梅さんのかわら版.umelog

甲州市~甘草屋敷

”ももの決意”

2014-08-21 23:36:16 | 花子とアン

8_21_3_2安東家に生まれ育った「花子」「かよ」「もも」の三姉妹、同じ父と母を持つのに、どうしてこんなにも境遇がちがうのでしょうか?

製糸工場の過酷な労働に耐えられなくなって逃げ出してきたかよ、そして今度はももまでが嫁ぎ先から逃げてきましたね。

確か、この縁談は、おとうがとても良い縁談といって進めたもの。
本当は朝市が好きだったんですよももは。でもおとぅの勧めに素直に従ったんです。その当時、北海道は外国のように遠かったはず。又、北海道開拓という歴史を紐解いてみても相当過酷だったようです。そんな地に娘を嫁がせて心配じゃなかったずらか。花子の家に何度も行くお金があったら、ももが幸せか、どんな暮らしをしているか見に行けばよかったじゃん。花子に比べ、ふんとうにかよやももは可哀想じゃんね。

蓮子さんは、「女性も、自らの人生を生きてよい」という新聞記事で、多くの苦しい境遇に身を置く女性が何人も訪ねてくる」と言っていますから、女性の意思などなく、じっと我慢をしていたのでしょうね。


”書き直した原稿~ラジオのおばさん”

2014-08-20 23:53:35 | 花子とアン

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 1923年に関東大震災が発生し、この震災がきっかけとなって、情報伝達手段としてラジオが注目されるようになりました。そして、震災からわずか2年後の1925年にJOAKによって日本初ラジオ放送が開始されます。
 
花子がラジオのおばさんとしてデヴューしたのは、1932年、その7年後でした。
 
その頃になるとラジオも低価格になって一気に普及したそうです。そうはいっても、貧乏人の小作人である花子の実家や、朝市の家はまだラジオは買えませんでしたね。何かあると、大地主の徳丸家に聞きに行っていたのでしょう。そこはもう、徳丸さんは太っ腹ですから、「みんな遠慮しんで聞きに来てくれちゃ。いいずら、いいずら…。」

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花子はいきなり放送局が用意した原稿を書き直しましたね。この時代は、原稿はすべて逓信省の確認が必要だったのですが、そこを書き直してしまうなんて花子は素晴らしい!花子が子供たちに分かりやすく書き直した原稿全文を載せます。

原文    「本日午前八時頃、京都市街の動物園において、「小櫻號」といふ名前のライオンが檻の外へ飛び出し、しばらく園内を縦横無人に歩き回りました。」「このライオンは京都で生まれ今年十三歳になります。普段はおとなしく園長さんの命令に従ふのですが、けふは園長に襲いかかり園内を恐怖に陥れたため、射殺されました。」
            ?

直した原稿 
「けさの八時頃、京都市にある動物園で、今年十三歳になるライオンが、園長さんのすきを見ていきなり、のそのそと面白がって動物園の中を歩き廻りました。」「このライオンは京都で生まれ、「小櫻號」といふ名前まで貰ってゐる位で、いつもならおとなしく園長さんの言ふ事をきくのですが、どういふわけか、けふは園長さんにかみついたりしてダダこね、みんなをこはがらせましたので、たうたう鉄砲で撃たれてしまひました。」

 花子に拍手です。いつも子供の立場で書いているので、こういったことも気が付くのでしょうね。自分の言葉で伝えたかったのでしょう。歩君も聞いていますからね。


”ラジオのおばさん誕生~花子”

2014-08-19 17:49:10 | 花子とアン

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 花子は、放送局の子供向け番組に出演することになりました。
 
尻込みする花子の気持ちを後押ししてくれたのは歩と、決して余計なことは言わないけれどいつも花子を見守ってくれている英治です。
 
子供達に上質な文学を届けたいと日夜奮闘している花子ですから、こんな良い機会はありませんね。
 
英治が言っていた「もしナマケモノのお母さんが喋ったら、きっとそういう声に違いないな…。」という、人をほっとさせ、愛にあふれた温かい声は、日本中の子供たちにどのように受け入れられるのでしょうか?
 
