熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「翔ぶが如く」途中経過

2009年12月27日 | Weblog
先週から司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んでいる。今、全10巻のうちの3巻目だが、ここまでのところでは成立直後の明治政府の混乱ぶりが描かれています。黒船来訪を機に、徳川幕府の政治的無能力が露呈されて大政奉還に至るが、新政権が誕生して明らかになったのは、倒幕を推進した薩長側にも倒幕後の政権構想というものが無かったということだ。

これは明治維新に限ったことではなく、腐敗勢力を倒すのは容易でも新たな秩序を作り上げるのは極めて困難であるという一般的なことだ。世界史において「革命」の後に「反革命」という反動が起こることが多いのはこのためだろう。少し飛躍した言い方になるが、ということは、新たなことを首尾よく始めることができれば、その困難に見合うだけの大きな権益を得ることができて然るべきだろうと思うのである。常にというわけではないだろうが、何事かを成し遂げるために必要な労力やリスクと、それを成し遂げたことによって得られる果実というのは、だいたいバランスするようにできているものなのではないだろうか。

余談だが、鳩山首相が母親から資金援助を得ていることが問題になっているが、彼女の父親がブリヂストンの創業者で、創業した会社が大きく成長を遂げたのだから、創業者はその果実を享受するのが当然というものだろう。事業を始めるだけでも容易ではないのに、タイヤという創業当時は日本になかった技術を導入して、その市場を自ら創り出すというのは並大抵のことではなかったはずだ。創業当時は海のものとも山のものともわからない事業が今や事業規模において世界屈指のタイヤメーカーになったのだから、創業者一族が享受する果実が巨額になるのは至極当然といえる。

日本は明治維新後も皇室の権威を政権の存立基盤に据えるという発想から脱却することをしなかった。鎌倉時代から江戸時代に至る武士の世の中といえども、時の最高権力者は「征夷大将軍」という役職を朝廷から賜ることでその権威の正当性の根拠とし、秀吉も「関白」だった。明治になって「将軍」が「太政大臣」になり、さらに後に議会が成立して「首相」になっても、その看板名が変わるだけで、皇室を国家の象徴とする考え方は同じである。今日でも憲法には天皇は「日本国の象徴」とその第一条に明記されている。人が社会を形成するとき、そのまとまりの根拠になるのは権威である。権威がどのようなものであれ、権威の存在を疑うのは、人あるいは社会の防衛本能としてタブーであるのが現実だろう。だから、自分が会ったことも見たこともない「神」を信じてみたり、自分がろくに理解もしていない政見や考えの人に選挙で投票してみたり、何がどのように良いのかわからないのにブランド商品を有り難がったりするのである。

つくづく人間というのは愚劣な生き物だと思うのだが、それでもこうして生きていられるのだから、世の中というのは面白いものだ。

さて、「翔ぶが如く」はまだ続く。年内読了はむずかしそうだ。