[6月15日21:00.天候:晴 デイライト・コーポレーション埼玉研究所 敷島孝夫、アリス、シンディ]
雨が上がり、何とか雲間から月が覗くまでに天候の回復したさいたま市郊外。
しかし油断はできず、ほんの僅かな梅雨晴れの後はまた大気の状態が不安定になるという。
梅雨といったら、しとしとと降る雨が長く続くというイメージなのだが、雷雨だの突風だのと随分と様変わりしてしまった。
井辺はミクへの監督不行き届きを敷島に謝った。
「井辺君が悪いわけじゃない。まさか、研究所の敷地内から消えるとは思わないだろうからね」
と、敷島は答えたが、もう少しボーカロイド達の個性というか、性格を把握して欲しかったと思うのが人情だった。
だからリンとレンは所内を走り回るので、この姉弟に関しては所内をうろつくことを禁止しているくらいだ。
その井辺は、事務所の方に待機させることにした。
「屋上のこの辺にミクはいた。ヘッドセットが落ちていた位置からの推測だけどね。ここで落雷を受けたミクは、屋上から転落した?」
敷島の言葉にシンディが頷いた。
「屋上の手すりが少し曲がっているでしょ?落雷でふらついたミクは、ここから落ちたんじゃないかな?」
屋上の柵に、1ヶ所だけ開閉できる所がある。
屋上の縁まで行けるための物だが、今日はドレンパン(排水口)の清掃のため、普段は施錠されている屋上出入口のドアが開錠されていたのと同じように、そこも清掃の為に開けられていた。
「この下はどうなってるんだ?」
敷島が覗き込むと、その下は通用口の上だった。
通用口の前には何台か車を止められるスペースがある。
「通用口は入ってすぐに管理室があるんだぞ?いくら何でも落ちてきたら、警備員かセキュリティロボットが気づくだろう?」
「セキュリティロボット達は雷注意報発令のせいで全機屋内退避だったから、そいつらが気がつくことはないね。あとは警備員さんが、どうして気が付かなかったかだけど……」
そこへアリスがインカムで無線を飛ばしてきた。
アリスは管理室で、カメラ映像のチェックをしていた。
{「ねえ!落雷の直後、業者が出てるわ!聞いたら、布団屋さんだって!」}
「布団屋だぁ?」
「た、確かに、今日は埼玉リネンサプライさんが出入りしていました」
と、同行の警備員が言った。
「医務室や我々の仮眠ベッドで使うシーツ交換の業者です。あと、布団も交換して行きました」
{「ミクが屋上から落ちて、布団の上に落ちたら分かんないでしょ?」}
「あのな!布団を剥き出して運搬する業者がどこにいる!?特に今日は雨だったんだぞ!」
「あ、あの……」
また、警備員が申し出る。
「埼玉リネンサプライさんは、使用済みのリネンに関しては車の屋根の上に積んでるんです」
「えっ!?」
「実は夕方、この研究所を出た車が県道の橋の上で事故に遭いまして、屋根の上に積んだ使用済みリネンが川に落ちたそうなんですよ」
「ええーっ?!」
敷島は急いで手持ちのスマホを取り出した。
それでニュースサイトを見ると、確かにその事故があった。
しかも、ワゴン車(リネンサプライ業者の車)から人が投げ出されて川に落ちたのが目撃されたという。
だがその車には元から運転手が1人しか乗っておらず、その運転手は運転席に留まっていて(重傷の為に車から降りられなかった)、救急隊に救助されて病院に搬送されている。
では、たまたま歩道を歩いていた歩行者が巻き込まれたものではないかというと、目撃者が言うには、少なくとも周囲には自分しか歩行者がおらず、車から人が落ちたのが見えたのだと証言している。
「……つまり、屋上から落ちたミクは、たまたま車の上に落ちて、誰も知らないうちにその車が出発、途中で事故に遭って、川に落ちたぁ?」
シンディはそう推理した。
