしてほしくないです」
「東京電力福島第一原発事故の責任を誰がとったんでしょうか? 誰がとりましたか? 誰もとれてないと思います。私の責任において原発を再稼働させる、なんていう野田総理の言葉を聞いた時に、私は本当にこの人は別の世界に住んでいるんだと思いました。いったい何を言っているのか、まったく理解できませんでした」
小熊英二
社会科学的には、1人デモにくる人がいたら、その背景には、100人は同じ意見の人がいると考えたほうがいい。10万から20万ということは、東京人口の1パーセントから2パーセント。その100倍ということは、東京人口の1倍から2倍。広く東京圏のなかから集まったと考えたとしても、多数派が同じ意見だということです。
中長期的にみれば、原発はいずれ止まる。産業としてもう芽がない。そもそも、廃棄物の受け入れ先が、六ヶ所村や各地の原発の貯蔵プールを全部足しても、フル稼働したら7~8年分しかない。先がないとわかっていても、自分の任期の間は、自分が退職金をもらうまでは、自分が天下りするまでは、動かし続けたい。決定を先送りしたい。そのことは、業界関係者もわかっているはずだ。
瀬戸内寂聴
私はその前年末から背骨の圧迫骨折で臥床を余儀なくされていたが、福島原発災害のニュースに仰天して、気がついたら思わずベッドからすべり下り、自分の足で立っていた。原発ショック立ちと自称して、私はその日から、つとめて歩く練習に必死になり、6月から被災地へ車椅子と杖を頼りに見舞いの旅に出た。
(飯舘村の人々の)誰もが、政府の対応は一向に自分たちの心に降りてこない、はるか上空で、彼等の政策の一つとしてしかこの事故収拾に取りくんでいないと言いつづけた。
往年の昭和15、16年頃の日本の姿が痛いほど私の胸に帰ってきた。やがてまた報道の統制はもっときびしくなり、その果てには戦争がひかえているのではあるまいか。私の胸は今、恐怖の予測に震えている。
田中優子
デモは怒りの表現であり、求めずにはいられない要求をもっているのだから、明るく楽しいはずがないのだ。理不尽を見つめ個々の利害を超えることからしか、一揆は始まらない。
「デモと広場の自由」のための共同声明
http://jsfda.wordpress.com/statement/
「デモと広場の自由」のための共同声明
3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来において多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さらに、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、すでに片づいたかのようにふるまっています。
それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思がデモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。
しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。
私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。
2011年9月29日
起草者:柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二