新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月29日 その2 英語(English)とカタカナ語の関係の考察

2020-05-29 14:38:13 | コラム
カタカナ語は英語の勉強に悪い影響を与えていないか:

ここでは“「英語」ではなく「科学としての英語」に対する“English”乃関係と”する方が適切かも知れないと思うが「英語」で押していく。忌憚なく言えば、我が国の学校教育で教えられているのは“English”ではなく「科学としての英語」であるという意味。

私は英語の勉強だけではなく、自国語でも「耳から入ってくる言葉の影響が最も大きく、且つ直ぐ覚えられる効果がある」と確信している。ところが、何事につけても「全ての硬貨には両面がある」もので、耳から入ってくるだけで学習効果があるのだ。「だが、そこには効果だけではなくカタカナ語には正しいEnglishを学ぶ為には悪影響を与えるという硬貨の裏面がある」と長年主張してきた。

即ち、私は「カタカナ語は我が国における正しい“English”の学び方と、言わば英語力を上達させる為には何の役にも立たないだけではなく有害であると看做している」のである。特に、自分が思うことを国語=日本語で表現する能力の成長をも妨げているのだとまで考えている。

そう言う根拠は「カタカナ語の99%以上は本来の英語の意味とは異なる使われ方をしている」からである。一つだけ例を挙げておけば「ケースバイケース」と言ってしまうと、これは英語では「一件ごとに」という意味になってしまい、「個々の場合によって」とはならないのだと知るべきだ。

テレビで多用されるカタカナ語:
これらが最も悪影響を与えているのだ。ここからは思い付くままに、そううカタカナ語の例を挙げていこう。
コンパクト、シンプル、オープンする、オープンさせる(応用編にはリニューアル・オープンやグランド・オープンがある)、プライベート、スタッフ、キャプテンシー、スリッピー、ゲットする、チョイスする、ジューシー、フルーテイー、クリーミー、スパイシー、プラ-べート・ブランド(PB)、バトンタッチ等々とキリがないが、これらは全て英語本来の意味とはとは無関係に使われているか、我が国における造語であって英語ではないのが困るのだ。

私は「こういう言葉を日常的に使うことを止めよとまでは言わないし、使うのは勝手である」と言ってきた。更に「本当の英語ではこのような使い方はされていないと認識した上で使いなさい」とも繰り返し指摘してきた。私は2008年に「カタカナ語に相当する本当の英語ではどういう言葉か表現になるか」も纏めて21世紀パラダイム研究会で発表した。こういうおかしな言葉を使い慣れてしまうと、国語での思考力と表現力も劣化する危険性があるとも考えているとも指摘してきた。故に、ここでは敢えて上記のカタカナ語を英語にすればどのような英語になるかの解説はしない。

カタカナ語の表記の難しさ:
私は既に“security”と“fury”を例に挙げて、ジーニアス英和とOxfordの間に存在していた発音記号に混乱とでも言いたい違いがあったことも指摘した。私はこの違いを見て、我が国で最初にカタカナ表記をした人(私は「カタカナ語製造業者」と呼んでいるが)がどのような基準で、大胆にもカタカナ語にしたかが解らなくなってしまった。即ち、私は誰でも初めて見る英語の単語に接した際には、躊躇わずに英和辞典も英英辞典を引き、発音記号まで見るものだと信じてきたが、かの製造業者たちはその簡単な手間すら省いていたのではないのかと皮肉っていた。発音記号を見てあれば、あのような英語離れしたカタカナ表記にはなるはずが無いと思っている。

私は彼等が英語の言葉を見て「ローマ字読み」をしていただけで、それ以外の何物でもなかったのだろうと思っていた。だが、「フューリー」と「セキュリティ-」のUK式とUSA式の間の発音記号の違いを知って、些か混乱させられた。

そこに何気なく聞いたテレビのCMで、恐らく何とか言うデイズニーのアニメ(これだってカタカナ語だ)の主題歌(なのだろう)を松田聖子と松たか子が歌っていて、“I will follow you .”を「フォロー」と言っていたのを聞いた。これは「ローマ字読みをしたな」と思った。彼女らは学校で“O”は「オ」と読むとしか教えられていなかっただろうし、学校年齢前から親しんでいた「ローマ字読み」をしているのだから、彼女らには罪はないと解釈した。

