たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

祭の前に弘前市をぶらり 8/2

2015年08月18日 | 登山
今日の予定は夕方まで弘前を観光し再度、黒石に戻って「ねぶた」を見物と言う事で弘前まで一走りです

弘前は桜の頃一度訪れていますので、その時に回れなかった場所を訪れる事にしました

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弘前城横の駐車場(一日600円)に車を預け先ずは武家屋敷を訪れました

(1)は旧梅田家 此処は下級武士の家跡でこじんまりとしていましたが落ち着いた佇まいです

(2)は旧伊藤家 藩医を務めた住宅で19世紀の頃の建物

(3)は旧笹森家 一見、近代的な建物に見えましたが江戸時代中期に建てられたとの事

共通している事は内部は至って地味なのが印象的でした

(4)は笹森家で武家屋敷に着いて細かく説明をして下さったボランティアの方

暫くお話をしていますと「旧家を訪ねるのがお好きな様ですね」と奥へ

「歴史の街並み」という60ページの冊子をわざわざ取りに行き「宜しかったら」と渡されました

全国の旧家の写真が掲載されている貴重な資料で

ページを捲ってみますと先日訪れた佐渡の宿根木も有りその外にも見覚えの有る建物が幾つか散見されます

「活用させて頂きます」と丁寧に礼を述べ武家屋敷街を辞しました

これから黒石に行く話をした時にボランティアの方が仰るに今日は「弘前ねぷた」の審査日ですので見応えが有りますよ

私達は一瞬、迷いましたがそれを逃す手はないでしょう、黒石は一台でしたが一応みましたので又々変更です

     

一陽橋から前回は通らなかった道から天守閣へと向かいます

何処までも続く桜の並木が記憶に無いのは開花には少し早い時期だったからかもしれません




行く手に大銀杏が立ちはだかりました

樹齢300年以上、樹高約32m、幹周600㎝の大木で

土塁を壊した為に根が露出しこの様な形になった様です

それにしても凄い、こんな銀杏の木を見た事ありません

銀杏の木の少し先にお堀を埋める様にハスが咲いていました

もう終わりに近く弱弱しい花でしたが遠目には未だまだ見ごろと言って良いでしょう




江戸時代に津軽統一を成し遂げた津軽為信が築城した天守閣ですが

現在、地震で歪んだ石垣の修復作業中でこの後、天守閣は修理が済むまで解体せずに

曳屋という手法で仮設場所まで移転される様です

(石垣の上に戻るのは2021年)








次に向かったのは弘前城に隣接する「藤田記念庭園」

庭は大正八年に東京から庭師を招いて造らせたという江戸風庭園です

此処は高台部と低地部に分れており総面積6600坪という広大な敷地で

高台部には趣のある和館、洋館が建っていました

先ずはここでお抹茶を一服

風の通る広い縁側で庭を眺めながら飲む冷たいお抹茶は暑さに気だるくなった体を一気に覚ましてくれました

内部や庭を鑑賞しつつ散策し低地部への階段を下りていきますと






そこは池泉回遊式庭園となっており此処にも茶室が見られました

静かな一角に腰を下ろし耳を澄ませば水琴窟の澄んだ音色

中々凝った演出をしています






高台部との崖を利用して作られた滝も涼しさを呼ぶ演出ですね



     

裏側から再び高台部に上がり茶房のある洋館に入ってみましょう

大正ロマンを感じさせる室内とステンドグラス

藤田氏はここで今、私達が味わっている様にコーヒー片手に岩木山を眺めていたのでしょうか



     

次は曹洞宗のお寺が道の両側にズラリと並ぶ禅林町まで足を延ばします

長勝寺への境内入口を示す黒門を潜りますと左手に六角堂が有りました

時の豪商が海難や飢餓で命を無くした人達を弔う為に建立された御堂です



     



お寺の数がどの位あったのか数えても見ませんでしたが

太平山・長勝寺はその、どん詰まりに有りました

津軽家の最初の菩提寺と有ってそれなりの風格を備えた立派なお寺です





     



弘前には古い建物がたくさん残っています

それらは現代の街並みに何の違和感もなく融合し落ち着いた街並みを形成していました

最初の建物は図書館ですが高校を作るにあたり一旦、移転した物を、そのままそっくり同地に戻したとの事です

二枚目は図書館内部


この地に残る古い建物をジオラマでも紹介していました





さて、お祭り開始ももう少し

亀が気になる柴犬も可愛い女の子もジッとその時を待ちます

(続く)


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