Thelonious Monk / It's Monk's Time ( 米 Columbia CL 2184 )
ストライド奏法で "Lulu's Back In Town" が賑やかに始まる。 やがてチャーリー・ラウズのパートになるとグッと時代感は下がってきてモダンの演奏になる。
ブッチ・ウォーレンのベースがしっかりと鳴って、演奏の屋台骨を作り出す。 最後はモンクに戻り、カデンツァ風に幕を閉じる。 旧き良き時代と新しい時代が
同居し、互いに行ったり来たりを繰り返す。 モンクの世界の1つの典型が判りやすい形で提示されている。 これをピアノ・ソロやトリオで表現するのは難しい。
チャーリー・ラウズの存在意義は大きいのだ。
"Brake's Sake" なんて、曲中で完全和音が鳴ることなんてただの1度もない。 最初から最後まで、すべてのフレーズが音階から外れている。 ここまで
徹底した脱調性の音楽はこれまでのポピュラー音楽の世界にはきっとなかったに違いない。 B面の半分を占めるこの曲がこのアルバムの中核を成している。
ラウズが途中でフレーズのアイディアが尽きてしまって、困ったように同じフレーズをただ何度も繰り返すようになって、仕方なくモンクがパートを引き継ぐ
様子がなんだか可笑しい。
でも、モンクの調性のねじれ方には、どこか可愛らしいところがある。 幼い子供がおもちゃの楽器を機嫌よく叩いているような邪気のなさがあって、それが
不協和音の通常の不快さを大きく緩和している。 それに加えてピアノの弾き方もたどたどしいから、こういう所も子供の遊戯性を感じさせる。 セシル・テイラーも
真っ青の脱調性の世界にもかかわらず多くの人々から支持されるのは、そういう幼い子供の無邪気な戯れを見るよう気持ちにさせられるからじゃないだろうか。
コロンビア時代のモンクの音楽は自作の新しいオリジナル曲をレコードごとに取り入れながらも、チャーリー・ラウズのすっきりとモダンなテナーとコロンビアの
完成したリッチな音場感のおかげで、非常に洗練されたものになっている。 彼は彼なりに新しい音楽に取り組んでいたのだ。 それを理解してあげたい。
彼は決して停滞なんかしていなかったのだ。
どうもラウズの入ったアルバムは苦手だったのですが、今回は大丈夫。モンクを聴く、という気持ちにはむしろピッタリでした。
モンクなりのハードバップからの脱出、と理解しました。作曲行為が行き届いていますよね。
なぜラウズがレギュラーテナーの座に座ったのかがずっと知りたいのですが、どうも情報がありません。
こうなったら、モンクの伝記を探して読むしかないのかなあ、と思っています。
コロンビアの新曲は面白いものが多いので、もっと演奏されてもいいのになあ、と思いますね。