同様な例に“holiday”がある。これは我が国では躊躇うことなく「ホリデイ」とカタカナ表記され、且つ発音されている。だが、ジーニアスでもOxfordでも「ハラディ」であり、USA式では「ハーラディ」に近い記号が出ている。話しを“follow”に戻せば「ファロー」と「ファーロー」である。細かい揚げ足をとるなと言いたい向きもあるだろうが、私にはそのような見方をせずに「何でこのようなおかしなカタカナ表記をしたのか」と、寧ろ腹立たしいのである。ズバリと言えば「嘘の発音を教えるな」なのだ。

私自身でこの疑問に答えれば「一般に我が国の学校で英語を教えておられる先生方は、特に“O”は「オ」と読めて教えているだけのことで、何も知らない生徒たちは素直に従っているだけのこと」となるのだ。念のために付け加えておけば、“follow”を「フォロー」と言おうと「ファロー」と発音しようと、恐らく我が同胞たちが気にしていると思う「外国人に通じるのか」という点では問題なく分かって貰えるとは思う。その点では“holiday”を「ホリデー」と発音しても、大方のアメリカ人は解ってくれると思う。

自説を曲げるかの如きことを言えば「実際には「フォロー」でも「ファーロー」でどちらでも良いのであり、自分が思う事と表現したい内容を、やさしい単語を使って文法的に正確に表現出来る力を養う事こそが肝心だ」なのである。だが、私の持論では「発音が綺麗で正確である事は七難隠す」のである。ここでは「アクセントも正確であるべきだ」という要素も含まれている。

学校教育の問題点:
私の主張は「本当の英語にはない遣い方をするおかしなカタカナ語を製造して、遍く普及させるのは悪い事であり、英語力の向上の妨げになる」と「学校教育では言葉の遣い方と発音が正しいのか正しくない点も問題であるが、アメリカ式と英連邦との発音と綴りの違いくらいは常識としてを教えて置くべきだ」である。

更に言えば、私が問題にしたい事は、我が国では未だに「『アメリカ語は下品』で『クイーンズ・イングリッシュこそが上品で正調である』と思い込んでいるんでいる、官庁も一般人も多いのではないか」である。例を挙げてみると、目下新型コロナウイルス制圧の第一線にあって奮闘しておられる「厚生労働省」の英語表記で「労働」が“Labour”となっているのだ。このUK式の綴りは「ワード」では受け入れて貰えないのだ。

即ち、アメリカ語では“labor”となっている。「中心」は“center”だと思っておられる方は多いと思うが、UK式では“centre”なのである。近頃発見した興味ある例に、私が忌み嫌うジャニーズのガキどもの集団に“ABC→Z”というのがあると知った。その発音では“Z”を「ズイ」としているのだ。これはアメリカ式であり、我が国の学校教育では「ゼッド」または「ゼット」となっている。正しくは「ゼッド」であって、UK式だ。だから「マジンガーゼット」と聞こえる歌があるのだ。あれは“Z”なのだから、UK式だ。

私は学校教育では何処かの時点で「アメリカ式と英連邦式の間には綴りも発音も明らかな違いがある」とキチンと教えておくべきだと信じている。戦後70年以上を経て、アメリカに安全保障条約で守られている我が国が、事もあろうにUK式の綴りを霞ヶ関の中央官庁が使っているのは、アメリカに失礼ではないだろうか。もしも、トランプ様の目に止まれば、激しくお怒りになるのではないかな。


習近平の邪な野望は何時果てるのか

2020-05-29 09:55:12 | コラム
習近平は本気で世界制覇を企図しているのか:

嘗て、ウエアーハウザー本社の我が事業部に、州立大学のMBAの若手の精鋭がいた。彼は有能だったが、何をするのにも「我が道を行く」という仕事ぶりで、周囲との協調精神は極めて気迫だった。その仕事ぶりを渾名を付ける名手の女性も“Nothing interferes his schedule.”(「何者も彼の予定を遮る事は出来ない」とでも訳そうか)としか形容できずに、遂に渾名を付け得なかった。彼は結果として副社長の緊急の命令を聞かず、取りかかっていた課題を優先して問題を起こしたので、“You are fired.”となって去って行った。

