就職先から連絡があり、16日の正式入社を前に来週から就業可能かとの問い合わせがあった。それは事前に言われていたことなので来週は予定を空けてあり、9日月曜から就業開始ということになった。いよいよふらふらしていられるのも今週限りかと思い、今週中に少し遠隔で行きにくいところに出かけておこうと、ネットで新幹線を予約した。明日は静岡に行く。しかし、夜は落語会があるので、それまでには東京へ戻らないといけない。
今日の食事は全て自炊。といってもカレーライスなので簡単だ。ま、いつも簡単なものしか作らないのだが。ジジイなので野菜をたくさん入れるように心がけている。結果として、野菜から水分が出てくるので水を一滴も加えることなくカレーが出来上がる。特に椎茸類は水分が豊富で味も深くなるので、水分量の調整には椎茸類の量を加減するとよい。今日はエリンギを使った。あと、昨年震災後に使うようになったのがヨーグルトだ。確かこのブログにも書いた記憶があるのだが、木工を習っていた頃、帰りにビルマそうめんを食べに立ち寄っていた店で、店主が震災後にカレーに入れるヨーグルトが手に入りにくくなって困ったというようなことを出入りの食材業者風の人と話しているのを耳にして以来、自分でカレーを作るときにもヨーグルトを入れて味を整えるようにしている。今日も封を切った明治ブルガリアヨーグルトが残っていたので、残っていたものを全部鍋のなかに入れてしまった。確かに、ヨーグルトを入れると味が落ち着くのである。
夕方になって急に思い立ち、映画を観に出かけた。キム・ギドクの「アリラン」。音楽家でも小説家でも創作活動をする人というのはアイデアが無限に湧いてくるわけではないようだ。私はそういうこととは縁遠いので全くわからないが、感覚としては、そりゃそうだろう、と思う。稀に何十年もヒットを生み続ける作家がいるが、たいていは数えられる程度の「代表作」とその焼き直しのようなものの威光で芸術家として認知されているということが多いような気がする。そうそう新しいことなど思いつくものでもないだろう。映画監督というのも例外ではないのだろう。キム・ギドクの作品はいくつか観た。
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どの作品も人間の業のようなものを描いていて、ひとつだけ観れば面白いのだが、何作も観ると気が滅入る。ごく普通に生活していれば、人に感謝することもあるし、人を恨みに思うこともある。絶対的な悪人というのもいないし、善人というのもいない。そもそも善悪という二元的な価値尺度を想定することが現実から乖離している。善意に基づく行為が結果として相手を傷つけることもあれば、悪意でしたことが相手に評価されることもある。善も悪も立場によって変わるものだし、立場は思いの外変化に富んでいるものだ。それを敢えて人間の醜いところを強調して見せて、これが人間というものですよ、と言われても、そりゃ「人間」じゃなくて「あなた自身だろう」とツッコミを入れたくなる。
勿論、社会というのは人の善意や正直を前提にしないと成り立たないという側面がある。そうした前提が「文明」と呼ばれるものだ。危険で外を歩くことができない状況というのは、文明が成立していないか失われてしまったということだろう。文明を成立させるのは、その社会を構成する人々の知性と感性、より具体的には自分の価値観に対する自覚と他人のそれに対する想像力だと思う。本能のおもむくままというのでは殺し合に至るよりほかにどうしょうもない。自分の価値観と相手の価値観とをコミュニケーションを通じて互いを比較対照して妥協点を探るということが自然にできるようでなければ、安心して生活できる社会にはならない。世界を見回したとき、そうした秩序が成立している場所のほうが少ないのかもしれない。
おそらく、この監督は文明が当たり前に存在すると暗黙のうちに信じきっているのだろう。だから人の業に注目するのである。そして創作の限界に突き当たるのである。その苦悩する自分を自ら撮影して映画として商売するというのだから、やはりこの映画監督はただものではない。