台風です。
が、雨は酷いんだが長続きしてない今のところ。
試験は今のところ、通常通り行うそうで。
JRも動いてるし。
でも、帰りがなー。
で、出かけないので自宅のストック食料食べてますが、4月に千葉で買った茹で落花生のパック、あけたら粒がでかい!
そら豆レベルで通常イメージする落花生の2倍はありそうな大きさでしかもプリプリ!
美味かったよー!
このくらい大きさあれば、殻付きでも剥くのが苦にならない、と思う。
先日見かけた電柱。
カラス除けかと思うが、なんか現代アートっぽいなあー。
効果の程は謎だが。
でもって、結局テストは受けずクラリネットのレッスンも中止、になりました。
テスト自体は開催されたんで、キャンセル?という感じです。
まあ、半年後にもう一度受けるチャンスはあるのだが。
明日の試験は行けそうです。
で、今日は自宅でいろいろ講義を見たり読んだりしてましたが、その中で記号論についての話。
記号、というと「?」とか「←」みたいなのを思い出すが、それだけでなく文書ではない状態でなんらかの情報を見たり聞いたりする人に与える全般を記号、と取る。
例えば、私たちは相手の服装とかでフォーマルな服装,靴、持ち物だったりとか、ラフな服装か?とかから相手の立場とか状態、あるいは日常的なこだわりとかをなんとなく察したりしますが、そう考えると服装やメイクも記号の一種となる、そうな。
で、その記号は受け取る側によって同じ物でも異なる。
その人の社会的概念の理解とか常識とか経験とかにより変わってくる。
年代により受け止め方が変わる、とかみたいに。
で、その例として一枚の絵を見せて、それはどのような絵か?を説明させるのだ。
その図は、インド風な絵画タッチで中央には高い大きな木。その根元に美しく着飾ったインド美人が片手を頭の後ろに置くような感じのポーズを取っている。
彼女の周りには彼女のおつきみたいな少女たちが数名。
そして彼女の横には小さいキューピーさんみたいな人物がいて左手を高く空にかざしているポーズ、って言う絵。
アシスタント役のお姉さんは「??踊ってる絵?」って見てましたが、私にはわかった!
これは釈迦が誕生した瞬間を描いた絵だ!
大きな木は菩提樹、美しい女性は釈迦の母、釈迦は彼女の脇から生まれたので女性は片手を上げ脇を開けた状態で描かれている。
横のキューピーが釈迦で、釈迦は誕生直後から直立歩行して、天上天下唯我独尊(だった?)と片手を突き上げたポーズで言った、という。
って感じで、釈迦の生誕エピソードを知ってるか、知らないかで同じ絵を見てもそこから得る情報は変わるわけですな。
で、私がその釈迦誕生エピソードってほとんど「聖★お兄さん」で知ったのである^_^;;
ふと思うと、「聖★お兄さん」自体が遥か昔の聖人・神さまと現代の我々が同じ事に遭遇したり見たりした場合、当然違う見方になる、違う理解になるのでは?って言うあたりのギャップを笑いにギャグにする手法だよなー、って気付いたりするのでありました。