最後には信じられないという顔になっていたが。
「マルチタイプなら重みで車が潰れるだろうからそれで気づくだろうが、人間並みの体重まで軽量化したから、そこまでド派手に落ちなかったのか……。って、こうしちゃおれん!川を捜索だ!」
「アラホラサッサー!」
「まずは事故現場に行くぞ!急げ!治水橋だ!」
[??? ??? ??? 初音ミク]
『初音ミク、起動します』
ミクが“目を覚ました”時、場所や時間は不明だった。
何しろ、まだそういった情報が読み込めていないからだ。
「うむ。起動には成功したようじゃな」
「じゃあ、ドクター。私、帰るね」
「うむ。兄さんによろしく伝えておいてくれ」
「伝えはするけど……。どんな反応するか分かるでしょう?私的には、早いとこ仲直りしてもらいたいんだけどね」
「あいにくとそれは、できぬ相談じゃよ。それと、アルエットはまだかの?」
「あの雷雨で今日は中止みたい」
「そうか……。ま、自然には逆らえんの……。また来てくれな、レイチェル?」
「足しげく通うと、さすがの私もドクターに疑われるからねぇ……」
レイチェルはそう言うと、外に出て行った。
「ふう……」
「あ、あの……!」
ミクが恐る恐る声を掛けた。
「おお、ソフトウェアの起動まで完了したかね?」
振り向いたその老人は、誰かに似ていた。
ミクが思わずその老人をスキャンする。
すると適合性の1番高いのが十条伝助と出た。
「十条……博士?」
「そのように見えるかね?……まあ、ムリも無いが。確かにあの伝助と同じ名字を名乗り、両親は同じじゃからな」
「えっ……?」
「ワシの名は十条達夫。十条伝助の弟じゃよ。といっても、2つしか違わないがの。ほっほっ……。双子ではないから、それほどまでに似ているわけではないが、向こうのロイド達からは『スキャン時に紛らわしいので、早いとこ仲直りしてほしい』と言われておる」
「確かに適合性95パーセントでは、認識を間違えてしまうかもしれません」
「じゃが、ワシは兄貴の考えには賛同できんよ。兄さんと……その仲間達は、怖がっているだけじゃ」
「怖がっている?」
「さて、体の具合はいかがかな?ちょっとその辺、歩いてみてくれ。まだ具合の悪い所があったら、直しておこうの」
「は、はい」
ミクは寝台の上から床に降りた。
(悪い人じゃないみたい……)
数歩歩いてみて、ふと気づく。
「あの!ここはどこですか!?わたし、どうしてここに!?」
「ここは埼玉県南部の町、志木市じゃよ。キミは荒川の上流から流れて来たというが、一体何があったのじゃ?」
「ええっ!?」
「GPSの履歴を見せてもらったが、さいたま市にいて、そこから川越に向かう途中、荒川に落ちて流れて来たようじゃが……。まさか、兄貴の手の者が襲ってきたのか?」
「ご、ごめんなさい。わたしも、何が何だか……。あ、あの!事務所に連絡を取って頂いてもよろしいですか!?」
「事務所、事務所とな……」
「わたし、敷島エージェンシーっていう芸能プロダクションに所属してるんです!今月一杯ずっとお仕事が入ってるので、早く戻らないと……!」
「ほお……。ボーカロイドをタレントとして使う芸能事務所が現れおったか。どうやら、やっと本来の用途に戻れたようじゃな。南里先生も喜んでおることじゃろう」
「南里博士ご存知なんですか?」
「ワシは大学時代の後輩じゃよ。もっとも、良き友人として付き合っていたのは兄貴の方で、ワシは根暗な弟君くらいにしか思われていなかったと思うがな。さ、具合が良いのなら、すぐに引き取りに来てもらおう。兄貴の手の者が来ないうちにな」
「十条達夫……博士は大丈夫なんですか?」
「兄貴はワシの協力を欲しておる。その間、危害を加えて来ることはないじゃろう。キミのメモリーを見せてくれ。事務所の連絡先が入っているじゃろう?」
