熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ほんとうのこと

2012年04月15日 | Weblog

午前中は日本民藝館で開催された「日本民藝館の器でお茶をのむ 志功流お茶の楽しみ」というイベントに参加した。よくできた茶碗で茶をいただくというのは、陶芸をやっている身にとっては貴重な体験だ。名人上手と言われる人がどのような作品をどのように作るのかということを、制作の現場を見ないで知るには、その作品を使うことが次善の方策と言える。実物に触れることが重要で、単なるデータだけではわからないことが実物に触れることで了解されることもあるというのは茶碗だけに限ったことではあるまい。

午後は国立民族学博物館友の会の講演会で「ペー族の映像民族誌 制作過程で考えること」を聴講した。ペー族は中国雲南省に住む少数民族で、講師役の横山先生の研究対象だが、今日の話は社会人類学の研究に映像というものをどのように活用するか、ということもテーマのひとつである。映像はテレビのような商業利用の場合と学問の道具として利用する場合とでは、その意味するところが全く違う。ましてや人類学の場合、仮にある特定の家族の生活を追ったとして、そこに記録されているものがその家族固有のものなのか、社会一般のものなのかということは、何の予備知識もなしに映像を観た人には判断できない。資料として記録を残すのであれば、そうした違いがわかるような工夫が必要になる。字幕で説明を加える、ナレーションを入れる、文字情報だけの画面を挿入する、など方法はいろいろあるが、そうした説明が邪魔になる場合もあるかもしれないし、説明が間違っていればその間違いが記録に残り、後の研究をゆがめてしまうことだってあるかもしれない。

講演会のほうでは触れられなかったが、ペー族の映像を観ながら、これが商業映像だったらどうなるだろうかと考えてみた。商業利用のほうはむしろ誤解を生むように作るだろう。作り手に都合の良い誤解を生むことで、作り手の利益を創造するのである。よく客観とか主観というようなことを言うが、人間の認識であるかぎり、本当の意味での客観というものはありえない。何が「ほんとう」なのか、ということは結局自分が決めることであって、「ほんとうのこと」というものが存在するわけではないのである。それでも世間には「真実」だの「現実」だのというものが「客観的」に存在するという幻想があるので、そこに商売映像のつけ入る隙がいくらでもあるのである。

ところでペー族の映像だが、冠婚葬祭の様子が興味深かった。殊に葬儀だが、長寿を全うしたと村の物知りのような人が判断すれば、おめでたいものとして執り行うのだそうだ。長寿の定義というようなものは無いらしいが、曾孫がいるといったことも判断基準のひとつではあるらしい。死が一律に悲しむべきものというのではなく、同じ現象が文脈のなかで目出たくもなり哀悼の対照にもなるというところに、価値観とか文化というものが拠って立つところの脆弱性を感じないわけにはいかなかった。


今週のアリバイ

2012年04月14日 | Weblog

買い物をしたときに受け取るレシートをスクラップしている。2006年に東京都現代美術館で大竹伸朗の回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」を観て、そこにあったスクラップブックに触発されたのである。以来、レシートをノートに貼付けている。最初はレシートも公共料金の計算書もATMの利用記録もその他様々の切符類もすべて同じノートに貼っていたのだが、できあがったノートの保存場所に困るようになり、少しずつ整理をして、今は現金で支払ったもののレシートをひとつのノートにまとめ、美術展や興行などのチケット類を別のノートにまとめ、気に入った包装紙や箸袋を別のノートにまとめている。別にそういうものを積極的に蒐集しようというのではないので、買い物をしたときにレシートがなくても「あの、レシートください」などとは決して言わない。そんな具合に現状は3冊のノートが日々更新されている。ときどきぱらぱらと眺めているのだが、レシートのノートをネタに何かおもしろいことができないかと考えてみた。結局は思いついていないのだが、とりあえず今週の記録として公開してみることにした。何か示唆があればお願いしたい。なお、時刻はレシートに刻印されているものなので、どこまで正確なのかはわからない。住所はレシートに記載されているものだけを書いた。

2012/04/09 08:22:35 STARBUCKS 丸の内三菱ビル店
2012/04/09 17:44  JR東日本 東京駅
2012/04/09 18:25  atre 神戸屋レストラン キッチン 恵比寿店 東京都渋谷区恵比寿南1−5−5アトレ恵比寿3190
2012/04/10 20:55 マクドナルド巣鴨店 東京都豊島区巣鴨3−31−7
2012/04/11 11:22 DONQ MARUNOUCHI
2012/04/11 22:15 マルイチ
2012/04/12 12:22 メゾンカイザーカフェ丸の内店 東京都千代田区丸の内1−4−1永楽ビル 1F
2012/04/12 18:17 自家焙煎珈琲豆 ハニービーンズ 東京都豊島区巣鴨3−22−5−102
2012/04/12 18:26 自家焙煎珈琲豆 ハニービーンズ 東京都豊島区巣鴨3−22−5−102
2012/04/12 18:53 マルイチ
2012/04/13 21:23 デリフランス アトレヴィ巣鴨店 東京都豊島区巣鴨1−16−8アトレヴィ巣鴨
2012/04/14 13:56 ミニストップ 日本橋本石町店 東京都中央区日本橋本石町3−2−4
2012/04/14 15:47 ドトールコーヒーショップ 日本橋室町中央通り店
2012/04/14 17:48 インドカリーダイニング Cobara-Hetta

せっかくなので、Suicaの利用記録も載せてみようとカードをパソリで読み出してみたのだが、手元のソフトでは時刻が表示されないので、こちらのほうは記載を見送った。ついでに書くと、通勤定期というものを7年ぶりに利用し始めた。これまでは夜勤で昼間遊び歩いていたので、通勤経路が一定せず、定期は購入していなかったためである。

今日は以前に映像翻訳の学校に通っていたときのクラスメイトからの誘いがあって、翻訳の勉強会に参加してきた。今日出席したのは私を含め6人だったが、これくらいの人数でひとつのことについてあれこれ話をするというのがちょうど心地よいように思う。勉強会の後、5人が残って学校の近くのドトールでおしゃべりを楽しんできた。


帰りに寄席

2012年04月13日 | Weblog

今週はこのブログの日々のタイトルを「帰りに」ではじめているので、金曜は寄席に行こうと一昨日あたりからなんとなく決めていた。行き先は鈴本か末広亭と思っていたが、なんとなく鈴本のほうにした。今度の勤め先の正式な入社日は16日で、今週はなんとなく職場にいるだけのようなものなので終業時間後にさっさと帰るが、それでも開口一番には間に合わず、二人目の紙切りの途中で席に着いた。今日聴いた番組は以下の通り。

紙切り 林家二楽
落語 「子ほめ」 柳家喬之助
落語 「権兵衛狸」 入船亭扇辰
漫才 ロケット団
落語 「寿司屋水滸伝」 春風亭百栄
落語 「湯屋番」 柳家さん喬
仲入り
太神楽曲芸 翁家和楽社中
落語 「のめる」 橘家文左衛門
粋曲 柳家小菊
落語 「甲府い」 柳亭左龍

