УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

1600年は、何の年?

2016-04-29 22:34:25 | 旅行
↑ 今日出会ったにゃんこ。
おなかタポタポ・・・入ってます、入ってます!

GWに突入しました。
今年のGWは、久々にちゃんと連休なのでどっかに行くか、でも混んでるのは嫌だし、新幹線は込むだろうし(←指定席を取るつもりが最初から無い人)
ってわけで、1泊2日で関ヶ原に来てます。
まぁ、泊まってるのは大垣なんだけどね。
関ヶ原は元々あんまり宿泊先が無いし、ましてやビジネスホテル的なタイプもないからねぇ。
で、いくら新幹線が混んでいても、多分こだまならなんとかなるだろうし、万一席が空いてなくても1時間半くらいなら立ちっぱなしでもなんとかなるか~っていう感じで適当な時間に出発。
そしたら、こだまはガラ空きで余裕~♪
・・・と、思ったんですが、思わぬ伏兵(?)が。
なんと、東海道本線が人身事故で止まってしまって名古屋から先が動いてないっ!?
うーむ、こればかりはどうしようもないですねぇ・・・
と、とりあえず名古屋で一旦途中下車して、味噌煮込みうどんを食べました。


本格的な味噌煮込みうどんは初めて食べたんだけど、麺がアルデンテ!でした(爆)
煮込みっていうから、もっと柔らかい感じかと思ったら、結構固めなゆで方で、小麦粉感がまだかなりある。
人によっては「これナマだよ、まだ」って言いそうな感じかも。
でも、結構あの八丁味味噌汁には丁度いいのかもね。
漬物がおかわり自由!っていうのが面白かった~。
で、JRは動かないんだけど、名鉄経由の振り替え券をもらったので、名古屋から新岐阜まで名鉄で移動。
名鉄の新岐阜駅とJRの岐阜駅は直接連絡はしてないんだけど、わりと近いのでその間を徒歩で移動します・・・
が、地元じゃないので道がわからない~!
しかし、大丈夫!
そーいう時はアプリの地図で・・・が普通なんだろうけど、私の場合は・・・
そう、Ingressやればいーじゃんっ!!!という(爆)
岐阜はわりと青が強いみたいだね~。
でも、行きずりの私も緑のポータル作ってきたよ(爆)
で、寄るつもりはなかった岐阜の街を少しだけ歩いたが・・・
岐阜って、信長様Loveなんだねぇ~。

駅前の黄金の信長様。


イケメン信長様ラッピングバス・・・
静岡だと、このポジションは家康君になると思うんだが、家康の場合はおじいさんかおっさん像なので、ちょっと羨ましい~(爆)


マンホールは鵜ですな。
で、岐阜駅から再びJRに乗り換えて、関ヶ原駅で下車。


駅のホームから、早速これです!おぉぉ~!!


待合室には、手作りクッションが!


観光案内所のコインロッカー。
どの武将を使うか迷うところ(?)ですな。
私は、西軍の島津さんちを使ったよ、別に深い意味はない(爆)
さて、最初はまず、駅前案内所でガイドの方から「ここにとりあえず行きなさい」と教えられました、関ヶ原歴史民俗資料館へ。
実は、私はあんまり歴史に興味がある方でもなくて、勉強もしてなくて、単に1600年関ヶ原の戦い。徳川家康VS石田三成、だけくらいの知識しかなかったんだよね。
今回、関ヶ原に行ったのは別に歴史とか古戦場に興味がある、っていうわけじゃなくて結構このあたり神社が多かったから(爆)
でもまぁ、行くからには地元の歴史とか史実を知ってる事は重要なので、まぁ行くのが無駄とも思わなかったが。


