Lev Nikolayevich Oborin / P.I.Tchaikovsky "Four Seasons" ( 露 Melodiya D-4101 )
近藤等則が亡くなったことをネットのニュースで知った。ものすごく驚いてしまい、動揺すら覚えた。今年は身近な人を含めて、
大勢の人の訃報を聞いたけれど、やはり日本人で、TVなどで楽しそうに話しをしている姿を昔から観ていただけに、海外の人が亡くなった
時と比べると親近感のようなものが元々違うから、動揺してしまうのだろう。うちからさほど遠くはない登戸に住んでいたということも
個人的な親近感にも繋がっていた。
こういう場合、本人のアルバムを以って追悼するのが正しいわけだけど、今は手許にそういうアルバムがない。何年か前にピット・インで
ブロッツマンの音を目の前で全身に浴びた時から、こういうパワー・ミュージックをレコードやCDで聴くことへの限界感や苛立ちを感じる
ようになり、その手の媒体からすっかりと遠ざかってしまっている。ライヴじゃなきゃダメだよ、なんてうそぶく気にはなれないけれど、
なぜか聴く気になれない心境が続いている。何枚か持っていたアルバムやブロッツマン名義のものも、今はmp3音源しかない。
訃報を聞いて以来、チャイコフスキーの "舟歌" が頭から付いて離れない。あの物悲しいメロディーがずっと鳴り響いて止まない。
レフ・オボーリンの弾く "舟歌" の寂寥感が、今の自分の心境に相応しい。リヒテルやギレリスのようなパワー・ヒッターが高く評価された
ロシアでは、オボーリンのようなピアノはあまり陽が当たらなかった。そういう姿が近藤等則の姿にダブる。今は、このメロディーが
葬送の音楽として私の耳には聴こえている。
R.I.P. 近藤等則。でも、これからもあなたの音楽は聴くのだから。