熊本熊的日常

日常生活についての雑記

スマホの時代

2012年07月31日 | Weblog

携帯電話を取り替えた。2009年1月に帰国して以来、折りたたみ式のものを使っていたのだが、このごろはバッテリーの消耗が早くなったように感じられ、そろそろ交換かと思っていた。たまたま昼休みに職場近くの量販店を覗いたところ、機種を選ばなければ実質無料で新品を手にすることができることがわかり、そういうものにこだわりが全く無いので即決してしまった。一応、乗り換え価格は5,000円を多少切る程度だが、オプションを3つ契約することで1,500円ほど割引になり、さらに通信会社のポイントを利用することでほぼ無料になり、残金の数十円は量販店のポイントで支払い、結局無料なのである。それで手にしたのは昨年の夏モデル。別に電話が使えるならいつのモデルだろうとかまわない。

ここからが問題だ。金を払って、はい、ありがとう、とならないのが電話機だ。機材だけでなく、その後の通信にまつわる諸々の契約というものがある。これに「30分ほどお時間を頂きます」とのことだったが、担当のオネエちゃんが頼りない人だったので、1時間10分ほどかかった。このうち書類に記入したり、何事かを決めたりするのは、確かに30分弱くらいだった。残りの40分は待ち時間だ。何かを記入する、決める、その度にオネエちゃんは楽屋裏へ確認に消えるのである。もう少しちゃんとした人をそれなりの給料を払って雇ったほうが、顧客満足度も高くなるのではないか。シェアががた落ちなのは、たぶんiPhoneが無いというだけのことではあるまい。コストを極限まで削ると、わけのわからない販売員を使わざるを得ないのである。それでも、現場を知らない旧国営企業のエライ人たちは経営データを眺めながら、「ここは削っちゃお」と事業の無人化に邁進する。携帯メールが使えなくなるという前代未聞の事故を起こすのは、販売現場に混乱をきたすのと同じ理由によるものだろう。株式を公開して収益を上げることだけを経営目標に据えるようになったので、数字にならないことには、既存のブランド力と経営資源を駆使することで間に合わせ、コストをかけて顧客満足度を高くしようなどとは考えないということなのである。それで、書類が完成し、電話機が引き渡されるのは、その1時間後である。

夕方に職場を抜け出して電話機を受けとった。なんとなく、街中でスマホとにらめっこをしている人が多い理由が飲み込めた。まず、これは旧来の電話機ではない。電話機能に重点を置いたパソコンだ。電源を入れて、すぐには使えない。まず、OSが起動する。この間数分間。やと立ち上がると初期設定が必要になる。なんだかんだで30分くらいはかかる。あとはどのようなアプリを使うかによって、さらに時間を要する。たとえテンキーであってもキーボードがあった頃が懐かしい。タッチパネルは思うように反応しない。小さな画面では目指す場所を指で押しても、狙ったところに当たらなかったり、うんともすんともいわなかったり。ここでさっきオマケに貰ったタッチペンが活躍する。電話機を受けとるとき、「キャンペーン」と称してオマケをいただいたのだが、これはビーチサンダル、ビーチボール、タッチペン、ストラップの四択だった。ビーチボールにしなくてよかった。

それで、スマホは本質的にはパソコンなので、ネットに接続して用も無いのにあれこれ見たくなる、のが人情だろう。そうやって、携帯電話という個人用端末がことごとくネットに接続したらどうなるだろう。通信会社は通信料収入が増大して笑いが止まらなくなる。「いやぁ、いいねぇ、ははははは…、じゃ、そこも人切ちゃお。どうして必要なら外注すりゃいいよ」ぶちっ。

そういえば、去年の震災のときには電話がつながらなかった。どうでもいいときにはどうでもいいコンテンツでぼろ儲けだが、肝心な時には役に立たない。そういう代物を公共インフラと呼ぶのである。そして、そういう社会を我々は生きている。