続き
この時期ならではの景観を楽しみ20分ほどの休憩を終え上権現堂山に向かいザックを背負った。遮るものの中に動く姿は一列に並ぶ私達の姿だけだ。豊富な残雪を抱えた斜面をスキーを真似て滑り降りたり私達はスッカリ童心に返っていた。気温が大分上昇し蒸し暑い。時折体を掠める微風は心地よいがもっともっと強い風が欲しいと思う程暑い。
上権現堂山
シャクナゲ&タムシバ
下るだけ下って「下」と「上」を繋ぐ雪の消えた釣り尾根で再び花に迎えられた。相変わらず清楚なイワウチワは足元に帯を作り目線の先には淡い緑に包まれて真っ白なタムシバが続く。 シャクナゲの濃いピンクも一段と誇らしげである。そしてその先には上権現堂山が春の陽光を浴びて手招きをしている。
中越が間近と言う時、突然Yさんの足が止まった。夏で有れば岩の間を通って下降していく道があるはずなのだが今は雪に覆われ、どこをどう降りたら良いのか全く分からない。もう手を伸ばせば届く距離に近づいた上権現堂山を目の前にしていく手を阻まれた蟻の様に7人の固まりが右往左往。
「この先は無理かもしれない」の言葉に皆が同意。雪も深いし行程としてもこの辺りが限界だろう。
私達は少し戻った小広い場所を見つけてお弁当を広げた。未だ豊富な雪を抱く守門岳、浅草岳、会津朝日岳 後ろの越後三山は今一つハッキリしたものではなかったが十分満足できる眺めだ。私お得意の辛味モチは「まさか山で辛味餅が食べられるなんて」と好評(大根を摺り卸して柔らかく煮たお餅に絡める)
後はそれぞれが持ち寄ったそれぞれの味を楽しんで1時間35分に及ぶ山上の宴を繰り広げたのである。
帰路、弥三郎清水の上の小岩峰からの見晴らしは魚沼の田園がのびやかに広がり高度感たっぷり。見飽きない風景である。初夏の今は水を張って美しい。
弥三郎清水の極浄水をペットボトルに詰め戸隠神社が見える小高い丘の業の秤で最後の休憩。業の秤とは悪業と善業を計りに掛け悪業が強いと言われた者も権現堂に登る事によって善人になれる。いわゆる己を変える門なのだそうだ。そして頂上を極めた事で六根清浄となる(六根→いわゆる眼、耳、鼻、舌、身、意が清らかになる)。そう雄さんが教えてくれた。となると半分しか極められなかった私達の六根は果たして清められたのであろうか。
(左)山菜の王様コシアブラを見つけた雄さん、おそらく今夜の食卓は全員がコシアブラかもしれない。 (右)朝、石段を上る途中、俯いていたキクザキイチゲが綺麗な空色の花びらを天に向け最高のエンディングを演出してくれていた。
権現堂山は「下」だけしか行けなかったが出だしから山上まで花に埋め尽くされ幸せな気分にさせてくれる山だった。多分、皆もそう思って家路に着いたに違いない。今夜、皆はこの感激をどのように家族に伝えたろうか。興奮して話す顔 顔 顔が目に見える様である。