何でこのような事を持ちだしたかと言えば、中国ではこの度の全人代で習近平は香港に適用する「国家安全法」を圧倒的な賛成多数で通してしまった有様を見て、私は「習近平の行く手を遮る何物もない」と改めて痛感した。それだけではなく、彼は一旦は香港の民主化勢力の鎮圧に失敗して赤恥をかき、トランプ大統領にも真っ向から批判される我慢ならない状態にあったと思う。だが、最早、天安門のような手法には出られない以上、如何なる手段で香港の制圧に出ていくのかと危惧していた。要するに、彼にとっては香港は許しがたい存在となっていたと思う。

専門家もマスコミも「次なる目標は台湾だ」などと言っている。私は習近平の横暴な野望はそんなちゃちなところで終わるとは到底考えられないのだ。現に「アメリカに太平洋を分け合って統治しよう」と持ちかけた実績があったではないか。私は何度も河添恵子さんが「中国は我が国を属国化する気だ」と言われた事を引用してきた。だが、習近平の計画はそこまでで終わると思ったら、誤りだとすら見ている。敢えて再度引用すれば、“Nothing interferes Xi’s schedule.”だと本気で憂いている。

であれば、この先に期待できる事は、トランプ大統領が「遠からぬ将来に発表する」と宣言されたアメリカの対中国というか「国家安全法」に対する措置である。私はよしんばトランプ大統領の対抗策が非常に厳しいものではなかったとしても、アメリカは習近平の邪な野望を許さない方向に動く事を予想するし、希望的にもそうあって欲しいと願っている。矢張り、今回も何時だったか専門家が言われた「トランプ大統領に再選を望んでいないのが習近平、望んでいるのが金正恩」というのを思い出した。何処かで習近平を“interfere”せねばなるまいと思う。では「誰が?」だ。



5月28日 その2 我が国では何故感染者も死者も少ないのか

2020-05-28 15:50:21 | コラム
アメリカやEU圏内とウイルスの質が異なるのでは:

私は以前に「アメリカとヨーロッパで猛威を振るっている新型コロナウイルスは、既に彼の地では変異しているのではないか」との感想を述べたことがあった。また、武漢(中国)型やアメリカ型、という具合に時を経るに伴って、強力なウイルスになって行ったという説も聞いた記憶もある。何れにせよ、フォーリンポリシー誌が指摘したと聞く「妙な制圧策の成功」が我が国にはあったのかも知れない。私は今日ここまで抑え切れていることは非常に有り難い事であり、感謝すべきだと思っている。だが、その感謝の対象が専門家会議かどうかは、遺憾ながら不明である。

例によって何処のテレビ局だったか記憶していないが、専門家という方が「アメリカであれほど感染者も死者も多いのは、少数民族というか不法移民を含めた無保険の下位層の存在が」という意味の事を指摘していた。これは、多少アメリカの実情を知る者としては「大いにあり得る事だな」と感じて聞いていた。それはそれで良いとして、我が国では清潔好きな民族であり、専門家会議なるものが言うように手洗い、マスク着用、うがい、消毒、素直に自粛要請に従うとの国民性等々だけで、ウイルスの感染を防ぎきって、死者を最小限に抑えられるのかという疑問は残るようだ。

マスコミは何かと言えば「医療崩壊」の危機を騒ぎ立てるが、私は事態は未だそこまでの事にはなっていないと思っている。そんな事よりも、私は「我が国の医療の質の高さ」をこそ認めて誇るべきだと思う。それに国民皆保険制の有難味を再認識しても良いと思っている。それだけではない。多少なりともアメリカの医療の異質さを経験した者としては、我が国のお医者様たちの高度な技術というか「質」を認識すべきだと思っている。「またアメリカを持ち出すか」と言いたい向きは、ご自身でアメリカに行って、自分の言葉で医者に訴えて診て貰えば良い。

最後に言っておきたい事は、これも何時何処で聞いたかも記憶がないが、矢張りテレビに登場された専門家が「我が国で感染している人たちの半数近くを外国人が占めている。だが、何故か我が国の中ではこのことを公にしてはならないようなのだ」と控え目に語っておられた。ここ新宿区百人町に住んでいる者としては「なるほど、そういう事は大いにあり得るだろうな」と思わずにはいられなかった。既に何度も指摘したが、この界隈を我が物顔で歩き回っている彼等が「緊急事態宣言」を承知しているかも疑問だし、我々ほどの清潔感を持ち合わせているかという話だ。

