健康食品№1 「小田原名産 精選白梅干」

「医者を殺すにゃ刃物は要らぬ。一日一粒の梅干があればいい」との諺があります。梅干で健康を得たい方の為のページ。

酒匂川と護岸の松 

2005-09-10 10:46:09 | 今日の出来事
 写真は足柄平野を流れる酒匂川と護岸の松を写したものです。江戸時代、酒匂川は幾度も堤防が崩れ、洪水を起こしました。堤防を植林によって護岸するとの考えに立ち、少年・二宮尊徳が松の苗木を植えました。費用は、荒地の開墾により得た収穫から捻出しました。「双葉より芳し」です。
 植林により堤防を護岸するとの考えは、私が持つ河川工学の本の中には記述が無い。先端の土木技術をもってしても、カトリーナによる洪水は防げませんでした。想定外の水圧が堤防にかかったからとしたら、安全投資を怠った!と言う事になります。
 愛知博のテーマは「自然との共生」ですが、良い実例と言えます。「てんば」はご覧の様にサイクリング・ロードになっています。 遠くに報徳橋が見えます。私は橋の下で水面を渡る風に吹かれながら、景色をぼんやり眺めている事が度々あります。自然にはリフレッシュする力が有るのでしょう。オロナミンCでも飲んでいればご機嫌です。
 参照:私のブログ「二宮尊徳のこと」
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いちじく

2005-09-08 10:28:24 | 今日の出来事
 いちじくは無花果と書くので、花が咲かないのかと思っていたら、内面に無数の花をつけるのだそうです。また、果実として食べる部分は花托との事です。
 子供の頃、実家の裏庭に大きないちじくの木があり、毎年沢山の実をつけました。作業場の拡張で切る羽目になり、後年、前庭に植え替えました。こちらは地に這う様な木で、味も少し薄い。でも、捥いで食べると旬だけあってうまい。
 聖書に、キリストが空腹を覚え、いちじくの木に近づいたところ、実が付いて無かった。呪ったところ、後で枯れてしまったと言う記述があります。幸いにして、実家のいちじくは、毎年実を付けています。
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台風14号とハリケーン・カトリーナ

2005-09-06 10:45:24 | 今日の出来事
 台風14号が近づいており、天気予報欄は傘マークです。現在も涼しいのですが、今年は台風後も涼しさを増して来ました。当地では、台風による被害は幸いにして大きくない。
 ハリケーン・カトリーナによりダメージを受けたのは、自動車を持てない低所得者層とのことです。米国でしたら、私は今頃天国行きです。チャリンコによる移動で済む狭い日本在住で幸いでした。
 暑い夏が過ぎてちょっと涼しくなる今頃は、もちが売れます。ノスタルジーを感じるからでしょうか。最も私は、暑くなって来た7月下旬に良くもちを食べました。夏バテ防止に有効でした。
                                   小田原梅干
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神奈川県・南足柄市合同総合防災訓練

2005-09-04 20:48:31 | 今日の出来事
 河角博士の「69年(±13年)地震周期説」が有ります。関東大震災から(69+13)年目とのことで、今年は各地で防災訓練が行われている様です。地区の防災ブロック長になっているので、訓練に参加しました。知事、市長も見えられていました。
 県・市の関連機関は勿論の事、日本赤十字社、陸・海自衛隊、東京電力、NTTドコモ、御殿場市・小山町消防本部、富士宮市・芝川町消防組合等多数の参加が有りました。感心したのは、分刻みのスケジュールが整然とこなされた事です。連携は見事なものでした。
 幼稚園と保育園は今だ統合されておらず、アスベストも今になって問題になっています。縦割り行政だからと言われれば、それまでですが。県企業庁販売の「さがみの水」を飲みながら、そんな事を連想していました。
 会場で、賞味期間5年、お湯を注すだけで食べられる、レトルトパウチ「五目御飯」を見ました。カップらーめんとこれで、援軍が来るまで3日間はもちそうです。

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記念碑都市・小田原

2005-09-02 09:00:31 | 地域おこし
 記念碑都市とは、歴史のある時点において記念的な役割を果たし、その痕跡を内に含みつつ生存し続けた、現存の都市またはその一部をいう。
                    小川博三著「記念碑都市」
 戦国時代、北条早雲は小田原城を大森氏から掠め取り、関八州を支配しました。戦国時代の始まりです。三代目・氏康の時代は、駿河今川、甲斐武田と三国同盟 も成り、全盛期を迎えます。やがて秀吉の小田原攻めに会い五代で滅び、天下統一が成ります。小田原は、戦国時代のアルファでありオメガとなったのです。
 その後、小田原城は、大久保忠世(家康の側近)、稲葉正勝(春日局の息子)、大久保忠真(老中、二宮尊徳の良き理解者)等に引き継がれます。
 明治時代になって、益田孝(三井物産の創始者)、山形有朋(元老)、松永安左衛門(九州電力オーナー)等が晩年を小田原で過ごす事になります。
 戦後、河野一郎(農林大臣)、河野謙三(参議院議長)等を輩出します。
 早雲によって奨励された梅干は、江戸時代になっても藩主に引き継がれます。 戦争中は統制品と成り、戦後は土産品となりました。私はこれを健康食品としたいです。 
 http://www.city.odawara.kanagawa.jp/
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