「これは以前にも載せてた長田家のお墓でしょ?」ハイ、そうです。アカハチや石垣の歴史に詳しい方ならご存知の「ナータフーズ」さんの代々のお墓です。今回また載せたのは先日、石垣市文化財課による毎年恒例の文化財巡りで「アカハチゆかりの地巡り」を行い、丁度今日の地元新聞にも出ていたので取り上げました。今から約500年前に石垣村を治め、琉球政府側から見ると反乱を起こしたオヤケアカハチと戦った長田大翁主。伝承や伊波南哲(本名 興栄)の影響もありアカハチは庶民の味方、厳しい人頭税を拒否し琉球政府と戦った、など英雄的な扱いになっていますが、自分に従わなかった他の集落の長を何人も殺しています。ですから本当のところどちらが良い人だったかは謎です。
このバカデカいお墓ですが見た目以上にデカく、後ろの木の生えてる辺りも実は墓が続いていて、内地のチョッとした家の面積と同じくらいデカいです!
「オヤケアカハチの乱」をもっと詳しく知りたい方は以前の記事を見て頂くか、ネットで調べて見て下さい。今回オイラが一番紹介したい事はアカハチの話ではなく、ここに写っている人物の中でお尻のポケットに資料の紙を差し込んでいる人物。実はこの方は長田大主の弟・ナレトウのご子孫なんです! 約500年を経た現代で伝説的な「オヤケアカハチの乱」の主人公の一人・ナータフーズ家の人に会えるなんて凄過ぎる!
聞けば18代目だそうです。お墓の中には5代目までの骨はあったが、残念ながらそれより前の代のは無く、要するにナータフーズの遺骨も無かったそうです。あれば凄い話なのになぁ。お話しした時に教えて貰ったんですが、他にも長田家の子孫は石垣に何人もいる様で(当たり前か)、墓参りの時はこの広い墓庭に数十人が集まるそうです。
#オヤケアカハチ #ナータフーズ #伊波南哲