現に新宿の感染者数は世田谷区に次いで2位の座を確保している。まさか政府は何千万人だったかの外国人観光客の誘致に励んだ結果が、多くの外国人の感染者を発生させたのだとは認めたくないのではなかろうな。それでも、区内に住民登録がある外国人は中国人を最多として4万人で、区全体の感染者は400名強であるから、比率は1%に過ぎない。その内訳が知りたいものだ。


病院、医院、クリニックの経営難

2020-05-28 10:32:04 | コラム
苦境に立たされているかとは想像していたが:

昨27日のTBSの「報道1930」の「緊急事態宣言の解除でも病院に迫る6月危機」は、私から見れば好企画だった。それは、今月は22日に東京山手メデイカルセンター、25と26日には国立国際医療研究センター病院に通ったので、この大病院の中が如何に閑散としているかを目の当たりにしてきたので「こんな状態で良いのかな」くらいのことは考えていた。また、何処のテレビで観たかは記憶もないが、所謂専門家の方が「現在までの所では経営状態が芳しくない病院がかなり多くある」と指摘したのが印象に残っていた。

実際に25日には国立の採血室では私が取った番号は、既に採血が終わっているようになっているほど、患者が少なかった。26日は会計が閑散としていて会計票を提出すると「自動支払機で準備が出来ていますから」と言われて、待ち時間がなしで支払いが終わってしまったほど来院者が少なかった。流石に勘が鈍い私ですら「これはただ事ではないのかも」と痛感させられた。平時ならば自動支払機の順番待ちには20~30分を要するこの病院でこの状態では、他の病院はどうかと思いやられた。

報道1930での解説を聞いていると、正確に記憶していないが病院経営協会だったかの会長の井口氏は「コロナウイルスの患者を受け入れた病院も、受け入れていない病院も来院する患者が激減して4月から赤字経営となり、5月も同様な状況なので、このままに推移すれば6月には本格的な経営の危機が襲ってくる危険性が高い」と述べておられた。この経営の問題は何も大病院だけのことではなく、リモート出演された個人の開業医の先生も「患者は60%ほどの減少だし、アルコールの在庫も後何日分かしかないというような経営は危険水域」と慨嘆しておられた。

私は既に採り上げたことだが、32年間の掛かりつけのクリニックでは女性の医療事務員3名と看護師さん1人が「いつ何時ウイルスに感染した患者さんが来るかも知れない危険性」を理由に4月上旬で一斉に退職され、S医師が一人で大奮闘というか大苦戦で一人で切り回しておられる。この事態が示すことは、大病院であれ開業の医師のクリニックであれ、一般の人には「病院等は新型コロナウイルスがそこいら中に飛び交っている危険な場所とでも思い込まれていること」だと思う。私にはこのクリニックも大病院も恙無く診療を続けて頂きたいと心から願うものだ。

ところで、総額118兆円だったかの第2次補正予算を見ると、医療従事者に20万円を支給するとあった。この予算そのものは結構だと思う。だが、これだけでは焦眉の急となってきつつある病院の経営の危機の救済策にはならないと思う。以前にも専門家会議には属しておられないお医者様が病院と個人の開業医の先生方の経営悪化問題を採り上げて「第1次の補正予算の中のような少額ではなくもっと思い切った救済策を講じて貰わないことには医療は崩壊してしまうかも」と痛烈に訴えておられた。

私には2次補正の細目など解らないが、安倍内閣が新型コロナウイルスを世界が不思議がるほど見事に抑え切れたのが医療従事者の功績であると称えられるのであれば、財務省が何と言おうと医療機関の赤字補填のみならず、マスクは兎も角必需品の医療器具やアルコール等を診察や手術が遅滞することがないように生産させるか、中国からでも何処からでも手配して、お医者様たちが危機を訴えることなどないように気配りをすべきではないのか。大蔵省出身の加藤勝信厚労相には、それくらいの手当てをしてもバチは当たらないと思うが、如何か。

