John Coltrane / Meditations ( 米 Impulse! AS-9110 )
コルトレーンの最晩年の音楽にはフリー・ジャズという言葉がどうもしっくりとこない。他に適切な言葉が見当たらないし、それ以上考えるのも
面倒だから、ということでこの言葉があてがわれてきただけのように思う。私も長年ぴったりとうまくハマる言葉は何か、と考えてきたけれど、
未だに見つからない。60年代後半という時代だからこそ産み落とされた音楽であることは間違いないけれど、半世紀以上経った今、この演奏に
当時持っていた意味のようなものを探ってみてもしかたない。それはもはや考古学でしかなく、音楽を聴くということとは別の行為だろう。
私はこの頃の演奏も好きで、折に触れて聴く。聴いていると、不思議と何かが癒されていくような気がする。コルトレーンはとにかく真面目に
ひたむきに音楽に取り組んでいて、そういう誠実さみたいなものが日々の生活の中で知らず知らずのうちに歪んで澱が溜まってしまった
私の心を初期化してくれるような気がする。成熟しきった逞しい内容であるにもかかわらず、そこには純朴な青年の姿が透けて見える。
自分はコルトレーンの音楽には何も貢献できていない、と言ってバンドを去るしかなかったマッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズの
最後の演奏はどこか哀しい。この録音はイングルウッドのヴァン・ゲルダー・スタジオで行われたが、10年前にマイルスの横で緊張した面持ちで
不安そうに立っていた彼の姿を見ていたヴァン・ゲルダーは、この演奏の様子をどんな気持ちで見ていたのだろう。
もはや音楽としての形を成しておらず、瓦解の様子が激しくなればなるほど、哀しみは増していくように感じる。
こんなことになるなんて思ってもみなかった、と哭いているようにすら感じられ、晩年の音楽にはそういう不思議な何かが漂っている。