第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)
6.二度にわたりノーベル平和賞を受賞したイスラエルの首相
世界平和に貢献した者に対して授与される賞は国連平和賞、フィリピンのマグサイサイ賞などいくつかあるが、知名度の高さ或いは歴史の長さなどの点でノーベル平和賞に適うものはないであろう。第1回のノーベル平和賞は1901年、赤十字社を創設したスイス人アンリ・デュナンが受賞、今年コロンビアのサントス大統領が受賞するまで115年間にわたり連綿と続いている。
この名誉あるノーベル平和賞に二度にわたりイスラエルの首相が受賞している。最初は1978年のメナハム・ベギンであり、この時はエジプトのサダト大統領との共同受賞であった。二人は1973年の第四次中東戦争後、周囲の反対を押し切って和平に踏み切ったことが評価されたのである。二度目は1994年のイツハク・ラビンとシモン・ペレスであり、当時ラビンは首相、ペレスは外務大臣(後に首相)であった。そして彼らと共同受賞したのがPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長である。湾岸戦争後のこの時、イスラエル・パレスチナ間に対話の機運が生まれ、ノルウェーの調停により両者の間にいわゆる「オスロ合意」が締結された。イスラエルとPLOが相互に承認するという歴史的な出来事がノーベル平和賞の受賞理由となったのである。
歴代のノーベル平和賞受賞者を見ると個人と団体がほぼ半々である。そして個人では平和運動家や哲学家などの民間人が殆どであり、政治家は多くない。まして一国のトップは今回のコロンビア大統領を含めてもわずかである。さらにトップと言っても日本の佐藤栄作元首相のように受賞時はすでに現役を引退している者が大半である。加えてこれら一国トップの受賞者を国別にみるとセオドア・ルーズベルト(1906年)、ウッドロー・ウィルソン(1919年)、ジミー・カーター(2002年)、バラク・オバマ(2009年)など歴代大統領が並ぶ米国を別格として一国で政治家が複数回受賞した例は極めてまれである。
そのような中でイスラエルのトップが1978年と1994年の二度にわたりノーベル平和賞を受賞したことは驚嘆すべきことと言えよう。さらに驚くべきことは受賞者たちのその後の暗転の歴史である。1978年にベギンと共同受賞したエジプトのサダト大統領は3年後に暗殺されている。そして1994年の受賞者であるラビン首相も2年後に同じく暗殺されている。共に現職の国家元首のまま和平に反対する自国の軍人或いは反対派の青年に狙撃されている。
そもそもノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の消滅・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている。そしてスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を願って「平和賞」の授与はノルウェーで行うことになっている。この結果物理学、化学、生理学・医学、文学、経済の5分野のノーベル賞はスウェーデンのストックホルムで授与されるのに対して、平和賞だけはノルウェーのオスロで授与式が行われている。
イスラエルとパレスチナの中東和平に与えられたノーベル平和賞とは一体何だったのであろうか。「中東に和平を築く努力に対して」というのが彼らの受賞理由である。イスラエルの政治家3人が国内の根強い反対の中でパレスチナとの和平に大変な努力をしたことは間違いなく、それがノーベル平和賞に値するとの選考委員の判断に異論をはさむつもりは毛頭ない。
しかし第二次大戦後の中東の平和問題がイスラエルとパレスチナの関係に限定されてよいものであろうか。戦後の欧米の中東論は中東和平即ちイスラエルとパレスチナ(およびアラブ諸国)の和平という視点が強すぎ、そのような中でイスラエルが四度の戦争に勝った事実を事後承認する形で中東の平和が語られている。そこにはパレスチナでのユダヤ人のホームランド建設(イスラエル建国)の結果、中東に四度もの紛争を引き起こした問題を「中東和平」という形に変え、それをノーベル平和賞でオブラートに包もうとした西ヨーロッパ諸国の意図が見透かされる。また1994年の受賞のきっかけとなったのがノルウェーの調停であり、そのノルウェーがノーベル平和賞を与える立場にあったことも何やら自画自賛の匂いすら感じられる。
確かに第四次中東戦争、そして二度にわたるノーベル平和賞の授与以降、イスラエルとパレスチナ及びアラブ諸国との戦争は無くなった。それでは地域に平和が訪れたかと言えば否というほかない。ラビン首相暗殺以降も中東の平和は悪化の一途をたどっていると言えよう。
(続く)
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荒葉一也
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