Freidrich Gulda / J.S.Bach, Prelude and Fugue No.32, W.A.Mozart, Sonata No.8 ( 英 Decca LXT 2826 )
フリードリヒ・グルダの本業はもちろんクラシック。ウィーンで生まれ、モーツァルトを最も敬愛し、「モーツァルトが生まれた日に
自分も死ぬ」と公言し、本当にそうなった。まあ、変わった人である。
ジャズへ転向すると言って世間を騒がせたり、似合わない変な帽子をいつも被っていたり、とクラシックの世界ではその演奏力は
認められていたにも関わらず、一般的にはやはりちょっと変わった人という感じで見られていたように思う。
グルダの演奏を順を追って聴いていくと、やはりジャズにハマっていた前と後では、その演奏が変わっていることがわかる。
私は彼が再びクラシックに軸足を置くようになった後期の演奏はどうも好きになれずまったく聴かないが、前期のデッカと契約していた
頃の演奏には興味深いところが色々あって、面白いと思いながら聴く。
彼のレパートリーは基本的に保守的で、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンをメインにしていた。そして、そういう正統的な
保守派の音楽の中に型破りな新しい風を吹かそうと常に模索していくという、ちょっとややこしい音楽家だった。そういう思考が
彼をジャズへと走らせた訳だが、そういう片鱗はまだ若かったデッカ時代の演奏の中にも見て取れるのが面白いと思うのだ。
ここにはバッハの平均律とイギリス組曲から1曲ずつと、モーツアルトのイ短調のソナタとロンドが収録されている。
バッハの方はまずまずオーソドックな演奏なのだが、問題はモーツァルトの方だ。この第8番にはグールドの怪演があって、
あれが耳から離れないわけだが、その二十年も前にグルダは前哨戦のような演奏を残している。
グールドほどは振り切れていないけれど、かなり似たような感覚でこのソナタを演奏している。少なくとも、当時他のピアニストが
演奏していたマナーとは全然違う弾き方をしている。尤も、その戦略は周到に隠されていて、パッと見はわからないように
細工されてはいる。まだこの頃は型破りな芸風は大っぴらにはできない、と考えていたんだろう。でも、どれだけ隠そうとして
みても、隠しきれない想いが溢れ出ているのがわかる。
この演奏を聴いていると、グルダがジャズ・ピアニストになると言って周囲を驚かせた気持ちが私にはよくわかるのである。
コロンビア盤で伸び伸びと気持ちよさそうに演奏していた姿は、彼の素の姿だったに違いない。