続き
見上げると山頂までの行程はかなり厳しく感じられるが五竜岳を思えばそう案ずることも無さそうだ。登る間にも灰色雲が発達しては押し寄せ瞬く間に山全体を覆い隠したり雲散霧消してクッキリ姿を現したりと変化が目まぐるしい。
爼嵓への登りよりミノブチ岳と尾瀬沼を振り返る(右の山は赤ナグレ岳=2249)
灰色のレースを透かして社が浮かんだ。待望の爼嵓である
「とうとうやった!」「やったね」疲れで交わす言葉は少なかったが喜びは大きい。私達以外、動くものは全くない。山好きが憧れてやまないこの大きな山が今日は私達二人だけのものと言う事も嬉しかった。
さて問題は爼嵓より10mほど高い柴安嵓の登頂だ。雄さんが立ちあがった。❝行くしかないのかなぁ❞とザックを岩陰にデポし爼嵓の斜面を下った。大きく下り登り返して柴安嵓に着いた時「芝安嵓は俺だけ登らせてタカは爼嵓で待っていようと思っていただろう。此処迄きて登らなかったら後悔したぞ」と心の内を見透かされ、気まずさに上目遣いでホックリ。
ピカイチと言われる山頂からの展望は閉ざされて越後、会津の山々は全て雲の中。しかし考えてみれば今日は大雨の予報が出されていたのである。私達がこれ以上を望んだら罰が当たってしまうかもしれない。
記念写真を撮ろうとしたときタイミング良く霧が切れ至仏と尾瀬ヶ原が広がったが構図を決めている内にシャッターチャンスを逃してしまった。アンコール・アンコールと叫んでみたが頑固な霧が白い幕を閉ざし時々霧が薄れるだけでハッキリした景色は二度と見られなかった。期待していた燧の展望はこんな形で終わったがそれでも長年の想いを遂げた喜びは大きい。そして疲労感も心地よかった。
爼嵓に戻り池塘周りで下る道は大きな石がゴロゴロする急下降だ。滑ったら泥まみれになるのは必須なので緊張したが至仏の滑りやすい蛇紋岩と違い意外に滑らない。しかし足元はかなり泥にまみれてしまった。
熊沢田代湿原で傾斜は一服し一安心と思ったが湿原を抜けると再び広沢田代までの急下降が待っていた。
広沢田代湿原着15時5分。湿原で一息入れたかったがベンチも無く時間的にもゆとりが無かったので、その美しさだけを目で追うだけに留め先を急いだ。霧が押し寄せれば白く光り霧が晴れれば空の蒼さを投影し様々な表情を語り掛ける小さな世界だった。
尾瀬の冬は早い。その冬を待つ静寂漂う湿原に大小様々な池塘が散在
広沢田代からはもう一踏ん張り。靴底に溜まった泥を流れで洗っても直ぐにまた凹凸がなくなってしまう。沢道を歩いても雄さんが驚くほど膝下を汚す事の無い私なのだが今日ばかりは勝手が違い酷い状態だった。
16時10分着。休憩を含めて9時間10分(歩き7時間10分)と言う工程をこなして駐車場に戻ると今朝のバスの運転手さんがチョコンと頭を下げた。
昨日、ここに来てから予約した時に「明日は100%雨ですが」と心配していたひのき屋さんに山靴を脱ぎ何はともあれ風呂を頂く。小さな風呂は残念だったが屋号通り、漂う檜の香りに心身共にリラックス。
↑はっとうとは昔、高貴な人に差し出したところ、あまりの美味さに村人の食する事がご法度となった事からはっとうと言う呼び名が付けられたそう。
主食は裁ちソバの他に白米と炊き込みご飯
サンショウウオ・・・私は食べられなかった
卓一杯に並んだ山菜を中心とした山と川の味覚は心が籠り一つ一つがとても美味しかった。が私達夫婦には多すぎた。 折角の手作りなので失礼にならない様、わからない様、紙に包んでたもとに入れても未だ食べきれない料理の多さ。大ザルにたくさん入った天婦羅は明朝、煮て出して下さいと頼むと快く引き受けてくれた。
「いずれ駒ケ岳と田代山に登りに来ますがその時にまた利用させて頂きたいと思いますが心の籠った手料理を残してしまうのは本当に心苦しいので私達の場合は半分の料理で結構です。勿論、宿泊料は同じで構いません」とお願いをしたほどである。とにかく満腹。苦しさに寝付けない程だった。