熊本熊的日常

日常生活についての雑記

知らない町

2010年09月19日 | Weblog
世田谷美術館で開催中の「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール」を観てきた。

この展覧会のチラシをはじめて見たとき、「ヴィンタートゥール」が人の名前なのか都市の名前なのか、それとも他のものなのか、全くわからなかった。これはスイスの都市で、チューリッヒの近くに位置するスイスで6番目に大きな都市だそうだ。今でこそチューリッヒの衛星都市のような位置づけだが、その昔はスイス経済の拠点のひとつで、国内最大の銀行であるUBSの前身のひとつUnion Bank of Switzerlandや、現在はフランスのAXAグループ傘下にあるが2007年までは欧州屈指の保険会社であったヴィンタートゥール保険はこの町から生れた。偶然だがUBSもAXAも私のかつての勤務先だ。そうした由緒ある都市の美術館ということで、そのコレクションも欧州屈指の良質なものなのだそうだ。

展示は8章立てとなっている。
第1章 フランス近代Ⅰ
第2章 フランス近代Ⅱ
第3章 ドイツとスイスの近代絵画
第4章 ナビ派から20世紀へ
第5章 ヴァロットンとスイスの具象絵画
第6章 20世紀Ⅰ 表現主義的傾向
第7章 20世紀Ⅱ キュビズムから抽象へ
第8章 20世紀Ⅲ 素朴派から新たなリアリズムへ

今回どのようないきさつでこれほどの規模のコレクションが日本に巡回してきたのか知らないが、全体的に小品が多い印象があるものの、見応えのある内容だ。注目したのは第1章にあるモネの「乗り上げた船」、第2章ではチラシやチケットにも使われているゴッホの「ジョゼフ・ルーラン」、第4章と第5章のナビ派、第6章のパウル・クレーの初期の作品、第8章では、やはりチラシやチケットにも使われているアンリ・ルソーの「赤ん坊のお祝い」、そしてモランディとジャコメッティだった。第3章の展示は初めて観る作品ばかりだったが、それほど強い印象は受けなかった。

この夏に国立新美術館で開催されていたオルセー展でもナビ派が大きく取り上げられていたが、今回も2章を使ってナビ派が紹介されている。単なる偶然なのか、どこかの何かの意図があるのか知らないが、偶然ならおもしろいことだ。私はナビ派というものを2008年の夏にオルセーを訪れたときに初めて知った。そのときは日常風景のなかの人の様子のなかにある何気ない艶かしさのようなものを感じたが、先のオルセー展や今回のヴィンタートゥール展では艶よりも理屈っぽさのようなもののほうに関心が向いた。

ジャコメッティ(子)は2点だけの展示だ。2006年に日本でジャコメッティ展が巡回したときは神奈川県立近代美術館葉山で観たあと、もう一度観てみたくなって川村記念美術館へも出かけた。ブランクーシも好きなのだが、やはり好きな作家の作品はひとつふたつちょろちょろ観るよりは、まとめてその世界に浸りたいと思う。

パウル・クレーというと、ブリヂストン美術館にある「島」に馴染みがある所為か、あの点々スタイルの作品が思い浮かぶ。今回展示されている2点の作品は片方がその点々スタイルに至る以前の「水脈占い師のいる風景」と点々スタイルの「ごちゃごちゃに」だ。昨年、Bunkamuraで「ピカソとクレーの生きた時代」が開催されて、クレーの作品をまとめて観る機会に恵まれた。

ところで、青山二郎がこんなことを書いている。
「一人の画家の、同一傾向の画をずらりと並べることは、画家は気が附かないから個展などと遣つてゐるのだらうが、素人眼には甚だ殺風景なものである。見事な個性は薄められ、個性だと思つたのが一種の職人芸だつたのかと言ふ印象にもなり兼ねない。造形美術に、これは避け難い性質でもあるが、画家の個性の限界の問題にも依るのである。」
(「青山二郎全文集 下」ちくま学芸文庫 168頁)

同じ作家のまとまった量の作品を並べたときに、それが殺風景というか単調に感じられるのか、逆に心踊るように感じられるのか、それは画家の技法や技量のような物理的な要素だけではなく、画家なり画なりについての物語を持って観るのか、何の予備知識や先入観も無しに観るのか、描かれているものと見る側の個人的経験との間に重なるものが有るのか無いのかというような、画についての関係性も大いに影響するのではないか。

尤も、別にジャコメッティについて、個人的な関係性があるわけもなく、特に重なりあうようなエピソードを持ち合わせてもいない。ただなんとなく好きというだけで、好きなものはたくさん観たいという素朴な感情だ。確かに、なかにはまとまると殺風景なものもある。おそらく、作家の個性だけではなく観る側の個性との相性が多分にあるのだろう。

今日は子供と一緒に出かけてきた。まず美術館のなかにあるレストランで腹ごしらえをしてから、いろいろ話をしながらゆっくりと観てまわり、帰りに用賀駅への途中にある工房花屋で一服する。ここは名前の通り花屋なのだが、カフェ営業もあり、骨董の販売もしている。倉庫のような建物で、天井が高く、インテリアが骨董なので、個性の強い雰囲気だ。カフェのメニューはコーヒーまたは紅茶とケーキのセットだけしかない。いろいろメニューを揃えたところで、実際に注文が入るのは殆どコーヒーなのだろうから、こういう一本勝負的なメニューも現実的だと思う。コーヒーはやや深煎りで抽出も良く、おいしかった。ケーキはベークドチーズケーキ。こちらもおいしいし、深めのコーヒーに良く合う。コーヒーとケーキを頂いた後、店内を見て回ったのだが、骨董と言ってもテーブルとか扉といった大きなものが多い。全部が売り物というわけではなく、店舗の備品として使用しているものが多いようだ。

子供と別れた後、大学時代の友人と原宿の山居で会食。昨年12月以来の再会。ひとりの時間も楽しいが、親しい人たちと過ごす時間も楽しい。