一月半ほど前に、Twitterで二件ほど、
自分のドッペルゲンガーの話をきかされたというTweetを
してらっしゃる方を見かけました。
それで、そういや、僕にも出たことがあったなぁと
軽く思い起こしたりしました。
ドッペルゲンガーというのは、よくわからないものではありますが、
もう一人の自分が勝手に独り歩きしている状態とでも言えるでしょうか。
友達に「昨日、○○の映画館にいたところを見かけたよ」と言われても、
その日は仕事をしていた、だとか、そういう例があげられますね。
そして、自分のドッペルゲンガーを見た人は死んでしまうという
伝説まであるそうです。かの、芥川龍之介は自分のドッペルゲンガーを
見たんだか、出たのを知らされたんだかしたっていうのを
何かで読んだことがあります。
Wikipediaで調べてみると、
「芥川は自分のドッペルゲンガーを見ていたのではなかろうか」
という推測にすぎないようですね、真相はわかりません。
それで、僕の場合は、11年前だったでしょうか、大学3年の頃です。
ゼミが始まる前の教室で、あまり喋ったことのない、仲良し3人組が僕を捕まえて、
「この間、狸小路のパチンコ屋でスロット打ってたの見たよ、
声をかけようかどうか迷ったんだよね、勝った?」と、
こともなげに尋ねてきました。
まるでからかっている素振りもせずに、知りたいのは勝敗だという目をしていました。
「いや、スロットやってないけど」と答えると、
彼らは、なんでしらばっくれるんだという怪訝そうな顔つきになって、
「えー!打ってたじゃん」と文句をぶつけてきました。
この疑惑を断ち切るために、「パチンコ、パチスロの類はしないんだ」と言って
はっきりと振り払ってしまたかったのですが、
いかんせん、その頃、とある人に連れられて、打ちたくもないパチンコに
付き合わされたことが何度もあったもので、そう言い切ることができず、
歯切れの悪い反応を返すことになってしまいました。
結局、なんで僕がしらばっくれるんだろう、という空気感を3人に作られて
ゼミがスタートすることになります。多勢に無勢ですからね。
おまけに、隣の席の友達にまで、「え、なに、スロット打ってたの」などと
訊かれる始末。
あー、めんどくさい。
あー、めんどくさいよ、ドッペルゲンガー。
醒めた言い方をさせてもらえば、
それだけ、自分に似た人ってのはいるものなんだよ、ってことなのかな。
自分に似ている人は、世の中に10人はいる、なんて言われてませんでしたっけ。
こう、ドッペルゲンガーを否定するときって、
否定された側の人は、なんか酷い裏切りを受けたみたいな態度をとりませんか、
そんなはずはないのに、しらばっくれられた!みたいな気持ちになっている
ように見受けられる。
それほど、間違いないと思われるような間違われ方をされているのですね。
こういうのって、晴天の霹靂ですよね。
ドッペルゲンガーに限らず、似たようなことがあります。
誤解されるのは気持ち悪い。
でも、まぁ、ゆるりとかわせるくらいの余裕は持っていたいです。
冤罪は誤解の一つだったりしますか、ちょっと程度が違いますか。
その場合は、断固、真実を訴えたいですね。
願わくば、ドッペルゲンガーが悪さをしませんように。
めんどくさすぎる。
自分のドッペルゲンガーの話をきかされたというTweetを
してらっしゃる方を見かけました。
それで、そういや、僕にも出たことがあったなぁと
軽く思い起こしたりしました。
ドッペルゲンガーというのは、よくわからないものではありますが、
もう一人の自分が勝手に独り歩きしている状態とでも言えるでしょうか。
友達に「昨日、○○の映画館にいたところを見かけたよ」と言われても、
その日は仕事をしていた、だとか、そういう例があげられますね。
そして、自分のドッペルゲンガーを見た人は死んでしまうという
伝説まであるそうです。かの、芥川龍之介は自分のドッペルゲンガーを
見たんだか、出たのを知らされたんだかしたっていうのを
何かで読んだことがあります。
Wikipediaで調べてみると、
「芥川は自分のドッペルゲンガーを見ていたのではなかろうか」
という推測にすぎないようですね、真相はわかりません。
それで、僕の場合は、11年前だったでしょうか、大学3年の頃です。
ゼミが始まる前の教室で、あまり喋ったことのない、仲良し3人組が僕を捕まえて、
「この間、狸小路のパチンコ屋でスロット打ってたの見たよ、
声をかけようかどうか迷ったんだよね、勝った?」と、
こともなげに尋ねてきました。
まるでからかっている素振りもせずに、知りたいのは勝敗だという目をしていました。
「いや、スロットやってないけど」と答えると、
彼らは、なんでしらばっくれるんだという怪訝そうな顔つきになって、
「えー!打ってたじゃん」と文句をぶつけてきました。
この疑惑を断ち切るために、「パチンコ、パチスロの類はしないんだ」と言って
はっきりと振り払ってしまたかったのですが、
いかんせん、その頃、とある人に連れられて、打ちたくもないパチンコに
付き合わされたことが何度もあったもので、そう言い切ることができず、
歯切れの悪い反応を返すことになってしまいました。
結局、なんで僕がしらばっくれるんだろう、という空気感を3人に作られて
ゼミがスタートすることになります。多勢に無勢ですからね。
おまけに、隣の席の友達にまで、「え、なに、スロット打ってたの」などと
訊かれる始末。
あー、めんどくさい。
あー、めんどくさいよ、ドッペルゲンガー。
醒めた言い方をさせてもらえば、
それだけ、自分に似た人ってのはいるものなんだよ、ってことなのかな。
自分に似ている人は、世の中に10人はいる、なんて言われてませんでしたっけ。
こう、ドッペルゲンガーを否定するときって、
否定された側の人は、なんか酷い裏切りを受けたみたいな態度をとりませんか、
そんなはずはないのに、しらばっくれられた!みたいな気持ちになっている
ように見受けられる。
それほど、間違いないと思われるような間違われ方をされているのですね。
こういうのって、晴天の霹靂ですよね。
ドッペルゲンガーに限らず、似たようなことがあります。
誤解されるのは気持ち悪い。
でも、まぁ、ゆるりとかわせるくらいの余裕は持っていたいです。
冤罪は誤解の一つだったりしますか、ちょっと程度が違いますか。
その場合は、断固、真実を訴えたいですね。
願わくば、ドッペルゲンガーが悪さをしませんように。
めんどくさすぎる。