熊本熊的日常

日常生活についての雑記

perhaps the happiest year of my life

2012年07月07日 | Weblog

日本民藝館で開催中のバーナード・リーチ展を観てきた。予約しておいた記念講座「バーナード・リーチの人と作品:柳宗悦との交流を中心に」(お茶の水女子大学准教授 鈴木禎宏)も受講する。講義はリーチの生涯を概観するもので、改めて人生は出会いによって造られるとの思いを強くした。講義の趣旨の所為もあるかもしれないが、リーチの場合は柳との出会いが大きいものだったようだ。彼の自叙伝「Beyond East and West」のなかで我孫子時代を振り返ってこう記しているらしい。

“In this way began perhaps the happiest year of my life.”

仮に自分が今これから死ぬとして、これまでの50年間を振り返ったときに「the happiest year」と呼ぶことのできる時があっただろうかと打沈んでしまう。自分のわずかばかりの断片的な知識だけでこんなことを書くのは僭越あるいは無謀であることは重々承知しているが、彼の「happiest」の意味するところは、生涯を賭けるに足る生活の軸を手にしたということなのではなかろうか。結果として英国陶芸界の重鎮になったということもあるかもしれないが、おそらく彼は陶芸とそれにかかわる人々との出会いによって、その生涯を貫く価値観の基軸を手にしたということについて「happiest」だと言っているような気がする。例えば、リーチと柳が出会うのは1909年。富本憲吉、浜田庄司、河井寛次郎といった「白樺」やその後の民芸運動の中心人物たちとも20世紀初めのこの時期に出会い、1920年に浜田を伴って帰国して、セント・アイヴスに築窯する。その後の第二次世界大戦では英国と日本は互いに敵国となるも、そうした困難を超えて、まさに「beyond East and West」の交流が続き、そこから様々な成果が生み出されていくのである。自分のなかに基軸が無ければ時代を覆う皮相な世論に翻弄されて自分の人生を生きるというような実感はとても持つことができなかっただろうし、そこに「happy」など生まれるはずもないだろう。人は経験を超えて発想することはできない。人の経験というのは結局のところは他者との出会いの蓄積なのではないかと思う。