楽しみになってきましたね。
 
そうそう、そうはいっても滑舌は大事です。“久留米のくぐり戸は栗の木のくぐり戸”しっかり練習してくれちゃあ。
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蓮子さんを訪ねて謎の女性がきましたが、浪子さん…ちょっと慌てすぎですよ。
「まさか龍一の女じゃ…」なんて蓮子さんを焚きつけて…。
龍一にはそんな魅力も甲斐性もありません。蓮子を奪って逃げたあの逃避行の時のような激しさはとっくに失せて、今はすっかりいい夫であり、お父さんじゃありませんか。(龍一にはやたら厳しいumeさんです)
それにしてもこのドラマは、キャストが贅沢ですね。
ここに、壇蜜さんが登場ですか? しかもこの妖艶さ!
蓮子さんは女性の地位向上のための活動をしていたので、きっと蓮子さんを頼って来たのでしょう…と想像の翼を広げてみました。

 


”女性の地位向上のため気炎~花子とアン”

2014-08-18 19:57:35 | 花子とアン

時は1937年、大正から昭和(7年)へと代わりました。
英治の父も3年前に亡くなっています。

8_18_8 この週は、「家庭」創刊に絡めて、女性の地位向上、権利に深く切り込んでいます。蓮子さんは、「どんな境遇であれ、女性は男性と等しい権利をもつべき」と新婦人対談会で述べていますね。今日は当時最先端を行く考えをもっていた女性たちが気炎あげます。
面白いですね。

英治と花子だけになってしまった靑凜社では、待望の大人から子供まで親しめる「家庭」の創刊。この雑誌は、日本の家庭に上質な家庭文学を届けたいというコンセプトのもとに創刊されました。 
その趣旨に賛同して創刊号に寄稿したのが、その最先端行く女流作家達。

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花子の大先輩にあたる長谷部汀先生。女性の権利向上の旗頭のような人物ですね。
宇田川満代先生は確か、震災の時に衝撃的な出会いの末に結婚して、作家から足を洗ったはず…。
てっ!あの出会いは「錯覚」だったんですって!
再び作家活動しているようです。作家は不幸なほどいい作品が書けるんですって…。たばこのくゆらし方、fashion、惚れ惚れしますね。
昭和モダンの匂いがぷんぷん。彼女出てくるといっぺんに昭和の時代に戻されます。上質なスパイス?
そして醍醐さんは、作家と言うより評伝を書くことを得意としているようです。蓮子さんの評伝も書いていましたね。これからは、長谷部、宇田川両氏の評伝も手掛けるようですよ。nonfiction作家ということですかね。
てっ!棒読みセリフ満載の三文芝居が功を奏して?結ばれるかに見えた兄やんとは「醍醐さんには自分よりふさわしい人がいます」で、お別れですか…。
これはやっぱり龍一の脚本が悪かったずら。武をコケにして…。
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蓮子さんは、いつも妖艶で美しい。チャイナ服が一層引き立てている。
さてこの蓮子さん、お姫様なのに行動力は人一倍あるようです。
芸術的才能も夫の宮本龍一の比ではないようで、自分で書いた半生が映画化されましたね。(実際に柳原白蓮の半生は1946年、原節子主演で「麗人」として映画化されている。又この他にも白蓮をモデルにした小説やドラマ等数多くつくらている)
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この時代、25歳以上の男性には参政権があるのに、女性にはまだ参政権が認められていませんでした。蓮子の二番目の夫、伝助のように妾をもったり、姦通罪は男性に有利につくられていて、男女は平等とは程遠かったのです。
この時代を勉強すると面白いですよ。この女性たちの働きがあったからこそ、今の平等の時代があると思うと、本当に尊敬しますよね


”万引き少年への説教~毎日新聞「余禄」”

2014-08-17 23:36:45 | 日記・エッセイ・コラム

Original 作家の井上ひさしさんは、少年時代辞書を万引きして本屋のおばあさんにつかまったことがあります。
 
その時、おばあさんはどのように説教をしたのか、毎日新聞の「余禄」欄にとても良い記事が載っていましたので紹介します。
 
ちょうど今、古物商の「まんだらけ」が万引き犯をインターネット上で公開するということで物議をかもしていますね。
万引きに業を煮やしている人も多いようで、この話に喝采する向きも多かったようです。
 
井上ひさし(19342010)さんは、小説家・劇作家・放送作家で文化功労者・日本芸術院会員です。

 (おばあさん)「これを売ると百円のもうけ、坊やに持って行かれてしまうと、儲けはフイになって定価の五百円の損がでる。その五百円をかせぐには同じ本を五冊売らなければならない」
 
(井上少年)こわごわうなずく。
 
(おばあさん)「うちは六人家族だから、こういう本をひと月百冊も二百冊も売らなければならない。でも坊やのような人が三十人もいてごらん。六人は餓死しなければならない。坊やのやったことは人殺しに近いんだよ」
 
      ー 井上少年は薪割りを命じられた ー
 
      ー 薪割りが片付くと、おばあさんは少年に辞書を渡した。ー
 
(おばあさん)「代金は薪割りの手間賃から差っ引いておくよ」。

 少年は欲しいものは働いて買うだと教えてくれた人生の恩人を大作家となった後も忘れられなかった。

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このおばあさんの対処法は大岡裁きのように鮮やかでしたね。なんといっても情があります。 罰する側より、万引きをする側が問題です。このおばあさんの対処法はとても説得力がありますね。学校も、家庭ももっとこのおばあさんのような教育をしっかりとしていくべきでしょう。


”お笑い小劇場~愛の革命”

2014-08-16 23:59:42 | 花子とアン

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いつまで経っても中途半端な宮本龍一の脚本により、棒読みセリフの小劇場が開幕しました。

 全く、放っておいても結ばれるものは結ばれるものこんなの有り?
 
