リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

言語は音楽的なコミュニケーションでもある

2022年01月04日 | 日々の風の吹くまま
1月3日(月曜日)。☁🌧🌤☁⚡❆。月曜日だけど、土曜日だった元旦の振替え休日。いやぁ、ゆうべは荒れたなあ。正面から風を受けたバルコニーでは、立てかけてあった箒が倒れて、ドアの外のゴムマットはめくれ、棚から落ちた空の水やりボトルやプラスチックのポットがあちこちにごろごろ。吹きさらしのルーフデッキでは水の入ったボトルが横倒しになっていただけで、20センチ以上積もっていた雪が9割がた消えて、何となく春っぽい感じ。朝のバルコニーの温度計はプラス3.6度。窓の外を見たカレシが「今日こそはウォーキングしよう」。うん、クリスマスからこの方、おいしいものを食べてごろごろしていたら、体重がじわっと増えて来ちゃったもんね。

今日こそはウォーキングに行こうと決めたのはいいけど、マザーネイチャーは相変わらず非協力的。昼前には雨が降り出して、雪が混じり出して、霙なんだか雹なんだか、ワタシの横の窓ガラスをバンバン。これじゃあ買い物は無理かなあと思案していたら、カレシも「ウォーキングはやめた方がいいかなあ」と思案。明日の予報はべちゃ雪だけど、まあ、買い物に支障はなさそうなので、ワタシも買い物はやめとこうかな。それが、昼頃から空が南の方から明るくなって来て、何と青空。マザーネイチャーはご乱心かあ。またまた予定を180度ひっくり返して、青空が広がっているうちにウォーキング。(カレシはもう1週間くらい外の空気を吸っていない。)風は冷たいけど、気温はまあまあで、願ってもないリフレッシュ。カレシが「ついでに買い物もしちゃったら」というので、よし、向こう2日くらいの当座の買い物をしておくか。

というわけで、買い物に行って帰って来て、エレベーターを待っていたら、ドアが開いたとたんにアジア系のおばちゃんが大きな声で「2人乗ってるから、ダメっ」。あ、おじちゃんも一緒だったのか。はいはい。コロナ拡散防止のためにエレベーターは2~3人に限られているので、たいていの人は2人乗っていたら「どうぞ」と誘われない限りやり過ごすから、そんな横柄な態度を取らなくてもいいじゃないのと思ってしまった。でも、実際は英語の「節回し」を知らないために、特に地声が大きい傾向のある広東系の中国人の場合は、どうしてもつっけんどんで横柄な口調になるだけの話なんだけど、相手に与える印象という点では損してるなあと思ってしまう。元々言語は音声によって気持を伝えるようにできた、いわば音楽と同じようなものじゃないかな。子供はそうやって母語を話せるようになるわけで、母語じゃない言語でも同じように体得できそうなものだと思うんだけど、文字の発明で、特に外国語は目から学ぶ「知識」のひとつになってしまったのかもしれないな。それ自体はコミュニケーション技術の進歩の始まりとして喜ぶべきことだと思うけど。

次のエレベーターで駐車場から乗って来たお兄ちゃんと一緒になって、さっそくスモールトーク(世間話)。話題はもちろん今日のクレージーな天気で、いっときバタバタと降っていたのは雹だったのか、霙だったのか、何となく「意見交換」。お兄ちゃんは「雨の日は気が滅入るから、オレは雪の方がいい」。うん、そうだねえ。エレベーターが18階で止まって、お兄ちゃんが「ハッピーニューイヤー」(良いお年を)。ワタシもハッピーニューイヤー。エレベーターでのこんな光景は我が家のマンションでは日常茶飯事。たまたま目が合った知らない人と交わす他愛のないスモールトークは、英語圏の社会文化の潤滑油のようなもので、他人同士の短い一期一会の交流だから、近しい人間関係でありがちなone-upmanship(今はマウンティングというのかな)は一切無用。何度か出会って「知らない人」でなくなれば、そこから親しい関係も生まれて来ようと言うもの。だからこそ、言葉を音楽的に捉えてみることも有意義じゃないかなと思うわけ。