主任の左龍を聴いたのは今日が初めてだ。仲入りの前に出演しているさん喬の弟子だが、師匠よりもいいんじゃないかと思うほどだった。ただ、細かいことをいえば、豆腐屋の亭主の人物像に多少の不自然さを感じる。噺の前半ではやや老成に過ぎたような印象があり、後半の一人娘の婿に取るという場面のそそっかしさとうまくつながっていない。手元に五代目志ん生のCDがあるのだが、志ん生自身のキャラクターのようなものに助けられている部分もあるだろうが、こちらのほうが自然にすっと聴くことができる。噺家というのはひとりで多くの人間を描くわけなので、そのためのネタをどれだけ自分のなかに持っているかということが芸を構成する上で重要なことになると思う。人間の発想はその人の経験を超えることはできないのだから、結局はその人自身が多くの人を惹き付けるものを持っていなければならないということでもある。噺家に限らず人間全体について敷衍できることでもある。いい芸だな、でもちょっと何か足りないな、こういうところが足りないのかな、自分も心がけないといけないな、と素直に気付かせてもらえることが、落語に限らず芸事を鑑賞する愉しさのひとつだと思う。


帰りにコーヒー豆

2012年04月12日 | Weblog

そんなことは当たり前だと言われてしまいそうだが、昼間に勤めに出ていると時間がない。夜勤と昼勤は職場での拘束時間が同じであるとしても、空き時間は同じではないのである。昼間に空いている時間というのは、美術館に出かけてもよいわけだし、習い事をしてもよく、買い物だってゆっくりできる。しかし、夜はそういうわけにはいかないのである。空いているといっても、その時間でできることの選択肢は昼よりも狭い。そんなわけで、コーヒー豆の補充をしないといけないと思い、勤め帰りにハニービーンズに立ち寄った。開いてなかったら週末に来るしかないと思っていたら、平日は午後8時まで営業している。一安心である。

いつものように豆を選んだ後に店主の羽入田さんとおしゃべりに興じる。今日は音響機器メーカーのBOSEに勤めている人が作って持って来たという針金製のドリッパーを見せてもらった。ネルの袋で淹れるようにペーパーフィルターを使って淹れることができるのだという。その人がひとつひとつ針金を加工し、鑞で溶接して作ったのだそうだ。その人はコーヒーそのものより、コーヒーを淹れるという行為、身体動作に興味があるのだそうで、他にもミル用サイクロンクリーナーとか様々なコーヒー用具を考案しているのだという。針金の端正な加工が美しく、どのような味に落ちるのか興味もあったので、ひとつ買い求めてきた。住処に帰り、簡単な夕食を作って食べた後、そのドリッパーを使ってコーヒーを淹れてみた。羽入田さんに聞いたところでは、3分くらい蒸らしてうんと濃く抽出するというのが作り手の想定する使い方らしいのだが、私は普通に淹れてみた。カップ型の一般的なドリッパーで淹れるよりも雑味が抜けてまろやかな味だ。今使っているプラスチック製のカップ型ドリッパーは抽出口のところの汚れが落ちにくくなってきて、そろそろ取り替えようかと思っていたところだったので、これを機にこの針金ドリッパーに交代させることにした。

ちなみに写真の説明をしておくと、ドリッパーの下の格子模様のカップは合志真由子さんの作品。鉄瓶は山形の鋳金工芸職人である長谷川直秀さんの作品。赤いポットはコーヒー抽出専用に注ぎ口が加工されているカリタの「コーヒー達人・ペリカン」という商品。ドリッパーにセットされているペーパーフィルターは有限会社カフェグッズが販売している「コットンパワーコヒーフィルター」という商品。ネルドリップに近い味が出るというもので、新宿のヤマモトコーヒーで店の人に勧められて買ってみたものだ。中のコーヒーはマンデリン。


帰りに祝杯

2012年04月11日 | Weblog

今回の就職先を斡旋して頂いたエージェントの担当者から「お祝いに」と都内の天婦羅屋で夕食をごちそうになった。その人は私とほぼ同世代で、彼自身も私の1年前に別の外資系企業でリストラに遭い、人材斡旋業に転じた経歴の持ち主だ。人材斡旋業は大手のように巨大なデータベースを持ってマッチングに特化するタイプと、中小業者のように個々のエージェントが地道に案件を探して斡旋をするタイプとに大別されるのだそうだ。最近の雇用情勢や人材斡旋業という産業の現況について、いろいろ興味深い内容の話を伺ったが、ここには書かない。ひとつだけ書いておくと、案件と人材の組み合わせというのは、自分なりの専門分野を決めて、自分なりの人物選択眼をしっかり磨くことが斡旋を成立させる鍵だそうだ。目先のことに囚われて、あれこれ異分野の案件を手がけても上手くいかないものだという。また、人物というのは履歴書や職務経歴書のデータだけで判断できるものではなく、実際に会ってその人の雰囲気というものを見ておかなければ成約につながる案件を紹介できないものだとも言っていた。結局は自分の感性や知性を磨いて人や物事を観る眼を養うということが、人材斡旋業に限らず、何事においても重要なことなのだろう。

ところで、新しい勤めが始まって、些細なことなのだが深刻な問題が発生した。下着が足りないのである。2005年4月以来、カジュアルでの勤務だったので、下着のシャツのストックは色柄物ばかりになってしまった。勤務先のほうは、服装について何も言われてはいないのだが、雰囲気としてスーツ着用が当然のようで、今日でまだ3日目だが毎日スーツで出勤している。週末は白の下着を補充しておかないといけない。


帰りに陶芸

2012年04月10日 | Weblog

これまでは陶芸をしてから勤めに出かけていたのが、こんどは仕事帰りに陶芸をするようになった。前か後かという違いだけなのだが、慣れない所為もあって勝手がかなり違う。陶芸の夜のクラスの場合、昼間とは違って、教室があるビルの管理上の都合で午後8時半には片付けまで終わっていないといけない。陶芸に取り組む時間が実質的に30分ほど短くなる。ただでさえ、ここ1年ほどは手がかかるものに挑戦していて生産性が落ちているのに、それに拍車をかけることになる。しばらくは様子を見ながら対応策を考えたいと思う。ただ、悪いことばかりでもない。夜のクラスの生徒は私を含め2人しかいないので、これまでにも増して先生からの指導が濃密になる。3月に入って以来、面取りの壷に取り組んでいて、今日は漸く面取り作業を終えた。次回は黒化粧をして、素焼きに出すことになる。化粧は初めてではないのだが、久しぶりのことなので、改めて技能の習得に努めたいと気持ちを新たにする。

勤め帰りに陶芸ということになると、陶芸が終わるまで夕食にありつく時間がない。歳を取って代謝も緩くなっているので、きっかけを失うと食欲もそれほど起こらない。それでも習慣のようなもので、夜になれば自然と「何を食べようかな」と考える。考えているうちに人の流れに乗って改札を抜けてしまい、気がつけば巣鴨の駅前を歩いている。マックでもいいかと思って店内を覗いてみると空いているのでそのまま中に入る。携帯サイトでクーポンを取得してみたら、ビックマックが無料だったので、これを頂かない手は無い。結局、今日の夕食はファーストフードだ。