マスメディアにしたところで、私がここでいくら喚いても、相も変わらず毎日毎晩「何処の飲み屋が解除されて喜んでいるとか、有名なレストランがお持ち帰りの営業を開始しても、宣言前の1割ほどの売り上げにしかならずに苦労している」という質の低い情緒タップリの感情論ばかりを流している。偶には松原耕二に倣って「我々が杖とも柱とも頼りにしている病院が経営難に喘いでおられるのをお救いしよう」というニュースでも流したらどうだ。クラウドファンディングでライブハウスが危機を脱したなどと、嬉しそうに報道するなという意味だ。見ている方向が違うだろう。


5月27日 その2 外国人との意見交換に使える英語の表現

2020-05-27 09:17:22 | コラム
外国人との対話では「慣れと度胸」の他に何が必要か:

去る23日に「IOC如きに対して恐れずに発言すべし」と主張したので、外国人と英語で意見を交換し議論をする際に必要だと思うことに触れておこうと思うに至った。勿論、ある程度と言うか、それ以上の英語力は必要だが、ただ単にペラペラとしゃべれるだけでは本当の意見交換にはならないし、腹蔵なき議論は展開できないと思う。経験上も更に要求されることは、度胸とも慣れとも違う「何ものをも恐れずに言うべき事を堂々と真正面から言いきること」だと思っている。要点は「恐れずに」であって、実際に経験して見れば、腹蔵なく主張することは、馴れるまでは怖かった。

「そんなことが怖いのか」と言われそうだが、相手がどのように反応するかも言う前に考えておかねばならないのだが、「このような相手が嫌がりそうであり、怒るかも知れないこと」を言い出すのは怖かった。私の場合はそういう発言の通訳をしている場面も多かったが、通訳を通して言う方の方は通訳がどのような外国語(英語でも良いだろう)にしていたのかが解っておられない場合が多いのだから、私が言う恐怖感の如きものを味わっておられるのではないかと察していた。このような経験を積んでこそ、初めてカタカナ語で言う「タフネゴシエーター」になれるのだと思っている。

こで、思いつくままに易しい言葉を使った意見交換等に使える簡単な例文を幾つか挙げておこう。こういう場合でも難しい言葉や文語的な表現は不要だと認識して頂きたいのだ。例に挙げては失礼かも知れないが、安倍総理の通訳を務めておられるT氏はかなり文語的な言葉というか表現を多用されていると思って聞いている。思うに、一国の総理大臣がユーモア溢れる語り方をするべきではないと生真面目に考えておられるのかと勝手に推察している。

“What do you mean by saying so?”
解説)「そのように言うことで何を意味するのですか」という意味で使えると思っている。“by”から後に色々な表現を入れれば、更に変化が付けられるとも考えている。例えば“What do you mean by making a reference to your last visit with Japan?”としたら、「貴方の前回の日本訪問を持ち出す意味は何ですか」とでもなるだろうか。

“Are you serious?”
解説)「貴方は本当にやる気なのですか」とでもなるだろう。勿論「本気で言っているのですか」ともなる。要点は“serious”の発音は「シアリアス」であってカタカナ語に成り果ててしまった「シリアス」ではないことか。

“Do you really mean it?”
解説)「その気で言っているのか」、「そういう意味で言っているのか」と、やや疑わしいと思って確認している言い方。

He says what he means.”
解説)「奴はその気で言っている」か「彼が言っていることはそのまま理解すべきだ」か「彼が言っていることは本当だ」となる。英語の単語だけ見たのでは意味が取りにくい言い方だ。

“His comments are always full of implications.”
解説)「彼が言うことは何時でも意味深で(どう解釈すればと迷う)」となると思う。揚げ足を取られたくないとか、言質を与えたくない人は往々にして意味深な表現を使うものだと言うこと。“implication”は一寸難しい単語のようだが、元は“imply”という動詞で「・・・であることを暗に意味する、含意、含蓄する」とジーニアス英和に出ている。

“We exchanged our views and opinions regarding Japan/China relations without any reserve.”
解説)「我々は日本と中国の関係について腹蔵なき見解と意見を交換した」と直訳的な日本語にしてみた。ここでの要点は“without any reserve”で「腹蔵なき」を表現してみたことだ。外国人相手に腹蔵ある言い方では、中々理解させられないし、論戦に勝てないと思っていて頂きたい。彼等は「剥き出し」的な物の言い方で迫ってくると思っていて頂きたい。