娘のつきあいで駅まで行ったのですが
テツヲタに足を突っ込んだ身で見ると そこは パラダイス
地元の工場で使われていたもの
踏切もない県道を横断して通過待ちしたのを覚えています。
我が家と同じKATOのDE10ぢゃないですかぁ
これ 乗ったことがあります。
学校の帰りの高架橋で煙の中に入ろうと走った記憶が蘇ります
これも乗りました
実際にバーナーで蒸気を起こし走行するモデル
病気の世界に見えるのはまだまだ修行が足りない証拠
いつも時間が合わなくて閉館しているが豪華客室を再現したコーナーもあって
一度訪れててみたいです。
デアゴのMP4/4で知り合った同年、さすが写したみたいな。
電子ブロック、懐かしいです!
わたしはブロックになる前の回路記号の上に部品が
乗っていて両端に接続用のスプリングが付いたタイプ
でリード線で部品を接続するもの。
一番最後の回路が月に向かって電波を発射する・・・
小学生のラジオ少年には興奮ものでした。
ゲルマニウムはクリスタルイアフォンで良く聞こえ
ましたね!!マイカコンデンサを噛ませた線を
コンセントの片側へ突っ込んでアンテナにして。
中学になっても結構感電して、電柱のヒューズを
飛ばして電力会社のお世話にもなりました。
地域の違いでしょうか、蒸気機関車は小学生の
中学年くらいまで普通に乗ってました。
D51、C62は長距離か貨物だったかは不明
ですがいつも乗る機関車よりもカッコ良かった
のは鮮明に記憶してます。
特急の牽引がD51で超興奮で停車駅のたびに
先頭まで見に走り運転手のオッサンに笑われましたね。
なによりあの煙の匂い、コークスか重油を噴射
したものだと思いますが独特で少し甘い香りがした。
トンネルをぬけて鼻をかむと黒い鼻水が すみません。
ま、叔父が模型テツだったので色々教えてもらった
ことも一因でしょうか。
昔は とか 今の若いのは とかは禁句ですね。
私たちも同じことを言われて来ましたから。
ケンメリのペースはそれこそ自由ですね。
ただ加工したいときに補充部品がない、なんて
ことにならないようにね。
わたしの4-23なんかは3、4年放置同然ですから。
速くもケンメリが積ん読になってます。(T^T)
そんな中の蒸気機関車、それもD51に乗った経験があるのですね!
子供の頃は青梅の鉄道公園で静態保存された機体に思いを馳せていました。
中学生の時は同級生に今で言う撮り鉄がいて、
蒸気機関車の生写真に興奮しました。
(蒸気機関車って、雪が似合いますよね)
そんなkonaki。も、蒸気機関車に乗ったことがあるらしいです。
百貨店の屋上で、ライブスチームに乗ってご満悦の写真があります。(*^▽^*)
また、祖父の友人が天賞堂の技術者で、
お宅に遊びに行ったとき、
仕事場で真鍮模型を目にして興奮しました。
また、そのおうちの子供が自分より年上で、
当時プラモデルをランナーからもぎっていたkonaki。に、
ニッパーを使うことを教えてもらいました。
昭和40年代って、アナログ技術が進んでいく過渡期だったので、
「電子ブロック」など、本当に学べる玩具に恵まれていました。
あ、konaki。が買ってもらえたのは廉価版の「電子ボード」でしたが、
それでも「電気」が面白かったし、
ゲルマニウムラジオが電源もないのにラジオが聞こえることに感動しました。
多分私たちの年代は貧乏だったけど、
本当に良い時代に育ったのだなぁと思います。
(貧乏が苦ではなかったし)
ただ、そんな思いが現代に通用しないことも実感しています。
とはいえ、今更そんな事に目くじら立てても仕方ないですよね。
我々は我々で、手前勝手に人生を謳歌しましょうね。Ψ(`∀´)Ψ