ビックマック     0円
チキンフィレオ 150円
マックシェイク 100円
合計      250円

ファーストフードのことは、このブログのなかではかなり攻撃的に書いている。それでも250円でこれだけ食べられるのなら、まぁいいじゃないかと思うのである。


帰りに一杯

2012年04月09日 | Weblog

恵比寿の風花という飲み屋では月代わりでアーチストの作品を展示販売している。今月は陶芸作品だ。どのように展示するのか、特に壁をどのように利用するのか興味があった。その話を先日留学先の同窓会で会った同窓会長にしたところ、「一緒に観に行きましょう」ということになった。午後8時に現地集合ということで仕事帰りに恵比寿へ回った。

展示だが、壁にはキャンバスのようなものが掛かっている。店内のところどころにモビールがぶら下がっており、そのキャンバスに影が映るようになっていた。面白いことを考えるものだと感心する。メインの展示はカウンターに並べられた茶碗やティーポットやコーヒードリッパーだ。いかにも手作りらしい温かさの感じられる作品だ。手仕事の良さというのは、そこに作り手の存在が感じられることではないかと思う。ものという無機物なのに、その向こう側に生身の存在が見え隠れするというのは愉快なことだ。

同窓会長とは留学先が同じ学校だったという以外に何の接点もないのだが、彼が趣味で描いている画の作品展に顔を出しているうちになんとなく親しくなった。去年の私の陶芸個展には彼も来てくれて皿を二枚買ってもらった。私の方はまだ彼の画は買っていないのだが、いつか画を飾ることができるようなところに住むことができたらそのときは、と思っている。ついでなので彼の作品展を宣伝しておく。

4月10日火曜日から22日日曜日まで
「Not Simple 飯田哲夫 shiori 二人展」
The Artcomplex Center of Tokyo
160-0015 東京都新宿区大京町12-9

4月24日火曜日から29日日曜日まで
「Colors」
代官山ヒルサイドテラスF棟 ヒルサイドフォーラム
東京都渋谷区猿楽町18-8

4月24日火曜日から5月6日日曜日まで
ACT チャリティー小品展 2012
The Artcomplex Center of Tokyo
160-0015 東京都新宿区大京町12-9


或る再会

2012年04月08日 | Weblog

以前、映像翻訳を勉強していたとき、韓国映画についての教養講座風のものも受講していた。そのときの講師と麻布十番で何年かぶりに再会して、黄牛という韓国料理屋で夕食を共にした。麻布十番というところにはこれまで縁がなく、数えるほどしか訪れたことがないのだが、古くからの商店街という風情で、楽しく歩くことのできる町だ。午後5時から午後9時までその料理屋で過ごした後、彼の家にお邪魔することになった。彼の家は二の橋と三の橋の間にあるマンションの2階で、そちらのほうでは彼のパートナーが彼女の友人を招いて飲み会中だった。そこに合流する形になり、初対面の人たちと一緒に過ごすことになった。人の生活というのは、本来、こうして知り合いを紹介し合いながら自分の世界を拡げていくものなのだろう。そういうこととは無縁に何十年も過ごしてきてしまうと、人と知り合うということが億劫になってしまう。しかし、やはりそれでは生活は豊かにはならない。豊かさというのは、結局のところは他人と様々な形で交渉を持ち、そうした関係を積み重ねることにあると思う。折しも失業して人間関係の重要さを思い知ったところなので、なおさらこれまで新たな人間関係を構築することに消極的であったことを反省した。

彼のほうは堀江貴文の「拝金」という本を映画化しようと動いているらしい。さすがに日本では無理らしいのだが、彼の母国のほうは可能性が無いわけでも無いらしい。ハングル訳も2週間前に発行されたそうだ。今日も彼はこの作品がいかに映画に向いているかということを滔々と語っていた。そして「熊本さんも是非読んでよ」と日本語オリジナルとハングル版を頂いた。さすがにハングル版のほうは読むことができないが、日本語のほうは読んでみようと思う。 

拝金
堀江 貴文
徳間書店

複雑なきもち

2012年04月07日 | Weblog

昨年も一昨年も立川で桜を見たような気がする。今日は小三治の独演会。3月25日に三郷で一門会を聴いたばかりなのだが、あれこれ予定を考えて予約を入れているわけではなく、毎回出来心のようなもので気まぐれに切符を買っているのでこんなふうに続くこともある。

今日は「小言幸兵衛」のなかでちょっと危ないところがあってヒヤリとした。幸兵衛と仕立屋との問答のなかで、幸兵衛が芝居仕立てに仕立屋の息子と長屋にいる古着屋の娘お花との付き合いを妄想する場面がある。お花を梅幸に、仕立屋の息子を羽左衛門に見立てるはずだが、羽左衛門の名前が出てこなくて、少し間が乱れた。結局、「お前の息子には会ったことがないからわからない」ということにして羽左衛門なしで話は進行した。こういうこともあるのだなと、聴いていて複雑な心持ちになった。なにも完璧を要求しているのではない。生口演なのだから体調も気分もその時々で違うわけだし、生身の人間なのだから芸の調子も毎回違って当たり前だ。すべて一回こっきりのことばかりで、立ち現れてはその場で消えてくところに、今この瞬間、自分だけが体験する時間というものを味わう楽しさがある。落語に限らず講釈も芝居も舞台演芸というものはすべてそういうものだろう。今はネットの動画サイトやDVDなどのパッケージソフトでそうした芸を見ることはいくらでもできるようになった。しかし、生身の人間が演じるものは、その生身を観ないことには体験したことにはならない。人に五感というものがあり、さらにそれを超えた感覚というものもあるのだから、生身のものに触れれば自分の持つ感覚の全てが何がしかの刺激を受けるのである。そういう体験こそが人の感性と知性を豊かにするものだろう。旨いものを食うことが嬉しいのは、それによって自分の血肉が豊かになることを身体が喜んでいるからだと思う。噺家が言葉に詰まるのも、今この瞬間だけのことだ。言葉に詰まる大看板を観るというのも滅多に体験できることではないのだから贅沢なことに違いないのである。そう考えるなら、その場に居合わせることの縁を喜ぶべきなのかもしれないが、人情としては素直にそうできない。そのあたりが「複雑」なのである。

この後、仲入りをはさんで「初天神」だった。どちらの噺もまくらは控えめで、全体としてこじんまりとした会だった。

今日の演目

「鯛」柳家はん治
「小言幸兵衛」 柳家小三治
(仲入り)
「初天神」 柳家小三治

開演 14時00分
終演 16時00分
会場 アミューたちかわ 大ホール


いいもの

2012年04月06日 | Weblog

平日の朝、平均的な勤め人が出勤するような時間に遊びに出かける。東京駅を8時03分に発車する新幹線で静岡に向かう。席が13号車だったが、車内の大部分の席が某大手旅行代理店の団体客用に押さえられていて、私のような部外者は肩身が狭い思いをする。私の席は3人がけの窓際で、隣の二人はその団体の人たちだ。会話の端々から京都へお花見に出かけるらしいことが窺い知れる。なにもわざわざ京都まで花見に出かけなくても近所にいくらでも桜は咲いているだろうにと思うのだが、花は二の次三の次ということだろう。座席の前のテーブルには缶入りスーパードライとおつまみセットが並んでいる。東京駅発車前に既に良い塩梅に出来上がっていて、サラミの臭いやら裂いかの臭いが漂っていた。早くに出来上がってしまった所為で熱海を過ぎる頃には二人とも夢の中だ。せっかく良い気持ちに浸っているところを邪魔するのは忍びなかったのだが、「恐れ入ります」と声をかけて静岡で下車する。

