熊本熊的日常

日常生活についての雑記

しにふぃえ しにふぃあん

2012年04月18日 | Weblog

新しい職場での勤務が始まると、とりあえず関係部署の人と顔合わせも兼ねて会議のようなことに呼ばれる。そこで自分の目先の仕事に関係ありそうな人たちのプロファイルを紹介していただいたりすることもあるのだが、そういうときに改めて日本の組織だなと実感させられる。仕事の流れのなかで表面的な職階や職位とは別に誰が要になっていて、というような話はどの組織でも同じなのだが、そこに出身大学、学部、ゼミといった情報まで付加されるのである。ゼミまで言及されるのは相手と私が同じ大学の出身の場合に限られるのだが、思わぬところで懐かしい先生方のお名前に遭遇する。いつの時代も教育とか就職というのは人生の一大事と考えられることが多く、時にそうしたことにまつわる狂騒のような話も耳にするのだが、こうして大学がどうのゼミがどうのという話題に出会うと、そういうものにこだわりたくなる心情がわからないでもない。確かに、学閥や閨閥で物事が動くということはしばしば耳にするし、自分の身の回りでも「学生時代の友人どうして仕事を回し合っている」という人が何人かいる。しかし、そういうのは例外無く血統のよろしい人たちで、私のようなどこの馬の骨ともわからないものには無縁の話だ。結局、人間というのは関係性の象徴のような存在で、関係性の標識として所属組織や持ち物が重要になるということなのだろう。尤も、永遠の存在というものはない。遅かれ早かれなくなってしまうのに、目先の標識をめぐってあたふたするのがどうなのか、というのはその人の個性だ。