ブログ・アップをサボっていますが、
山陰の旅について記録しています。
島根寄りの山口県側の観光地を視察しました。
日本列島の西の端にあって、たにしの爺にとっては、山口はあまり縁のない県でした。
これまで上空を飛んだり、新幹線で通過したことはありますが、歩いたの初めてです。
長州・山口県は近代日本の礎になった明治維新胎動の地であり、
日本の国づくりに活躍された偉人・元勲の生誕地でもあり、
戦後歴代総理大臣を一番多く輩出した郷土ですね。
敬意を表してまず「萩城下町」に第一歩を下ろしました。
木戸孝允旧宅、高杉晋作の誕生地などが並ぶ一角。
江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁、呉服町すじを巡り、
重文の菊屋家住宅を見回りました。
当時の萩の通商・商いを一手に取り仕切った豪商の、
繁盛振りを今に残る佇まいに「ホー、ッツ」と言うばかりでした。
次に萩焼の工房にも立ち寄りました。
高価な芸術品からお土産品の湯飲みまで作品を鑑賞して、
記念に湯飲みを一点買いました。
次は長州・萩の極め「松蔭神社」です。
昭和43年(1968)明治維新100年を記念して建立され石碑、
「明治維新胎動之地」と記されています。
「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、
松陰が家族に宛てた遺書の中で詠われた、
有名な和歌が彫られています。
明治23年(1890)に吉田松陰を祀って、
私祠として建てられた神社です。
その後、何回かの改修、増築などあって、
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したものだという。
松陰神社の境内では、松下村塾が当時のままの姿で見られました。
近代日本の原動力となった数多くの逸材を輩出した松下村塾と、
隣接して吉田松陰幽囚ノ旧宅があります。
これらはともに「明治日本の産業革命遺産」として、
平成27年7月に世界文化遺産に登録されています。
この辺は「夏みかん」の名産地ということで、
大きな夏みかんが籠に入って売られていましたが、
生絞りの生ジュースを立ち飲みしました。
乾いた喉と食道に染み渡る爽やかさは格別でした。
同行者が傘のおみくじを引きました。快晴・大吉と出ました。
近代日本の夜明けを切り拓いた人々に敬意を表して、
大鳥居の下で一礼を捧げました。
このあと、津和野に向かいました。
SLの走るJR山口線の通る「津和野」は、
山陰の「小京都」と呼ばれる歴史の城下町として知られています。
これまで何度もテレビの旅番組や旅行雑誌やガイド本で、
津和野についてはイメージが出来上がっています。
白い土塀と掘割りを流れる清水には色とりどりの鯉が泳ぎ、
石畳の通りを若い女性グループがそぞろ歩きする光景。
明るい日差しと若い女性のお洒落れな旅装が似合う街。
そんなイメージもって、
「沙羅の木」という食事処の脇から始まる掘割りを見ました。
清流が流れていません。濁り水です。
色とりどりの鯉も何匹か泳いでいます。
かなり横幅の広がった大きな鯉です。
泳ぐというより浮かんでは沈んでいく「メタボ鯉」です。
ガイドさんいわく「雨上がりのせいもあるが」、
何年か前の台風で津和野川が溢れ、
街に洪水が流れ込んでから清流が戻っていないという。
メーンの通りになる「殿町通り」の両脇には、
教会や藩校跡、家老だった家並みが続いています。
短い時間でしたが好い街並み歩きでした。
津和野駅からは10分ちょっとの距離でした。
津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事の鷺舞の像はです。
駅で街のマップを見れば、行けなかったところばかり目に入りました。
このほか山口県では「瑠璃光寺」に行ったことは既に書きました。
山口市香山町にある国宝 瑠璃光寺五重塔
最後まで、退屈なお付き合い感謝します。