静岡駅前で路線バスに乗り、登呂遺跡入口という停留所でバスを下りる。少し歩くと遺跡に着く。遺跡の一画に芹沢銈介美術館がある。前回、ここを訪れたときは駅前でレンタカーを借りたのだが、そんな必要がないほど便利の良い場所であることがわかったので、今回は路線バスを利用した。

現在の展示テーマは「暮らしにとけこむデザイン」ということで、芹沢作品を使って茶の間や飲食店客室を作ったものの展示もある。実際に芹沢は商業デザインも手がけていて、先日仙台で訪れた光原社も看板や包装紙などが芹沢の手になるものだ。今日ここへ来てみようと思ったのは、今でも使われている芹沢作品を目の当たりにした所為もある。都内でもざくろというしゃぶしゃぶの店が看板や店内の暖簾などに芹沢作品を用いている。今回の展示を見て知ったのだが、芹沢が手がけた商業デザインには店舗内装の他にも、販促用絵皿やカレンダー、商品パッケージ、など多岐に亘り、なかには日本航空のパンフレットもある。商業デザインというのは顧客を吸引するためのものなのだから、今も昔も商売の損得という視点で作成されているはずだ。それが、なんとなく今のもののほうが手間を惜しむかのような印象を受けるのは私だけだろうか。商売なのだからコストを低く抑える工夫が必要なのは理解できるが、あまり安直にそういうことをやられると馬鹿にされているような気がする。デザインとは関係ないが、ポイント制とかセールなどはそういうことを感じさせる最たるものだ。前にも書いた記憶があるが、現在の値段よりも安く売ることができるのなら、なぜ最初からそういう値付けにしないのだろうか。理由がどうあれ、値下げ前に買った人に対してはぼったくったのと同じことだろう。人の足下を見る商売が長続きするはずはない。卑小で狡猾な姿勢が商品のデザインや販売姿勢に反映されていないかどうか、売る方も買う方もじっくりと見直さないと、生活はますます軽少浅薄になり、景気は永遠に良くならないのではないか。デフレスパイラルの本質は、市場原理の貫徹に伴う比較優位の追求というよりも、自分自身の価値観で物事を判断する姿勢の欠如ということではないかと思う。

別に芹沢の作品が好きだとか嫌いだとか言っているのではないし、それがあるべき姿だと主張するつもりもない。むしろ、展示されている家庭の居間や飲食店の内装には、あざとさすら覚える。しかし、実際に品物を目の前にしたとき、それを作る人の気持ちを想像できないようでは人として生きる甲斐がないだろう。気持ちを想像するには、そのものについてある程度の知識を持たないといけない。つまり、自分の生活、自分が生きるということについて、どれだけあれこれ意識するかということが身の回りのものを選択する際に問われているのである。河井寛次郎の言葉に「モノ買ってくる 自分買ってくる」というのがあるのだが、そういう基準でものごとを判断する、また判断するに足るだけの知識を持とうと心がけるなら、ひとりひとりの生活はもっと違ったものになるだろうし、経済全体ももっと活発になるように思う。尤も、それは無いものねだりということかもしれない。

昼食は登呂遺跡近くにあり、芹沢もしばしば足を運んでいたという臼もちの家という店で蕎麦とおこわのセットをいただく。この店のセットメニューには食後に安倍川餅が付いてくる。この店も農家のような風情の建物だ。店内に囲炉裏が切ってあり、炭が起こしてあった。今日は天気は良いのだが、風が強く気温も今の時期にしては低めだったので、囲炉裏の火が心地よかった。

バスで静岡駅へ戻り、東海道本線で掛川へ行く。掛川には資生堂のアートハウスと企業資料館があり、無料で公開されている。去年の5月頃、芸大通信課程の工芸論という科目の面接授業に出席した際に担当教員から勧められていて、いつか出かけようと思っていたのである。掛川駅から資生堂のこれらの施設までは徒歩20分ちょいというところ。駅前からここまでの間にはCoCo壱番屋の店舗が一軒、寿司屋が一軒、無国籍料理という看板を掲げた店が一軒あるだけだ。昼食を静岡で済ませておいて正解だった。

銀座にも資生堂のギャラリーがあるが、企業資料館のほうはそのギャラリーと似た展示内容である。アートハウスのほうは「第三次椿会再現展1」という企画展を開催していて、これがとても良かった。感性も知性も貧弱なので、あまりものに感じるということはないのだが、この展示は心底「いいもん観たなぁ」と思えるものだ。それほど大きな展示スペースではないという所為もあるのかもしれないが、展示されていた作品全てに魅入ってしまった。なかでも山本丘人と奥村土牛の作品はそれぞれ3点ずつだったが、それぞれに好きだ。山本丘人は何年か前に平塚市美術館で回顧展が開催されたときに観た頃は、まだそれほど興味を覚える作家ではなかった。それが今日は俄然として私の眼を惹き付けた。作品はもう変わりようがないのだから、私の眼のほうがこの間に変化をしたということなのだろう。私の文章力では、何をどう説明しても惹かれる理由を伝えることはできず、かえって自分のなかのフラストレーションを高めるだけに終わりそうなので、印象を叙述するということは差し控えておく。岡鹿之助も確か初めてそれと意識して眺めたのはブリヂストン美術館の常設だったと思うが、やはり今日改めて観るとかっこいいと思うのである。今日はこの作品展を観ただけでも遠出をしてきた甲斐があった。

帰りは掛川発午後3時32分のこだまで東京へ戻る。東京駅から中央線で中野に出たら午後6時前に付いたので、なかのZEROに行く途中にあるイタリア料理屋で前菜の盛り合わせと仔羊のカツをいただく。腹ごしらえをして落ち着いたところで、落語教育委員会を聴く。この3人のなかでは喜多八が一番好きだ。でも、いつも感心するのは喬太郎の人物描写と言葉へのこだわりだ。特に今日の「子別れ」のように子供が登場する話での子供の生意気具合が尋常ではなく、下手をすればエログロナンセンスに陥るのではと思わせるほどだが、さすがにそうならないのは台詞の言葉が十分に練られている所為ではないかと思う。

この春、落語界では春風亭一之輔が大抜擢で真打に昇進したが、二つ目クラスの若手のレベルが高くなっているのだろうか。落語協会が運営しているインターネット落語会で最近観た二つ目の人たちの高座も好きだし、今日の開口一番もなかなかのものだった。

