『病牀六尺』は正岡子規が亡くなる年に死の2日前まで125回に亘って新聞『日本』に連載した随筆である。表題が示す如く既に身体の自由を失っており、執筆は高浜虚子の手になる口述筆記である。勿論個人差はあるだろうが、人の思考というものは死を目前にしても然して変わらないと感じた。結局はその人のあるがままにしか考えることができないし生きることができないということなのだろう。とはいえ、モルヒネでかろうじて身体の痛みをごまかすのがやっとというほどの病苦により、落ち着いて原稿を考えることなどできなかっただろう。127回の連載すべてが感心するほどの内容があるとは思えないが、いくつかは抜き書きをして手元にとどめておきたいものだった。たとえば、6月2日のものだ。
(以下引用)
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。
因みに問ふ。狗子に仏性ありや。曰、苦。
また問ふ。祖師西来の意は奈何。曰、苦。
また問ふ。………………………。曰、苦。
(正岡子規『病牀六尺』岩波文庫 43頁)
子規は写実ということに価値を見出していたが、それをまとめた文章も6月26日に掲載している。
(以下引用)
写生といふ事は、画を画くにも、記事文を書く上にも極めて必要なもので、この手段によらくては画も記事文も全く出来ないといふてもよい位である。これは早くより西洋では、用いられて居つた手段であるが、しかし昔の写生は不完全な写生であつたために、この頃は更に進歩して一層精密な手段を取るやうになつて居る。しかるに日本では昔から写生といふ事を甚だおろそかに見て居つたために、画の発達を妨げ、また文章も歌も総ての事が皆進歩しなかつたのである。それが習慣となつて今日でもまだ写生の味を知らない人が十中の八、九である。画の上にも詩歌の上にも、理想といふ事を称へる人が少なくないが、それらは写生の味を知らない人であつて、写生といふことを非常に浅薄な事として排斥するのであるが、その実、理想の方がよほど浅薄であつて、とても写生の趣味の変化多きには及ばぬ事である。理想の作が必ず悪いといふわけではないが、普通に理想として顕れる作には、悪いのが多いといふのが事実である。理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と陳腐を免れぬやうになるのは必然である。固より子供に見せる時、無学なる人に見せる時、初心なる人に見せる時などには、理想といふ事がその人を感ぜしめる事がない事はないが、ほぼ学問あり見識ある以上の人に見せる時には非常なる偉人の変わつた理想でなければ、到底その人を満足せしめる事は出来ないであらう。これは今日以後の如く教育の普及した時世には免れない事である。これに反して写生といふ事は、天然を写すのであるから、天然の趣味が変化して居るだけそれだけ、写生文写生画の趣味も変化し得るのである。写生の作を見ると、ちよつと浅薄のやうに見えても、深く味はへば味はふほど変化が多く趣味が深い。写生の弊害を言へば、勿論いろいろの弊害もあるであらうけれど、今日実際に当てはめて見ても、理想の弊害ほど甚だしくないやうに思う。理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上らうとしてかへつて池の中に落ち込むやうな事が多い。写生は平淡である代りに、さる仕損ひはないのである。さうして平淡の中に至味を寓するものに至つては、その妙実に言ふべからざるものがある。
(正岡子規『病牀六尺』岩波文庫 76-77頁)
この写生に関する記述を読んでいて、先日「東京かわら版」で読んだ小三治のインタビューを思い出した。「人が生きてるっていう素晴らしい世界が、あんなに落語の中にいっぱいあるのに、それを無視して自分が押し分けて出てくるっていうのは、みっともないですねえ。」(「東京かわら版」平成24年4通巻461号 10頁)絵画にしろ文章にしろ落語にしろ、表現というものの美しさ、もっと敷衍すれば美しいということそのものがどこにあるのか、ということについて子規や小三治の言葉が深い示唆を与えているように思われるのである。
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