熊本熊的日常

日常生活についての雑記

夢の跡

2009年12月15日 | Weblog
探し物があって、久しぶりに秋葉原の電気街を歩いた。少なくともここ5年ほどはご無沙汰だったのだが、その変わりように驚いた。報道で老舗電気店が閉店したり倒産したりしているのを耳にしていたので、変貌しているのはわかっているのだが、目の当たりにしてみると唖然とする思いだった。

時代が変わるのだから商店街のありようも変わるのが当然である。ただ、問題だと思うのは、閉店した店舗の後が埋まらないことだ。典型的には地方都市の所謂シャッター商店街に見られる現象だが、それはロードサイドの大型店に客が流れたというような言い訳がなされることが多い。しかし、より根本的にはその地域の商圏人口の減少という冷厳な事実があるのだろう。

秋葉原の場合はどうなのだろう。商店街のなかにコインパーキングが虫食いのように広がっている。ラオックスのコンピューター館跡は廃墟のようになっている。たしかに、かつては貨物駅があった場所が再開発され、そこにヨドバシの大型店舗が立地していることで動線に変化があったことは事実かもしれないが、それはかつての電気街の衰退の本当の原因ではないだろう。量販店にしても決して楽な商売をしているわけではあるまい。現に、勢いのあるチェーンは数えるほどしかない。

都心にありながら寂れている商店街というのは珍しいことではない。「住みたい街ランキング」の上位に入るような地域でも、例えば神楽坂は坂の上のほうにはかなり大きなコインパーキングが並んでいる。私が今暮らしている巣鴨の地蔵通り周辺にしても、人通りは多いが、出退店の回転率は決して低くはない。

端的には人口が減少に転じていることの現象面での変化がこうしたところに現れているのだろう。そうした大きな流れに加えて昨年の金融危機で、皮膚感覚としてこの国が迷走し始めているように思われる。おそらくそうした景気の低迷が先の選挙で政権が交代した原動力となっているはずだ。ところが、政権交代で前政権時代の景気対策が中途半端なまま停止してしまっているようだ。先ごろの事業仕分けなど、噴飯物だった。岡目八目ということで、思わぬ効果が現れるのかもしれないが、経済というのは結局のところマインドによって動くものだろう。総理大臣になるような人には、株の配当やら譲渡収入というような資金源が必要なように、一国の経済の振興にも消費や投資を支える安心の源のような政府や社会への信頼感が必要なのである。馬鹿丸出しの猿芝居をわざわざテレビカメラを入れて衆目に晒して、いったい何をしようというのだろう。尤も、聞くところによると、あれがけっこう大衆受けしたらしい。間抜けな国民にはこの程度の政治がちょうど身の丈に合っているのかもしれない。

かつて賑わっていた商店街跡を歩きながら、「ここは確か○○があって、あそこには△△があったっけなぁ…」などと昔日の影を思ったりする。そのうち、廃墟のようになった東京を、「昔、ここに東京という大都市があってね…」などと言いながら、今は外国の人たちが歩く時代になるのだろう。