「は、はい!」
ミクはやっと安心した顔になった。
雨が上がり、何とか雲間から月が覗くまでに天候の回復したさいたま市郊外。
しかし油断はできず、ほんの僅かな梅雨晴れの後はまた大気の状態が不安定になるという。
梅雨といったら、しとしとと降る雨が長く続くというイメージなのだが、雷雨だの突風だのと随分と様変わりしてしまった。
井辺はミクへの監督不行き届きを敷島に謝った。
「井辺君が悪いわけじゃない。まさか、研究所の敷地内から消えるとは思わないだろうからね」
と、敷島は答えたが、もう少しボーカロイド達の個性というか、性格を把握して欲しかったと思うのが人情だった。
だからリンとレンは所内を走り回るので、この姉弟に関しては所内をうろつくことを禁止しているくらいだ。
その井辺は、事務所の方に待機させることにした。
「屋上のこの辺にミクはいた。ヘッドセットが落ちていた位置からの推測だけどね。ここで落雷を受けたミクは、屋上から転落した?」
敷島の言葉にシンディが頷いた。
「屋上の手すりが少し曲がっているでしょ?落雷でふらついたミクは、ここから落ちたんじゃないかな?」
屋上の柵に、1ヶ所だけ開閉できる所がある。
屋上の縁まで行けるための物だが、今日はドレンパン(排水口)の清掃のため、普段は施錠されている屋上出入口のドアが開錠されていたのと同じように、そこも清掃の為に開けられていた。
「この下はどうなってるんだ?」
敷島が覗き込むと、その下は通用口の上だった。
通用口の前には何台か車を止められるスペースがある。
「通用口は入ってすぐに管理室があるんだぞ?いくら何でも落ちてきたら、警備員かセキュリティロボットが気づくだろう?」
「セキュリティロボット達は雷注意報発令のせいで全機屋内退避だったから、そいつらが気がつくことはないね。あとは警備員さんが、どうして気が付かなかったかだけど……」
そこへアリスがインカムで無線を飛ばしてきた。
アリスは管理室で、カメラ映像のチェックをしていた。
{「ねえ!落雷の直後、業者が出てるわ!聞いたら、布団屋さんだって!」}
「布団屋だぁ?」
「た、確かに、今日は埼玉リネンサプライさんが出入りしていました」
と、同行の警備員が言った。
「医務室や我々の仮眠ベッドで使うシーツ交換の業者です。あと、布団も交換して行きました」
{「ミクが屋上から落ちて、布団の上に落ちたら分かんないでしょ?」}
「あのな!布団を剥き出して運搬する業者がどこにいる!?特に今日は雨だったんだぞ!」
「あ、あの……」
また、警備員が申し出る。
「埼玉リネンサプライさんは、使用済みのリネンに関しては車の屋根の上に積んでるんです」
「えっ!?」
「実は夕方、この研究所を出た車が県道の橋の上で事故に遭いまして、屋根の上に積んだ使用済みリネンが川に落ちたそうなんですよ」
「ええーっ?!」
敷島は急いで手持ちのスマホを取り出した。
それでニュースサイトを見ると、確かにその事故があった。
しかも、ワゴン車(リネンサプライ業者の車)から人が投げ出されて川に落ちたのが目撃されたという。
だがその車には元から運転手が1人しか乗っておらず、その運転手は運転席に留まっていて(重傷の為に車から降りられなかった)、救急隊に救助されて病院に搬送されている。
では、たまたま歩道を歩いていた歩行者が巻き込まれたものではないかというと、目撃者が言うには、少なくとも周囲には自分しか歩行者がおらず、車から人が落ちたのが見えたのだと証言している。
「……つまり、屋上から落ちたミクは、たまたま車の上に落ちて、誰も知らないうちにその車が出発、途中で事故に遭って、川に落ちたぁ?」
シンディはそう推理した。
最後には信じられないという顔になっていたが。