今日の演目
「真田小僧」 三遊亭美るく
「安兵衛狐」 三遊亭歌武蔵
(仲入り)
「だくだく」 柳家喜多八
「子別れ」 柳家喬太郎

開演 19時00分
終演 21時15分
会場 なかのZERO 小ホール


いつか終わりは来る

2012年04月05日 | Weblog

就職先から連絡があり、16日の正式入社を前に来週から就業可能かとの問い合わせがあった。それは事前に言われていたことなので来週は予定を空けてあり、9日月曜から就業開始ということになった。いよいよふらふらしていられるのも今週限りかと思い、今週中に少し遠隔で行きにくいところに出かけておこうと、ネットで新幹線を予約した。明日は静岡に行く。しかし、夜は落語会があるので、それまでには東京へ戻らないといけない。

今日の食事は全て自炊。といってもカレーライスなので簡単だ。ま、いつも簡単なものしか作らないのだが。ジジイなので野菜をたくさん入れるように心がけている。結果として、野菜から水分が出てくるので水を一滴も加えることなくカレーが出来上がる。特に椎茸類は水分が豊富で味も深くなるので、水分量の調整には椎茸類の量を加減するとよい。今日はエリンギを使った。あと、昨年震災後に使うようになったのがヨーグルトだ。確かこのブログにも書いた記憶があるのだが、木工を習っていた頃、帰りにビルマそうめんを食べに立ち寄っていた店で、店主が震災後にカレーに入れるヨーグルトが手に入りにくくなって困ったというようなことを出入りの食材業者風の人と話しているのを耳にして以来、自分でカレーを作るときにもヨーグルトを入れて味を整えるようにしている。今日も封を切った明治ブルガリアヨーグルトが残っていたので、残っていたものを全部鍋のなかに入れてしまった。確かに、ヨーグルトを入れると味が落ち着くのである。

夕方になって急に思い立ち、映画を観に出かけた。キム・ギドクの「アリラン」。音楽家でも小説家でも創作活動をする人というのはアイデアが無限に湧いてくるわけではないようだ。私はそういうこととは縁遠いので全くわからないが、感覚としては、そりゃそうだろう、と思う。稀に何十年もヒットを生み続ける作家がいるが、たいていは数えられる程度の「代表作」とその焼き直しのようなものの威光で芸術家として認知されているということが多いような気がする。そうそう新しいことなど思いつくものでもないだろう。映画監督というのも例外ではないのだろう。キム・ギドクの作品はいくつか観た。

魚と寝る女 [DVD]
クリエーター情報なし
コロムビアミュージックエンタテインメント
悪い男 【韓流Hit ! 】 [DVD]
クリエーター情報なし
エスピーオー
サマリア [DVD]
クリエーター情報なし
ハピネット・ピクチャーズ
絶対の愛 [DVD]
クリエーター情報なし
Happinet(SB)(D)

どの作品も人間の業のようなものを描いていて、ひとつだけ観れば面白いのだが、何作も観ると気が滅入る。ごく普通に生活していれば、人に感謝することもあるし、人を恨みに思うこともある。絶対的な悪人というのもいないし、善人というのもいない。そもそも善悪という二元的な価値尺度を想定することが現実から乖離している。善意に基づく行為が結果として相手を傷つけることもあれば、悪意でしたことが相手に評価されることもある。善も悪も立場によって変わるものだし、立場は思いの外変化に富んでいるものだ。それを敢えて人間の醜いところを強調して見せて、これが人間というものですよ、と言われても、そりゃ「人間」じゃなくて「あなた自身だろう」とツッコミを入れたくなる。

勿論、社会というのは人の善意や正直を前提にしないと成り立たないという側面がある。そうした前提が「文明」と呼ばれるものだ。危険で外を歩くことができない状況というのは、文明が成立していないか失われてしまったということだろう。文明を成立させるのは、その社会を構成する人々の知性と感性、より具体的には自分の価値観に対する自覚と他人のそれに対する想像力だと思う。本能のおもむくままというのでは殺し合に至るよりほかにどうしょうもない。自分の価値観と相手の価値観とをコミュニケーションを通じて互いを比較対照して妥協点を探るということが自然にできるようでなければ、安心して生活できる社会にはならない。世界を見回したとき、そうした秩序が成立している場所のほうが少ないのかもしれない。

おそらく、この監督は文明が当たり前に存在すると暗黙のうちに信じきっているのだろう。だから人の業に注目するのである。そして創作の限界に突き当たるのである。その苦悩する自分を自ら撮影して映画として商売するというのだから、やはりこの映画監督はただものではない。


心地よい距離

2012年04月04日 | Weblog

新しい就職先で勤務が始まってから何人かの人たちに挨拶状を出すつもりでいるのだが、このブログを読んで私の就職のことを知り、声をかけてくれる人がいる。大変嬉しく、また、ありがたいことでもある。今日はそんなひとりであるかつての同僚と黒澤で昼食を共にした。ちょっと落ち着いて食事をするのに良い場所だが、相手があって来るところであって、ひとりでふらりと立ち寄るタイプの店ではない。職場が霞ヶ関にあった頃はここは自分の昼食圏内の辺縁で月に一度くらいの割合で来ていたが、別の職場に移ってからは年に一度くらいになってしまった。

会食を終えて一人になり、国立演芸場で寄席でも聴こうかとも思ったのだが、今週は金曜土曜連続で落語会に出かけることになっているので、今日は美術館へ出かけることにした。銀座線で上野に出ると、平日昼間だというのに妙に人が多い。上野の山に登ってみれば、お花見の人たちが集まっていることに気がついた。桜というのは不思議なもので、日本人の間では今時分の時候の挨拶に必ずといってよいほどに言及される。ソメイヨシノの淡い色の花が咲き乱れている様子を眺めると妙に嬉しくなるものだ。その散りっぷりも見事で、花が終わると一斉に落花して直に若葉が木を覆う。このあたりの潔さのようなものに惹かれる。

国立西洋美術館での企画展はユベール・ロベール。一体誰だろうと思ったら、普段は常設本館2階の新館側の壁に廃墟をモチーフにした大型の作品2点が掛かっている作家だった。フラゴナールと同時代の人で、言われてみればそういう空気があるようにも感じられる。その展示の最後のほうに皿に描かれた油彩が3点並んでいる。彼は画家として宮廷に出入りしていたため、フランス革命で投獄され、獄中でそうした作品を残したという。これが売れたのだそうだ。油彩が描かれていれば皿としては使えないが、装飾としては確かに文字通りの絵皿だ。彼の時代は廃墟がモチーフとして流行したのだそうだが、時間の経過や物事の栄枯盛衰の象徴としても面白い題材だ。傍目に「面白い」と見えても、それ自体は本来の存在価値を失っているというのは、廃墟に限ったことではあるまい。だから廃墟の画というのは、単なる風景ではなく見る人に何事かを問いかける普遍性を帯びている、と見ることもできるのではないだろうか。

