熊本熊的日常

日常生活についての雑記

幽霊に足がないということ

2012年07月29日 | Weblog

幽霊というと透けるような存在感で、腰から下は目に見えない、という姿が日本では一般的なのではないか。しかし、足の無い幽霊の姿が描かれるようになったのは、江戸時代以降のことだそうだ。幽霊というものが絵画に登場するのはもっと前の時代である。中世から近世初めにかけての御伽草子系の絵巻には描かれているが現世の人間とほぼ同じようなものだ。初めて足のない幽霊が登場するのは1673年刊行の浄瑠璃本だそうだ。掛軸に描かれた足のない幽霊は円山応挙の手になるものだという。

いずれにしても、今では当然のように、幽霊は足がない、と思われているが、それはここ300~400年の間に定着した表現のスタイルであって、本当に幽霊がいるかどうか、ましてやそれに足があるとかないとかいうことは、誰も知らないということだろう。さらに言えば、欧米の幽霊は当人が一番お気に入りの服装で現れるとされているそうだが、日本の幽霊は帷子だか浴衣だかわからないような布切れをまとっている姿で表現されることが多い。本当に幽霊というものが存在するなら、登場の仕方も同じであって然るべきなのではないか。

霊感があるとかないとか、強いとか弱いとか言うのは、結局のところは思い込みでしかないのだろう。勿論、人間の五感で感知できることが世界の全てだとは考えていない。しかし、世の中のその手の話、あるいはその手の話を語りたがる人間というのは、どこか妙なことが多い気がする。幽霊が見える、というのは強迫神経症のひとつの症状でもあるという人もいる。まともではないのである。

ただ幽霊の表現に関して感心するのは、足がないことによって、その人物が瞬時にしてどこにでも登場できるように見えることだ。言うまでもなく人間にとって足は身体を支える器官でもあり、移動の手段でもある。移動の自由を極めようというのなら、この世のものとは思えないほどの健脚の持ち主として描かれてもおかしくないだろう。しかし、健脚よりも無いことにしてしまったほうが、移動に関して自由度が飛躍的に高くなるのである。そういう発想の飛躍に感心するのである。