どこかずれているというか、余計なお節介をしている龍一。
 
こんな三文芝居に付き合わされるために、武は甲府から呼び出されたのです。 

のこのこ出てくる武も武ですが

8_16_5 武っていい人じゃんね。ずっと醍醐さんを追いかけていたのに、吉太郎さんの為に一役かって出たのです。本当に損な役どころです。
徳丸家はかよが製糸工場から逃げ出して来た時、助けてくれた大恩人。徳丸家なしにかよの今の幸せはないのですよ。

 

それを忘れたかのようなこの配役。もっと違う脚本は考えられなかったずらか。
まぁ龍一に高望みをしてもしょうがないか。龍一の考えることはこんなもんでしょう。
題名が「愛の革命」?
何が革命か?自分たちの逃避行に比べ、これは可愛いもんじゃん。

 
ところで、チーム山梨の男衆を早く結婚させてくりょう。甲府にだって醍醐さんに負けないくらいの器量のよい娘さんいっぱいいるずら。


"虹になった歩君~吾子安かれと”

2014-08-15 22:41:15 | 花子とアン

 

                空あふげば空に祈りぬ 
                     花見れば花に祈りぬ 吾子安かれと

                           8_15_1

 

                             はてもなく
                        打つひろがれる悲しみの
                               海を前にして力なし我は

                         8_15_2 

      ごきげんよう さようなら

              ~~~  ~~~  ~~~   ~~~


”母の歌~歩に捧ぐ”

2014-08-14 16:31:13 | 花子とアン

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     いとしみの
  
幾春秋は夢なれや
     
うつつは一つ小さきこつがめ

 
              

             村岡花子

 歩ちゃん、おかあちゃまはばかでしたね・・・こんなに早く逝ってしまうなら、仕事ばかりしていないであなたのそばにずっといてやればよかった。
あの楽しい日々はもう戻ってこない・・・歩ちゃんはこんなに小さな骨壺に入ってしまって…。(花子が道雄君を亡くした時の実際の歌です)

・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
 

母と子が8_14_5
 並びし床のむなしきを
    思いやるなりわれも人の親

      われにさへ
         けさは冷たき秋の風
          子をうしなひし君がふところ

           葉山蓮子(柳原白蓮)

腹心の友、蓮子さんが花子を励ますために作った歌。蓮子さんにもこの何年か後、悲しいことが起こります。


”心に悲し夜の雨の音~歩君の死”

2014-08-13 18:01:02 | 花子とアン

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大正15年、歩は疫痢で死んでしまいました。
花子の悲しみはいかばかりでしょうか…。

あんなに海に行きたがっていた歩君。
お母様に似て、想像の翼を広げお話しを作ってしまう歩君。
お父様に似て、絵が好きで王子と乞食を上手に描いてしまう歩君。

疫痢は、赤痢菌が腸に感染することで起きる感染症で、当時は多くの子どもが亡くなりました。
「アユムシス」電報を受け取った蓮子のお姑は、「母親にとって子供のを亡くすことは、心臓を捥がれるほどつらいこと」と言って、すぐに蓮子を花子の所に向わせます。
浪子さんはさすが武士の家柄です。いざと言う時は頼りになります。

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  ”あすよりの 淋しき胸を思ひやる
        心に悲し 夜の雨の音”

花子にとって蓮子という腹心の友は、どんなにか心の支えになったことでしょう。

 8_13_ayu4_2 今日は、8月13日、迎盆です。花子のように、幼くして子供を失った家族は、歩君の死を自分のことのようにつらい思いで見たことでしょうね。

”歩君は虹になったのです。”
そしてお空で、雨雲さんと一緒に楽しくお喋りをしたり、絵を描いていることでしょう。



”雨ザンザン~軽井沢”

2014-08-13 00:20:30 | 旅行記

8_12_new今年も軽井沢に来ています。

今日はあいにくの雨でしたが、7月2日に新エリアがオープンしたばかりの軽井沢アウトレットに寄ってみました。

新エリアにはGUCCI等54店舗が入っています。写真の真ん中部分が新しくなった所です。フードコートが特に充実していて、アウトレットといっても、本格的な料理を楽しむ事が出来ます。

 

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秋に向けて、今日はこんなものを買いました。
アップリケが気にいっています。