「マルチタイプなら重みで車が潰れるだろうからそれで気づくだろうが、人間並みの体重まで軽量化したから、そこまでド派手に落ちなかったのか……。って、こうしちゃおれん!川を捜索だ!」
「アラホラサッサー!」
「まずは事故現場に行くぞ!急げ!治水橋だ!」
[??? ??? ??? 初音ミク]
『初音ミク、起動します』
ミクが“目を覚ました”時、場所や時間は不明だった。
何しろ、まだそういった情報が読み込めていないからだ。
「うむ。起動には成功したようじゃな」
「じゃあ、ドクター。私、帰るね」
「うむ。兄さんによろしく伝えておいてくれ」
「伝えはするけど……。どんな反応するか分かるでしょう?私的には、早いとこ仲直りしてもらいたいんだけどね」
「あいにくとそれは、できぬ相談じゃよ。それと、アルエットはまだかの?」
「あの雷雨で今日は中止みたい」
「そうか……。ま、自然には逆らえんの……。また来てくれな、レイチェル?」
「足しげく通うと、さすがの私もドクターに疑われるからねぇ……」
レイチェルはそう言うと、外に出て行った。
「ふう……」
「あ、あの……!」
ミクが恐る恐る声を掛けた。
「おお、ソフトウェアの起動まで完了したかね?」
振り向いたその老人は、誰かに似ていた。
ミクが思わずその老人をスキャンする。
すると適合性の1番高いのが十条伝助と出た。
「十条……博士?」
「そのように見えるかね?……まあ、ムリも無いが。確かにあの伝助と同じ名字を名乗り、両親は同じじゃからな」
「えっ……?」
「ワシの名は十条達夫。十条伝助の弟じゃよ。といっても、2つしか違わないがの。ほっほっ……。双子ではないから、それほどまでに似ているわけではないが、向こうのロイド達からは『スキャン時に紛らわしいので、早いとこ仲直りしてほしい』と言われておる」
「確かに適合性95パーセントでは、認識を間違えてしまうかもしれません」
「じゃが、ワシは兄貴の考えには賛同できんよ。兄さんと……その仲間達は、怖がっているだけじゃ」
「怖がっている?」
「さて、体の具合はいかがかな?ちょっとその辺、歩いてみてくれ。まだ具合の悪い所があったら、直しておこうの」
「は、はい」
ミクは寝台の上から床に降りた。
(悪い人じゃないみたい……)
数歩歩いてみて、ふと気づく。
「あの!ここはどこですか!?わたし、どうしてここに!?」
「ここは埼玉県南部の町、志木市じゃよ。キミは荒川の上流から流れて来たというが、一体何があったのじゃ?」
「ええっ!?」
「GPSの履歴を見せてもらったが、さいたま市にいて、そこから川越に向かう途中、荒川に落ちて流れて来たようじゃが……。まさか、兄貴の手の者が襲ってきたのか?」
「ご、ごめんなさい。わたしも、何が何だか……。あ、あの!事務所に連絡を取って頂いてもよろしいですか!?」
「事務所、事務所とな……」
「わたし、敷島エージェンシーっていう芸能プロダクションに所属してるんです!今月一杯ずっとお仕事が入ってるので、早く戻らないと……!」
「ほお……。ボーカロイドをタレントとして使う芸能事務所が現れおったか。どうやら、やっと本来の用途に戻れたようじゃな。南里先生も喜んでおることじゃろう」
「南里博士ご存知なんですか?」
「ワシは大学時代の後輩じゃよ。もっとも、良き友人として付き合っていたのは兄貴の方で、ワシは根暗な弟君くらいにしか思われていなかったと思うがな。さ、具合が良いのなら、すぐに引き取りに来てもらおう。兄貴の手の者が来ないうちにな」
「十条達夫……博士は大丈夫なんですか?」
「兄貴はワシの協力を欲しておる。その間、危害を加えて来ることはないじゃろう。キミのメモリーを見せてくれ。事務所の連絡先が入っているじゃろう?」
「は、はい!」
ミクはやっと安心した顔になった。