たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

山陰の旅・まとめて山口県―萩城下町、松蔭神社、津和野の街歩き

2016-07-21 14:17:04 | 国内旅行

ブログ・アップをサボっていますが、
山陰の旅について記録しています。
島根寄りの山口県側の観光地を視察しました。
日本列島の西の端にあって、たにしの爺にとっては、山口はあまり縁のない県でした。
これまで上空を飛んだり、新幹線で通過したことはありますが、歩いたの初めてです。



長州・山口県は近代日本の礎になった明治維新胎動の地であり、
日本の国づくりに活躍された偉人・元勲の生誕地でもあり、
戦後歴代総理大臣を一番多く輩出した郷土ですね。



敬意を表してまず「萩城下町」に第一歩を下ろしました。
木戸孝允旧宅、高杉晋作の誕生地などが並ぶ一角。



江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁、呉服町すじを巡り、
重文の菊屋家住宅を見回りました。



当時の萩の通商・商いを一手に取り仕切った豪商の、
繁盛振りを今に残る佇まいに「ホー、ッツ」と言うばかりでした。

次に萩焼の工房にも立ち寄りました。
高価な芸術品からお土産品の湯飲みまで作品を鑑賞して、





記念に湯飲みを一点買いました。
次は長州・萩の極め「松蔭神社」です。



昭和43年(1968)明治維新100年を記念して建立され石碑、
「明治維新胎動之地」と記されています。



「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、
松陰が家族に宛てた遺書の中で詠われた、
有名な和歌が彫られています。



明治23年(1890)に吉田松陰を祀って、
私祠として建てられた神社です。
その後、何回かの改修、増築などあって、
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したものだという。

松陰神社の境内では、松下村塾が当時のままの姿で見られました。
近代日本の原動力となった数多くの逸材を輩出した松下村塾と、
隣接して吉田松陰幽囚ノ旧宅があります。





これらはともに「明治日本の産業革命遺産」として、
平成27年7月に世界文化遺産に登録されています。



この辺は「夏みかん」の名産地ということで、
大きな夏みかんが籠に入って売られていましたが、
生絞りの生ジュースを立ち飲みしました。
乾いた喉と食道に染み渡る爽やかさは格別でした。





同行者が傘のおみくじを引きました。快晴・大吉と出ました。
近代日本の夜明けを切り拓いた人々に敬意を表して、
大鳥居の下で一礼を捧げました。

このあと、津和野に向かいました。



SLの走るJR山口線の通る「津和野」は、
山陰の「小京都」と呼ばれる歴史の城下町として知られています。
これまで何度もテレビの旅番組や旅行雑誌やガイド本で、
津和野についてはイメージが出来上がっています。



白い土塀と掘割りを流れる清水には色とりどりの鯉が泳ぎ、
石畳の通りを若い女性グループがそぞろ歩きする光景。
明るい日差しと若い女性のお洒落れな旅装が似合う街。



そんなイメージもって、
「沙羅の木」という食事処の脇から始まる掘割りを見ました。
清流が流れていません。濁り水です。
色とりどりの鯉も何匹か泳いでいます。
かなり横幅の広がった大きな鯉です。
泳ぐというより浮かんでは沈んでいく「メタボ鯉」です。

ガイドさんいわく「雨上がりのせいもあるが」、
何年か前の台風で津和野川が溢れ、
街に洪水が流れ込んでから清流が戻っていないという。



メーンの通りになる「殿町通り」の両脇には、
教会や藩校跡、家老だった家並みが続いています。
短い時間でしたが好い街並み歩きでした。
津和野駅からは10分ちょっとの距離でした。
津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事の鷺舞の像はです。



駅で街のマップを見れば、行けなかったところばかり目に入りました。
このほか山口県では「瑠璃光寺」に行ったことは既に書きました。
山口市香山町にある国宝 瑠璃光寺五重塔
 最後まで、退屈なお付き合い感謝します。