2.第三次サウド王朝(続き)
(3)ファイサル時代に固まった現代の諸制度(その4:教育・文化)
教育と文化の面でもファイサル国王時代に新たに導入されたものが少なくない。教育については1970年、リヤドにサウジアラビア初の女子大学Princess Nora Universityが開学している。因みにPrincess Noraとは初代アブドルアジズ国王の1歳上の姉、つまりファイサルの伯母の名前である。ファイサルは社会開発に熱心であり1970年に「第一次5カ年計画」を策定しているが、同じ年に女子大学も設立した訳である。
ワッハーブ(サラフィー)主義を含むイスラム原理主義者達は一般に女性の教育や社会進出に熱心でなく、時にはこれを否定する行動をとる。タリバーン政権時代のアフガニスタンで女子学校が閉鎖されたことは良く知られており、またパキスタンでわずか12歳の少女マララ・ユスフザイが下校時にタリバーンに襲われ重傷を負ったが奇跡的に回復した話は有名である。そして最近ではナイジェリアにおける「ボコ・ハラム」による女子中学生誘拐事件も発生している。「ボコ・ハラム」とは「ボコ(西洋式の非イスラム教育)」は「ハラム(罪)」であると言う意味であり、キリスト教のミッションスクールを否定することなのである。
このように現代でも一部のイスラム諸国で女性の教育の権利が奪われている中で、サウジアラビアでは40年以上も前に女子大学が開設され、今や学生数世界一の女子大学となったのはファイサル国王の業績の一つと言えよう。
しかしながら女性教育の拡充が女性の社会進出に直結していない点が現在のサウジアラビアの最大の問題であることも事実である。同国では女性の就職難が大きな課題であり、最近の調査では女性の失業者数は120万人に達すると言われる 。サウジアラビアの女性は「大学は出たけれど--」と言う深刻な問題に直面しているのである。
世界経済フォーラムが発表している世界各国の男女の格差をランク付けした「世界男女格差指数(The Global Gender Gap Index)」の2013年版によればサウジアラビアは世界136カ国中の127位であり、世界の最下位グループにランクされている。サウジアラビアは女性を含む若者の教育に多額の予算をつぎ込んできたが、教育施設などハード面では充実しても、教育カリキュラム或いは大学卒業後の社会進出などのソフト面はファイサル時代に比べ余り進展したとは言えない。
ファイサル国王時代の文化面の改革としてはテレビ放送の導入をあげることができる。当時テレビは偶像崇拝を禁止するサラフィー(ワッハーブ)主義の教えに反するものとして宗教界が強く反対していた。しかしファイサルはテレビの普及は世界の潮流であり、政府の政策を国民に浸透させる手段としてテレビが有効であるとして反対を押し切って国営テレビを開局した。この時狂信的な王族が抗議デモを行い、ファイサル国王の甥ハリド王子(ムサイド王子の長男)は内務省の治安部隊に射殺されている(1966年「テレビ塔事件」)。
この事件の9年後、ファイサル国王はハリド王子の弟ファイサルに暗殺されるのであり、ファイサル国王はテレビと言う近代メディアの導入により自らも犠牲者になったと言えよう。但しテレビの導入も上記の女子高等教育と同様、その後のサウジアラビアの近代化につながった訳ではなく、報道の自由は今も同国の大きな課題の一つである。それが証拠に世界のジャーナリストが評価する「報道の自由度(Press Freedom Index)」(調査機関:国境なきレポーター, Reporters Sans Frontieres, 本部:パリ)の2014年度版によればサウジアラビアの報道の自由度は世界181カ国中の164位であり、世界最下位クラスなのである。
上記の女子教育或いはメディア文化の例で言えることは、共にファイサル国王の時代に導入されたものの、その後の社会の進歩或いは革新に寄与することなく現在に至っていると言うことである。つまりファイサル国王は進歩的、革新的な一面があるものの、それはあくまでイスラムの戒律を守りサウド家の支配体制を守ると言う保守主義の域を出ていない。現在のサウジアラビアの原型がファイサル時代にあると言うのはそのような意味においてなのである。
(続く)
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