リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

インフルエンザとコロナのワクチンを同時接種

2024年11月05日 | 日々の風の吹くまま
11月4日(月曜日)。🌧☁🌤。時計が1時間戻ったので、日の出は午前7時ちょっと過ぎになり、日の入りは午後4時45分。そ、冬時間になると日暮れが急に早くなるのよね。だから遊びたい人たちは冬でも日暮れが遅い夏時間の方がいいというんだけど、それだと真冬の日の出が午前9時過ぎになるので、学齢期の子供を持つ親が「暗いうちに子供を学校に行かせるなんて」と息巻くから困ったもんだ。中緯度地域で育った私としては日の出が午前9時なんてピンと来ないから、時計の切り替えを廃止するなら昔からの「標準時間」がいいと思うんだけど、政治やビジネスのいろんな思惑が絡んでいて・・・。

ほんっとに人間のやることって賢くないような気がするんだけど、ワタシもその人間の1人としてあんまり賢くないこともけっこうやって来ているから、大きな声では言えないよね。ゆうべは夜半から嵐になるという予報で大雨強風注意報が出ていて、起きてみたら案の定どこもかしこもびしょびしょの風景。ずいぶん降ったみたいだけど、強風による被害の方が大きかったみたいで、州全体で約24万戸、メトロバンクーバーでも10万戸が停電。電線が地下に埋設されている街中の商業区域に住んでいるとこういう時に便利だな。雨は小降りになっても風はまだ収まらなくて、ルーフデッキではプランターの植物がざわざわ、ゆさゆさ。まあ、警報が出るような強風と言っても、この辺りでは最大瞬間風速(gust)が時速35~37キロで、秒速にしてせいぜい10メートル。(バンクーバー島のビクトリアでは25メートルくらいだったそう。)日本のように秒速で表示すればどのくらいの強風か実感しやすいと思うんだけど、たぶん北米人には自動車社会のスピード感じゃないと風速の感覚も分からないのかも。

午後一番で2人揃って保健局から「お忘れなく」メールが来ていたインフルエンザとコロナのワクチン接種。処方箋の送り先に登録してある行きつけのスーパーの薬局はスペースがなくて扱っていないので、予約を入れたのは6番ストリートと6番アベニューの交差点でモールの反対側に右折したところにある小さい薬局。歯医者もそうだけど、薬局も我が家から徒歩3分以内に7軒あって、遠くまで行かなくても済むのはいいけど、ちょっと便利過ぎの観。保健局の電子記録に予約したことが記載されているから、健康保険番号(運転免許証の裏)だけで、まずワタシ、次にカレシの順で、8回目のコロナワクチンと高齢者用高用量インフルエンザワクチンを注射して絆創膏を貼ってもらっておしまい。同じ腕にしたから後で腕が上がらないってことにならないといいけど、夜になってそれぞれ宛に「今回の予防接種を記録に追加しました。接種後の注意事項はこちらをクリック」というメール。別に見なくてもいいんだけど、登録しておくと高齢者にはこうして「予防接種のお誘い」メールに始まって、予約をすれば前日に「お忘れなく」メールが来て、接種が済めばすぐに「記録しました」メールが来るので、し忘れる心配がないのがいいところ。何よりもどっちも無料だし・・・。



午前中に、PTC(Playwright Theatre Centre;劇作家集団)の芸術監督を退くハイディに来月12月9日のイベントに参加すると返事をして、同時に白内障手術のことと、東京でワタシのメンターの先生に会って出発前に送った英語訳・脚色の脚本にコメントをもらったことも報告して、読んでもらいたいのでイベントに行くときに持って行ってもいいかとお伺い。午後遅くに「次の手術の前にどこかで会ってゆっくりお話しない?」というお誘いメールが返って来て、PTCを退いてもフリーのドラマターグとして演劇活動を続けるそうなので、ワタシとしては願ったり叶ったり。向こう3週間は予定のない日がほとんどだから、いつでもそちらの都合の良い日にお願いしますと返信メール。芝居の翻訳家への道がまた一歩近くなるかもしれないと思うと胸がわくわく。マティニアワーが終わって、さて晩ご飯のしたくをばという頃になって、たっぷりと新雪を被ったゴールデンイアーズと大あくびをしているようなコクィトラム山が広がった青空に映え、早くなった夕暮れが夕闇に変わって行く西の空には沈んで行く三日月と金星のコンビ。心が軽くなっていいなあ・・・。