東京藝術大学大学美術館にも足を運んでみる。本館は休館中だが陳列館で大西博の回顧展を開催している。大西は私と同世代だが昨年3月に亡くなっている。勿論、面識はない。いつものように同世代人に妙に興味を覚える習性の赴くままにあれこれ想像を巡らせているだけのことだ。琵琶湖で釣りをしていて水に落ちて溺死したのだが、きっかけはあの大震災だったのかもしれない。東京藝術大学の准教授であったのだから東京かその周辺で暮らしていただろう。震災とそれに続く原発事故の影響を憂い、妻と子供たちを妻の実家があるドイツへ避難させて単身生活を始めた矢先の事故だったという。趣味が釣りで、おそらく、家族を避難させて一息ついて、好きな釣りに出かけて災難に遭った、ということではなかったか。私も離婚して単身なので好き勝手にふらふらしているが、家族と一緒に暮らしていればそうそう遊んでもいられない、と思う。

それで大西の作品だが、今回初めてみた。彼はラピスラズリからウルトラマリンブルーを精製する技術を研究しており、その道では世界の第一人者だそうだ。ウルトラマリンブルーといえばフェルメールで、大西の「水景」シリーズをみるとフェルメール作品の空気感がウルトラマリンブルーに拠るところが大きいことが了解されるだろう。

芸大美術館を出たとき、既に午後4時を回っていた。今日は外出したついでに夕食をkif kifで頂くことにしようと思っていたので、それまでの時間潰しに閉館時間の遅い美術館を訪れることにした。鴬谷から山手線に乗って新橋で下車。電通ビルの地下にあるアド・ミュージアムに行く。

アド・ミュージアムでは企画展として「学生広告賞展」が開催されている。面白かったのは中国大学生広告芸術祭学院賞のコーナーに並んでいた作品だ。なんとなく「中国」というと高度成長期の日本のように収益のためなら環境破壊など気にしないかのような印象があるのだが、そこに並ぶ作品の背後にある知性や感性はそうした野蛮なものとはほど遠い良識溢れるもののように感じられる。同じ人間なのだから当然なのだが、中国の人も環境問題に関心を払っているということを知って驚く自分に驚いた。学生の作品全体について共通しているのは、多少うるさいと感じられることだ。確かに広告というのは伝えたいことを広く適切に伝達するメディアである。伝えたいことが多ければそれ相応に記号を散りばめなければならないと考えるのは当然だと思う。しかし、一度に伝えることができることというのは知れている。確かに不特定多数を対象とする広告は受け手のリテラシーが一定していないので球数を増やして伝達確率をある程度確保するという発想は理解できないわけではない。ただ、そうなると広告の持つ美しさのようなものが犠牲にならざるを得なくなり、受け手の感性に対するインパクトは減衰する。広報と広告とは一文字の違いだが全く異質のものだと思う。意味内容だけを表明して伝えるなら意匠は不要だろう。意味内容とその背後にある感性や知性を相手の感性や知性に直接訴えるために意匠やコピーが必要なのである。人は経験を超えて発想することはできない。意匠もコピーも結局は作り手がどれだけ意識的に生活というものをしてきたかというところが出来映えに現れるのではないだろうか。となると学生の作品が得てして稚拙になるのは仕方が無いとろこもある。ただ、広告は商売道具なので「仕方が無い」とは言っていられない。「広告」であるからには妥協は許されないのである。特に今の日本は国全体が萎縮しつつあるように見える。そうしたなかで広告のヒットを飛ばすのは至難だが、だからこそ、そこで働く人々は「勤め人」ではなく「クリエイター」と呼ばれる価値があるということなのだろう。

新橋から都営浅草線と三田線を乗り継いでkif kifへ行く。店に着いたのは外食での夕食には少し早い午後6時過ぎということもあり、私以外に客はいなかった。おかげで原さんと少し話すこともできた。冒頭にも書いたように、原さんからも「就職おめでとうございます」と声をかけられて嬉しかった。今日は原さんのおすすめに従い、以下の料理を注文する。デザートは自分で選んだ。

 牛スジとオニオンのグラタンスープ
 仔羊のクスクス
 八角アイスクリーム

クスクスのことは原さんのブログに書いてある通りだ。北アフリカには行ったことがないので、果たして自分が作るものが本当にモロッコやその周辺で食べられているものなのかどうかわからない、とおっしゃっていたが、私は「本場の」というのは単なる幻想だと思う。なかにはその土地のどこへ行っても同じものが出てくるというような料理があるのかもしれないが、文化というものが個人のレベルで全く同じということはあり得ないのだから、料理も然りなのではないかと思うのである。よく「おふくろの味」などというが、それが端的にステレオタイプの不在を語っている。みそ汁とかご飯というような一見シンプルでどこの家庭でも食卓にのぼっているものほど、その家庭の個性が現れているものだし、ましてや味付けの余地が大きくなる惣菜類ともなれば「本場」で括ることのできるようなものなど無いのではなかろうか。原さんがフランスでの修行時代にモロッコ人の同僚から伝授されたというクスクスは、それはそれとして「本場」のものなのだと思う。尤も、本職の料理人の世界ともなると、やはり標準というものが必要なのかもしれないが。

ところで、クスクスに付いてくるソーセージだが、いかにもイスラム風という感じがする。私はマンチェスターに留学していたときに夏休みとクリスマス休暇を利用してアウグスブルクでホームステイをしていた。通算すると3ヶ月間、3家族のお世話になった。そのうち2家族は世帯主どうしが姉妹なので実質的には3ヶ月間2家族とも言える。そのなかで、レジー・ナウマンさんのお宅はビールの醸造とソーセージの製造を家業にしていて、ビールとソーセージについてはいろいろ蘊蓄を聞かされた。ただ、ナウマンさんはドイツ語しか話さないし、私はドイツ語が不自由だったので、その蘊蓄がおそらく半分も伝わっていないのが残念だ。結論から言えば、ソーセージというのは加工食品だが、肉のもとになる牛や豚はつぶす時期によって脂肪の乗りも肉質も微妙に違うので、加工食品といえども種類によって旬というものが違うのだという。ソーセージの種類というのは数多あり、いろいろ聞き食べたのだが、今記憶に残っているのはバイスヴルストという牛の脳味噌を主原料にした白いソーセージのことだけだ。なぜそれだけ覚えているかというと、それが「一番旨い」と言われてお宅に滞在中は毎日のように食べ、マンチェスターに戻るときにはお土産に持たされて茹で加減について言い聞かされていたほどだからだ。そのアウグスブルク、正確にはその南にあるボービンゲン(Bobingen)という村で一月近く毎日のように食べた様々なソーセージの味と、今日のクスクスに付いてきたkif kifホームメイドのソーセージとは異質なものなのである。どちらがどうということではなく、どちらもそれぞれに旨いということだ。ちなみに、今日のソーセージもどこか懐かしい味だと感じたのだが、これを書いていてマンチェスターで住んでいた学生寮の近くにあるパキスタン人が経営しているケバブーハウスのソーセージに似ているかもしれない。その店も食材は手作り品だった。


晴遊雨読

2012年04月03日 | Weblog

巣鴨のあたりは午後3時頃から風雨が強くなり、時折風で家が揺らぐような日になった。陶芸教室は勤めの関係で今月から夜のクラスになったのだが、午後3時20分に教室の運営会社から電話があり、今日は休講との連絡をいただいた。そんなわけで今日唯一の用事が無くなり、終日住処で本を読んだりスコーンを焼いたりして過ごす。

