11月22日(金曜日)。🌧☁🌤⛅。起床9時。うはっ、すごい風。爆弾低気圧ほどではないけど、東から吹いているので、寝室のバスルームの換気扇や冷蔵庫の上の排熱ダクトから吹き込んで来るのがわかるし、オフィスに座っているとルーフデッキに設置したエアコンの室外機を吹き抜ける風がヒューヒューと言っているのが聞こえる。でも、注意報は出ていないから、大したことはないかな。でも、カレシがまた5時前に目を覚まして悶々としていたせいで、ワタシは寝足りない気分・・・。
目が覚めたとたんに事故のことを思い出して、自己嫌悪に陥ってしまったみたいで、「何であんなバカなことをしたんだろう。自分に自信を持てなくなった」。あぁ~あ、困ったねえ。あのね、バカなことには違いないけど、あれは誰でもやりそうな「うっかり事故」じゃないの。「でも、最近オレの頭がどうかして来たんじゃないかと思って」。まあ、たしかに注意散漫なところはあるけど、それがアナタのパーソナリティなんだから、気になるんなら自分で何とかするしかないと思うけど。「あれから周りのことに注意を向けようとしてるんだけど」。いいことじゃないの。周りが見えていると自分も見えるようになって、そうなったらプラスのところもマイナスのところもわかって来て、それをひっくるめて自分はこういう人間なんだと受け入れたら、後は良くも悪くも自分次第。でも、過去に金縛りになっていたら、前が見えないし、そのまま歩こうとすればどこかでつまずいて転ぶのが関の山、と説教をしていたら、カレシも「それもそうだなあ」。うん、ここはまず寝直して、起きてから考えたら?
ほんとに、まずは自分という人間をありのまま受け入れてやらないと、自分を肯定するのは難しいだろうし、周りから自信を持てと言われても「どうやって?」ということになりがち。人間の脳内配線は複雑怪奇で、たぶんピンキリのスペクトラムで2人として同じ配線はないと思うんだけど、そこに社会で機能できない極端な例があれば、助けてあげたくても現代社会の仕組みの中では問題に「名前」がついていないと行政や社会サービスは動けない。そこで「○○障害」(いや、害はダメだから「障碍」)と名前を付けてセラピーなり何なりをするわけだけど、とばっちりを食うのはスペクトラムの反対の端にいて同じレッテルを貼られてしまう人たち。人間ってのはめんどうな生き物だな。ま、何を思ったか、とりあえずカレシに「ブルートゥースでヘッドフォンを使うのを最低限にしてみたらどう?」と提言。ワタシは、右目の点眼がきのうで終わったので5週間ぶりに「普通」の朝。右目は全快したということだけど、来週の水曜日からまた今度は左目の点眼が始まるから、また(忘れないための)予定表を作っておかなくちゃ。
ひと休み・・・
今日はレクルームでミニチュア関係の細々したものを3つ目の段ボール箱に詰める作業。いっぱいにならなかったので、隙間に詰めるのに本棚のあちこちから小物を引っ張り出していて見つけたのが、額に入った古い、古いバースデイカード。ワタシが6回目の路上試験でやっと運転免許を取ったばかりの誕生日にカレシがくれたものだから、何と46年前。ワタシ、30歳。バンクーバーのスタンリー公園に近い賃貸アパートに住んでいた頃だな。(過去に住んだところで今でもあるのはこのアパートだけ。)よく見ると、頭の上お花畑でルンルンの気分でハンドルを握っているワタシと、一緒に乗ってウワワァ~と怖がっているカレシという構図が46年後の私たち夫婦そのものという感じで、カレシと2人して爆笑。問題に直面した時に、強度の心配性でネガティブ思考になりがちなカレシと、「何とかするから大丈夫よ」と強気のポジティブ思考で前進あるのみのワタシ。あはは。
正反対だからうまく行ったとか・・・?
目が覚めたとたんに事故のことを思い出して、自己嫌悪に陥ってしまったみたいで、「何であんなバカなことをしたんだろう。自分に自信を持てなくなった」。あぁ~あ、困ったねえ。あのね、バカなことには違いないけど、あれは誰でもやりそうな「うっかり事故」じゃないの。「でも、最近オレの頭がどうかして来たんじゃないかと思って」。まあ、たしかに注意散漫なところはあるけど、それがアナタのパーソナリティなんだから、気になるんなら自分で何とかするしかないと思うけど。「あれから周りのことに注意を向けようとしてるんだけど」。いいことじゃないの。周りが見えていると自分も見えるようになって、そうなったらプラスのところもマイナスのところもわかって来て、それをひっくるめて自分はこういう人間なんだと受け入れたら、後は良くも悪くも自分次第。でも、過去に金縛りになっていたら、前が見えないし、そのまま歩こうとすればどこかでつまずいて転ぶのが関の山、と説教をしていたら、カレシも「それもそうだなあ」。うん、ここはまず寝直して、起きてから考えたら?
ほんとに、まずは自分という人間をありのまま受け入れてやらないと、自分を肯定するのは難しいだろうし、周りから自信を持てと言われても「どうやって?」ということになりがち。人間の脳内配線は複雑怪奇で、たぶんピンキリのスペクトラムで2人として同じ配線はないと思うんだけど、そこに社会で機能できない極端な例があれば、助けてあげたくても現代社会の仕組みの中では問題に「名前」がついていないと行政や社会サービスは動けない。そこで「○○障害」(いや、害はダメだから「障碍」)と名前を付けてセラピーなり何なりをするわけだけど、とばっちりを食うのはスペクトラムの反対の端にいて同じレッテルを貼られてしまう人たち。人間ってのはめんどうな生き物だな。ま、何を思ったか、とりあえずカレシに「ブルートゥースでヘッドフォンを使うのを最低限にしてみたらどう?」と提言。ワタシは、右目の点眼がきのうで終わったので5週間ぶりに「普通」の朝。右目は全快したということだけど、来週の水曜日からまた今度は左目の点眼が始まるから、また(忘れないための)予定表を作っておかなくちゃ。
ひと休み・・・
今日はレクルームでミニチュア関係の細々したものを3つ目の段ボール箱に詰める作業。いっぱいにならなかったので、隙間に詰めるのに本棚のあちこちから小物を引っ張り出していて見つけたのが、額に入った古い、古いバースデイカード。ワタシが6回目の路上試験でやっと運転免許を取ったばかりの誕生日にカレシがくれたものだから、何と46年前。ワタシ、30歳。バンクーバーのスタンリー公園に近い賃貸アパートに住んでいた頃だな。(過去に住んだところで今でもあるのはこのアパートだけ。)よく見ると、頭の上お花畑でルンルンの気分でハンドルを握っているワタシと、一緒に乗ってウワワァ~と怖がっているカレシという構図が46年後の私たち夫婦そのものという感じで、カレシと2人して爆笑。問題に直面した時に、強度の心配性でネガティブ思考になりがちなカレシと、「何とかするから大丈夫よ」と強気のポジティブ思考で前進あるのみのワタシ。あはは。
正反対だからうまく行ったとか・・・?