一病息災~自分の身体を労わってあげないと

2024年11月05日 | 日々の風の吹くまま
11月3日(日曜日)。☁。ゆうべ寝る前に時計を1時間戻しておいたので、今日から冬時間(標準時間)。寝たのは10時過ぎ(夏時間の11時過ぎ)だったのに、起きたのは8時(夏時間の9時)。でも、1日が1時間長くなったのにかこつけてよく眠ったから、まっ、いいか。普通に朝ご飯を食べて、普通に日曜日の洗濯と掃除を開始。白内障手術から2週間を過ぎたから、もう前屈みになっても良くなって、掃除の効率はアップ。この2週間は低いところのものを取るのにできるだけ背筋を伸ばしたまましゃがんでいたので、膝が鍛えられたと見えて、今では屈伸運動なんか楽々で、スクワットもできてしまうから、見ていたカレシが「オレも膝の運動をやろうかな」。いや、無理しなくて良いって・・・。

膝が鍛えられたのはうれしいんだけど、1年半も前に傷めて以来さっぱり治らないでいた右肩は、最初のうちにしゃがんだ姿勢から立ち上がるのにカウンターにつかまって上半身を引き上げようとしたのが祟って、腕を動かす方向によってはカクンと音を立てるようになったし、黙っていてもシクシク痛い。右肩はもう20年以上前に痛み出して、五十肩かなと思っているうちにカッチカチに凍り付いた前科があるから厄介。あの時は右腕が肘から先しか動かなくなって、車の運転ができなくなるなど、日常生活のいろんな動作が不自由になってえらく不便したもんだった。結局は物理療法に1年以上通って「融かした」けど、キーの操作は普通にできたから仕事に支障がなかったのは不幸中の幸いだった。今のところは右腕は動くことは動くし、動かせる範囲も特に狭まっている感じがないから、痛みを伴う急な動きを避けていれば、再び凍り付くことはないかも・・・。

まあ、人間として生まれて与えられた何十年の命をより良く生きるためには、持って生まれた全身のパーツを駆使しなければならないわけで、年齢と共に身体のあちこちに何やかやと故障が出て来るのは生きていればこその、言うなれば体当たりで生きて来たという証のようなものかな。そう考えたら、多少の痛みや故障は「自分」と言う人間家族の一部として受け入れて共生するのが一番の療法なんじゃないかという気がするな。ひと頃ネットでよく見かけた「一病息災」というあれだと思う。まあ、痛みに関しては、ワタシは鎮痛剤や麻酔との相性が悪いもので、痛みを我慢している方が楽だと思うせいで、医者に「だからと言って我慢していたら重病を見逃しかねないよ」と言われたくらいの耐性が付いてしまっているから、black sheep(厄介者)まで家族に取り込んじゃっているのかも・・・。

それでも、右手でマウスを動かすと肩の痛みが強くなったり、パチッと音を立てることに気が付いたので、マウスを右に置き換えたのも肩が良くならない一因かもしれないと思い当たって、今日から元来の左に切り替え。元々左利きで、35年前におひとり様稼業になって最初に使い始めたコンピュータのMacのマウスを左手で使っていたからだろうけど、やっぱり右手よりも使い勝手が少し上という感じかな。もっとも、Macは左手、Windowsの登場でPCが2台(マウスも2個)並ぶようになってからは英語版は左手、日本語版は右手と言う時代もあったんだけど、あの頃はまだ若かったから両手利きで悠々。キーボードだって、社会に出て最初の職業が英文タイピストだったから、タイピング歴は手動タイプライターに始まってもう60年になるわけで、手指の関節すべてに変形性関節症が起きているのも当然の成り行き。うん、やっぱり痛いのは平気だなんて言ってないで、少しは自分の身体を労わってあげないとねえ・・・。