『月刊みんぱく』の最新号(2012年4月号)に興味深い記事を2本見つけた。巻頭エッセイ「なんとかなりまへんやろか」は、東京と大阪の文化の違いについて書かれたものだ。いくつか例を出しているのだが、最初のものが面白い。

(以下引用)
「残念ですが、胃がんです」
病院で精密検査の結果を言い渡されたとき、東京の患者さんならたいてい黙って下を向くという。そのあと二人の間にしばらく沈黙が続き、先生はその沈黙をじっと待つという。
 しかし、大阪の患者さんはちょっと違うらしい。
「残念ですが胃がんです」
「ええ? 胃がんでっか? ……そこ、なんとかなりまへんやろうか」
「……」
「なんともならんわなあ。……言うてもしゃあないわなあ……」
「まあ、ねえ」
「しかし、胃がんとは思わなんだなあ。……そらまあ、自分の体にできてしもたんやから……センセに言うてもほかの病気と換えてもらうわけには行かんのは分かってますけど……それにしても、えらいもんがでけましたなあ……」
「まあ、ねえ」
 先生はとりあえず「まあ、ねえ」しか言ってないのだが、患者が自分でおねおね言って自分で気持ちをなだめて、治療の話し合いはそのあとから始まるようだ。
(尾上圭介「なんとかなりまへんやろか」『月刊みんぱく』2012年4月号 国立民族学博物館 1頁)

筆者が意識しているのかいないのか知らないが、土地の文化というよりも個人の感性知性の違いを「東京」「大阪」という記号で表現したのではないかと私は読んだ。勿論、現実にそれぞれの風土の違いはあるだろう。ただ、そういうことよりも個人の思考力や言語運用能力に応じてコミュニケーションが成り立つのではないだろうか。私は自分が短気だとは認識していないのだが、普段の生活のなかで何が不愉快かと言って、話の通じない相手と対峙することほど不愉快なことはない。通じる相手であるか否かというようなことは5分も会話を交わせばだいたい見当はつくので、こりゃあかんと思えばこちらからは関わらないようにしている。世の中には「話せばわかる」相手よりも埒の空かない相手のほうが遥かに多いものだ。それでは交友関係が広がらないが有象無象との交友など願い下げだ。そもそも「友人」というものはそう大勢いるはずのものではないと思う。

もうひとつの記事は「被災後を生きる」という竹沢尚一郎氏の書いたものだ。昨年の震災に被災した岩手県大槌町の二つの集落について比較したものである。片や吉里吉里、片や町の中心部での被災後の様子だ。吉里吉里のほうは被災直後に住民総出で対策本部を立ち上げ、被災者自ら他の被災者の救援に当たったという。地域内の商店や被災を免れた家庭から物資をかき集め、自ら炊き出しも行い、自衛隊による食料供給が本格化するまでの3週間を耐え凌いだそうだ。一方、中心部のほうは中央公民館が被災を免れ、そこに被災者が避難したが防寒用品や食料の備蓄は無く、凍死した人もあったという。避難民のなかには役場の職員も多数いたが、吉里吉里のような対策本部はついに立ち上がらず、限られた物資を巡って避難民どうしが対立することもしばしばあったそうだ。この違いが何に由来するのか、その最たるものが被災前のコミュニティのあり方の差異だというのが筆者(竹沢氏)の観察だ。吉里吉里地区はもともと学校も寺院もひとつしかなく、2,200人の人々がいわばひとつの共同体として生活をしていた。対する中心部は都市化が進み、人々が共同生活というものに慣れていなかったのではないかと筆者は見るのである。

都市というのはその土地の生産力とは無関係に成立した集落である。人が暮らすためには、その命を維持するのに必要な食糧や生活物資が必要で、都市化が起こる以前は専らその土地の一次産業に依存していた。農業も漁業も林業も基本は共同作業であって、ひとりでできるものではなく、当然にその場所と深く結びついている。それが技術や交易の発達によって人々の生活と地域との結びつきは徐々に失われて今日に至っている。一般に「生活の進歩」とか「豊かさ」というとき、それは「都市化」とほぼ同義だ。進歩も豊かさも貨幣価値によって換算されて表現される。つまり、貨幣経済というシステムを選択して、「進歩」や「豊かさ」を追求すれば人の生活は自ずと土地から切り離されてゆくのである。土地から切り離されてしまうと人は貨幣無しに生きることができない。生きようとすれば貨幣にしがみつかざるを得ないのである。人と人との関係も、土地との関係も、風土も文化も全てが貨幣によって表現され、貨幣によって交換可能となる。貨幣経済あるいは貨幣による交換を前提とした市場中心の経済体制のなかで、人は貨幣以外のものは必要としなくなる。おそらく都市生活の孤独の本質は貨幣の存在ということなのではなかろうか。

ところで、巣鴨あたりの風雨はまだ続いている。雨は知らないが少なくとも風の音は凄まじい。明日、生協の宅配が届く予定なので、今日は食材の在庫が乏しく、昼に冷蔵庫の中のものを使い切ってしまった。戸棚に薄力粉の使い残りが少しあり、ベーキングパウダーや干し葡萄もあったので、夕方にスコーンを焼いた。焼菓子を作るときにいつも感じるのだが、焼菓子というのは要するにバターを焼いているだけなのだ。バターそのままでは熱を加えると溶けてしまうので小麦粉を乗り物にして、そこに多少の味付けをして加熱する。見た目は粉を焼いたものだが、その実はバターだ。パンと菓子の違いはバターの有無にあるといっても過言ではない。バターというのは要するに脂肪だ。パンの主役は粉で菓子の主役は脂なのである。フランス革命のとき、民衆が「パンをよこせ!」と蜂起したと聞いてマリー・アントワネットは「だったらケーキを食べればいいじゃない」と言ったとか言わなかったとか。国王の妃という立場で、もし本当にそう言ったのだとしたら、断頭台の露と消えても仕方が無い。人の生活とパンに象徴される生活基本物資との結びつきを理解しない為政者に存在意義は無いのである。

夜、前の職場の同僚から携帯にメールがあって、松島で俳句でも作ったのかと尋ねてきた。冗談であることは重々承知だが、iPhotoを開いて松島で撮影した写真を眺めながら三つばかり考えて、説明をつけて返しておいた。こちらも冗談のような俳句である。

瑞巌寺には立派な杉並木がある。その先が本堂だ。その様子を眺めて一句。

 杉並木 行き着く先は 春の寺

その寺は震災の復旧工事の真最中。そのことについて一句。

 彼岸寺 再建の音 高らかに

瑞巌寺別院の円通院には石庭がある。花など無いのだが、季語が欲しいので風景を捏造して一句。

 石庭の 波間に揺らぐ 桜花

お粗末。


写生の意味

2012年04月02日 | Weblog

『病牀六尺』は正岡子規が亡くなる年に死の2日前まで125回に亘って新聞『日本』に連載した随筆である。表題が示す如く既に身体の自由を失っており、執筆は高浜虚子の手になる口述筆記である。勿論個人差はあるだろうが、人の思考というものは死を目前にしても然して変わらないと感じた。結局はその人のあるがままにしか考えることができないし生きることができないということなのだろう。とはいえ、モルヒネでかろうじて身体の痛みをごまかすのがやっとというほどの病苦により、落ち着いて原稿を考えることなどできなかっただろう。127回の連載すべてが感心するほどの内容があるとは思えないが、いくつかは抜き書きをして手元にとどめておきたいものだった。たとえば、6月2日のものだ。