資料館前の顔出し。
内部は撮影禁止でしたが、各武将とか当時の武器の復元模型とか、もちろん一から関ヶ原の戦いの流れを知ることが出来る・・・んですね。
で、関ヶ原の戦いの流れを知るための巨大ジオラマがありまして、これが昭和の博物館的な、ボタン押すとランプが点灯して・・・っていう感じなんです。
で、録音の説明と共に自動的にランプがいろいろ点灯、点滅して、戦いの流れをつかむ事が出来るんだが、これが見てると、妙ーに「おぉ~っ!!!って感じで異様に「リアルに燃える!!んですよっ!!
何故?と、自分でも不思議でよくよく思い返してみたら・・・
そう、これって「ファイヤーエンブレム」に似てるんだよっ!!(爆)
それも、一番最初の「暗黒竜と光の剣」もちろん(爆)ファミコンバージョン!!
石田三成の西軍が青、徳川家康の東軍が赤、で途中で最初西軍だった小早川軍が途中で家康側に寝返るですが、これが私の脳内では・・・
家康君が「味方にならないというなら・・・その剣で私を好きにして!」って言ってる映像が脳内再生されてしまうのでありました(爆←ファイヤーエンブレムやってないと判らんネタですまん)
任天堂 ファイヤーエムブレムの懐かしいCM

という感じで、かなり盛り上がってそのまんま神社巡りと古戦場巡りに出発!
で、一番最初に行ったのが・・・


首塚!!^_^;;


取ってきた西軍武将の首をこの井戸で洗って、家康君が首改をして身元確定したそうです。


結構、山道もありました。
そうだよなぁ、日本のこういう時代の戦場って山野だからなぁ~。
山=高い=見晴らしがいい、って事で、戦関連の史跡やらが残ってるケースが多いもんなぁ。
しかし、1600年、その当時はこんないい道はなかったんだろうけど、このすぐ近くを甲冑着込んだ皆さんが歩いてたんだろうなぁ~。


こんなのもあった・・・


こんな感じで、古戦場の跡とか、お墓とかがしっかり説明付きだし、道もわかりやすくちゃんと整備されております。


途中で渡ったダム。


こちらは、西軍三成側の武将・大谷吉継のお墓。
この彼が、またドラマチック!!な方でして・・・
彼は旧友の石田三成に対し、挙兵を諦めるように諌めていたんだけど、三成君が聞き入れなくてとうとう家康君と全面対決に至った!
吉継君は病気で、目がよく見えないという状況だったそうな。
で、死装束でこの戦いに参加。
裏切った小早川軍の動きを当初から疑っており、彼らの陣営に近い地にあえて自ら趣いたそうな。
で、実際に裏切られた時は不利な状況にも関わらず、3回も小早川軍を撃退したが、力及ばずこの地で自害・・・
その後も、またドラマ的な感動的な話が続くんですが、興味がある方は調べてね~。
しかし、まさしくドラマ!ですよ、これ・・・ノンフィクションとは思えぬ萌え的設定・・・^_^;;




そこそこ山の中なんだけど、こんなところにも顔出しが!
やはり、人気キャラって事なのだろう。


お墓からすぐの展望台からは、小早川軍が待機していた松尾山がよく見えます。

とかとか、日本史にあんまり興味が無かったはずなのに、気づけた史跡巡りしちゃったよ~という感じでしたな。
後で調べたら、今日の歩行距離は29Km!!約40,000歩、歩いてました・・・
歴史、恐るべしっ!!!
学校で歴史を勉強させられていた頃は、「なんかの事件や事柄・それが起こった年号・関係者」だけを丸暗記で覚える、っていう感じで全く実感がなくてどこか遠い世界か、フィクションの中の記号、項目っていう感じだったけど、最近は、それが実際の事柄として近い存在として感じるようになってきたなぁ、と思います。
だから、歴史が面白くなってきたんだろうけどね。
これも、歳をとったって事かなぁ^_^;
しかし、この現在の関ヶ原町ってわりと東軍、西軍、石田三成も徳川家康でも、その双方のどちらかを贔屓とかではなくて、あくまで中立!っていうスタンツが良かったと思う。
伝記的な展開で考えれば、当然、家康側が正義で三成が悪、っていうパターンで、英雄家康に成敗される三成、的展開になりそうなのに、全然そうではなくて、東軍も西軍武将それぞれも「人間」である、一族や地元の責任を担う人々であった、っていう感じがこの地でよく感じられました。

コメント
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