2013.4.4
1976(昭和51)年 アラビア石油、中途採用す。
「紙上入社試験―アラビア石油株式会社」
1976年6月初旬の日本経済新聞でアラビア石油の中途採用募集広告を見たのは通勤途上の電車の中であった。当時は一部上場企業の中途採用は珍しい時代であったため、それだけでも相当なインパクトのある広告であったが、「紙上試験」と銘打ったタイトルも刺激的であり興味をそそられた。
応募資格は昭和41年から44年の男子大卒者とある。年齢30歳前後でまさに筆者の年代である。現在ではこのような性別・年齢限定の募集は広告倫理規定に違反するのであろうが、ここまではっきりと明記されていることも驚きであった。その年代に新卒を採用しなかったため補充で中途採用する、と言うのが募集理由である。筆者が大学を卒業した頃は重厚長大産業の時代と呼ばれており、鉄鋼、自動車、重電、化学産業など巨大企業各社は数百人規模で新卒者を採用していた。
入社後に解ったことであるが、そのような高度成長時代にアラビア石油が新卒採用を見合わせたのは当時原油の販売量が伸び悩み、また事業の多角化が期待した成果を生まなかったためであった。しかしその後1973年に第一次オイル・ショックが発生、石油価格が一挙に10倍以上になった。おかげで会社の売り上げと利益は激増した。会社は第二の創業を目指し海外の資源開発プロジェクトに乗り出した。そのため一流企業で実務経験を積んだ30歳前後の若手サラリーマンに狙いを定めて人材補充を図ろうとしたのであった。
「紙上入社試験」とは『新西洋事情』(深田祐介著)を読み、その概要と読後感をそれぞれ800字にまとめよ、というものである。『新西洋事情』は前年の大ベストセラーであり、著者の深田氏は当時日本航空の現役社員であった。海外駐在員が現地で苦闘する姿をユーモアとペーソスを交えて描いたエピソード集であり、いわゆる「赤ゲットもの」(不慣れな洋行者を茶化し気味に取り上げた読み物)の流れを汲む小説である。当時殆どのサラリーマンにとって海外駐在はエリート企業のエリート社員の話であり自分たちには縁遠いものであった。その一方、誰しも国際化の波が足もとにひたひたと押し寄せていることを実感していた時代であり海外に対する憧れは強かった。
ともかくも入社試験に応募し、数次の面接を経て9月に採用が決まった。それまで働いていた会社での仕事を整理し引き継ぎ、暮れも押し迫った12月正式に入社した。同期入社は20人弱であった。以前の勤め先は化学会社(宇部興産)の筆者の他、日立製作所、ロッテ製菓、安宅産業(同社はカナダの製油所事業への不良貸し付けで既に死に体であった)、近畿日本鉄道等々、多彩であった。世の中はロッキード事件の田中元首相逮捕に沸いていた。今から40年近く前の話である。
(続く)
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
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2013.4.1
消えゆくアラビア石油
昨年(2012年)12月27日、一部上場企業AOCホールディングスは子会社のアラビア石油社員を包括的にJX日鉱日石開発に移籍させることを発表した。正確に言うならば4月1日付けで石油開発の技術・経験を持つ人員を承継する新会社を設立した上で、全株式をJX日鉱日石開発に譲渡するということになる(同社プレスリリースより)。これにより1958(昭和33)年に設立されたアラビア石油は55年の歴史を終えて表舞台から完全に姿を消すことになった。
筆者はアラビア石油創立18年後の1976(昭51)年に中途入社した。そして2000年にサウジアラビアとの利権契約が終結し同社が人員整理を断行した時、当時出向中の中東関連の財団法人に移籍し、60歳定年に達した2004年に退職した。それ以来、中東と石油に関する二つのブログを立ち上げて今日に至っているという次第である。
アラビア石油に勤めた期間は同社55年の歴史の半分にも満たず、また中堅管理職でしかなかった筆者が会社について語るのはおこがましいことであるが、これだけ激しく歴史に揉まれた企業も珍しくない。人間にたとえれば数奇な運命にもてあそばれた企業であった。
既に語り尽くされたことではあるが、アラビア石油はその誕生からドラマに満ちている。筆者が入社した1970年代は原油価格が急騰しアラビア石油は日本屈指の高収益会社ともてはやされた。しかし1980年以降、会社の操業現場であるペルシャ(アラビア)湾では戦争が絶えなかった。1980年にイラン・イラク戦争が勃発、さらにイラクのクウェイト侵攻(1990年)と翌年の湾岸戦争(1991年)では操業基地カフジが戦場となったこともある。その後の1990年代は2000年に期限を迎えるサウジアラビアとの利権契約延長のため、アラビア石油は日本政府を動かして必死の努力を重ねた。しかし結局契約延長は失敗、2003年には残るクウェイトとの契約も終結し今日を迎えたのである。
この間の日本国内の動きに目を向けると、石油開発事業では政府の強力な後押しによりいわゆる「日の丸原油」の獲得を目指して多数のプロジェクトが計画され実行された。しかし石油開発は極めてリスクの高いビジネスである。アラビア石油もカフジ油田に続く事業では運に見放され、今では石油開発の業界地図も大きく塗り替わっている。国内の石油精製事業でも地殻変動が起こり以前とは様変わりしている。
アラビア石油の草創期及び日本の石油産業を俯瞰することは筆者の力の及ぶところではない。したがって本稿は1970年代から今日までの中東と石油の動きを織り込んだ筆者の随想録なのである。
(続く)
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