(以下引用)
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。

因みに問ふ。狗子に仏性ありや。曰、苦。
また問ふ。祖師西来の意は奈何。曰、苦。
また問ふ。………………………。曰、苦。
(正岡子規『病牀六尺』岩波文庫 43頁)

子規は写実ということに価値を見出していたが、それをまとめた文章も6月26日に掲載している。

(以下引用)
写生といふ事は、画を画くにも、記事文を書く上にも極めて必要なもので、この手段によらくては画も記事文も全く出来ないといふてもよい位である。これは早くより西洋では、用いられて居つた手段であるが、しかし昔の写生は不完全な写生であつたために、この頃は更に進歩して一層精密な手段を取るやうになつて居る。しかるに日本では昔から写生といふ事を甚だおろそかに見て居つたために、画の発達を妨げ、また文章も歌も総ての事が皆進歩しなかつたのである。それが習慣となつて今日でもまだ写生の味を知らない人が十中の八、九である。画の上にも詩歌の上にも、理想といふ事を称へる人が少なくないが、それらは写生の味を知らない人であつて、写生といふことを非常に浅薄な事として排斥するのであるが、その実、理想の方がよほど浅薄であつて、とても写生の趣味の変化多きには及ばぬ事である。理想の作が必ず悪いといふわけではないが、普通に理想として顕れる作には、悪いのが多いといふのが事実である。理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と陳腐を免れぬやうになるのは必然である。固より子供に見せる時、無学なる人に見せる時、初心なる人に見せる時などには、理想といふ事がその人を感ぜしめる事がない事はないが、ほぼ学問あり見識ある以上の人に見せる時には非常なる偉人の変わつた理想でなければ、到底その人を満足せしめる事は出来ないであらう。これは今日以後の如く教育の普及した時世には免れない事である。これに反して写生といふ事は、天然を写すのであるから、天然の趣味が変化して居るだけそれだけ、写生文写生画の趣味も変化し得るのである。写生の作を見ると、ちよつと浅薄のやうに見えても、深く味はへば味はふほど変化が多く趣味が深い。写生の弊害を言へば、勿論いろいろの弊害もあるであらうけれど、今日実際に当てはめて見ても、理想の弊害ほど甚だしくないやうに思う。理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上らうとしてかへつて池の中に落ち込むやうな事が多い。写生は平淡である代りに、さる仕損ひはないのである。さうして平淡の中に至味を寓するものに至つては、その妙実に言ふべからざるものがある。
(正岡子規『病牀六尺』岩波文庫 76-77頁)

この写生に関する記述を読んでいて、先日「東京かわら版」で読んだ小三治のインタビューを思い出した。「人が生きてるっていう素晴らしい世界が、あんなに落語の中にいっぱいあるのに、それを無視して自分が押し分けて出てくるっていうのは、みっともないですねえ。」(「東京かわら版」平成24年4通巻461号 10頁)絵画にしろ文章にしろ落語にしろ、表現というものの美しさ、もっと敷衍すれば美しいということそのものがどこにあるのか、ということについて子規や小三治の言葉が深い示唆を与えているように思われるのである。

病牀六尺 (岩波文庫)
正岡 子規
岩波書店

無限なる有限

2012年04月01日 | Weblog

昨年12月の失業以来かなり暇だったので、うろうろおろおろしながらいろいろ考えた。殊に広島、八丈島、松島と悲惨な歴史を抱えた「島」を歩いているだけで、原爆だの遠島だの震災だの、生き死ににかかわる重大事件をどのように捉えたのだろうかという素朴でありながら答えの無い問いが頭の中をぐるぐる巡った。その余韻がさめやらぬなか正岡子規の『病牀六尺』を読了。新聞『日本』に死の2日前まで書き続けたという彼の随筆集を読み、どうして人は生きるのだろうかと考えずにはいられなかった。

どうして生きるのか、生きようとするのか、と何故疑問に思うかといえば、死ぬことが運命付けられているからだ。昨年7月27日に厚生労働省から発表された「平成22年簡易生命表」によれば平成22年における日本人の平均寿命(0歳における平均余命)は男性が79.64年、女性は86.39年だ。いったいどれほどの人が「生まれてきてよかった」とか「楽しい人生だった」と思って一生を全うするのだろうか。

昔、「枝雀寄席」という番組があって、そのなかで枝雀がゲストと15分ほど対談をするというコーナーがあったらしい。そのゲストで中島らもが出演した回があり、その時の話題が「人は何故生きるのか」ということだった。なぜこのような話題だったのかというと、当時、朝日新聞に「明るい悩みの相談」というコーナーがあり、中島が回答者を務めていた。そこに中学生の質問で「人は死んでしまうのになぜ生きなければならないのですか」というものがあって、それに対する中島の回答に枝雀が興味を覚えて番組のゲストに招いたのだという。その回答の要旨は、人間は数多くの細胞から構成されていて、その一つ一つは生滅をしているけれど、そうした代謝によって人間の生命が維持されており、それを人類という単位に敷衍してみれば、ひとりひとりの人間がそれぞれに生活を子へ孫へとつなぐことで人類が存在できる、というようなものだった。この対談の様子はかなり最近までYouTubeにアップされていたのだが、複数の著作権者からの抗議により削除されてしまった。中島の回答には私もなるほどと思えた。要するに、生命という漠然としたものが存在し、それが持続するという方向性を持っている、という大前提を想定するのである。その漠然とした生命なるものを生き長らえさせるべく生態系を数多の生物が構成し、それぞれのサイクルに応じて代謝する。さらに個々の生物はやはり数多の細胞によって構成され、それぞれの細胞のサイクルに応じて代謝が行われることでその命を保つわけだ。そうやって、それぞれが立場によって構成するものであり、構成されるものという構造体になっていて、代謝によって活力が維持されるようになっている。「なぜ生きるのか」ということは、実はどうでもよいことで、答えとしては「生まれてしまったから」というのが正解だ。生まれたからには生きなければならないのであって、別に何か取って付けたような理由のために生きているのではないのである。

しかし、その生命というものがある地球はいつか必ず消滅する。地球は太陽の活動によって支えられているわけだが、太陽というのはガスの塊のようなもので、自ら激しく燃焼して光と熱を発し、その光と熱で地球上の生命が維持されている。ガスというのは燃焼すれば無くなってしまう。つまり、天体としての寿命を全うするわけで、最期は超新星爆発を起こすらしい。となると、そのかなり前から太陽の様子がおかしくなるはずで、そうなれば地球上の環境も現在とはかなり違ったものになるはずだ。おそらく太陽よりも先に地球のほうがどうにかなってしまうのだろう。

それならば、地球がいつかは無くなってしまうのに、そこで暮らす我々が生きなければならないのは何故だろうか?