Fish On The Boat

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『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』

2020-08-22 01:30:45 | 読書。
読書。
『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』 山極寿一
を読んだ。

争いや暴力を生む原因に、食物と性がある、と。
本書は、霊長類の争いと共存の有りようを、
とくに食と性の視点から見ていくことに
ほとんどの紙幅を費やしています。
そうして、そこからうまく人類の暴力性の源やそれを回避する仕方の、
他の霊長類と共通する根源的なところと人類が独自に生みだしたところを確認しつつ、
そのうえで自然と浮かびあがっていくものを掬いあげよう
というような態度の本かなと思いました。

はっきりとした強い結論や声高な主張はでてきません。
対象を粘り強く観察し考えていく研究者のスタンスそのままに、
結論を早急に求めず、
わかっている範囲で、無理のない論を書いてくれています。

まず最初の章では、
人類が狩猟をするようになって武器を使うようになり、
その武器の使用によって暴力性が拡張されていったとする
20世紀に起こった理論が出されて、
なおかつそれが反駁され否定されていった流れを紹介し、説明しています。

そして、次の章から、
霊長類における食と性の葛藤とその解消法について、
それぞれの種でみていくのでした。
そこでわかるのは、霊長類とひとくくりにできないほど、
種類によってぜんぜん違うことがわかります。
複雄複雌、単雄複雌という違いもあるし、
それらのなかでも社会性に違いがある。
厳格な優位劣位によって社会がつくられているニホンザルがあり、
それほど厳格ではない優位劣位で社会がつくられ、
性的なコミュニケーションを盛んにおこなうことによって
秩序を守っているボノボがいる。
様々なんです。
その様々ななかに、人間にもこういう人がいるよなぁと思い当たる例が出てきます。

霊長類のさまざまな種類の動物たちは、
それぞれの群れにおいてそれぞれ独自のシステムの範囲で生きていて、
対立を回避するやり方もそれぞれ独自に持っています。
人間はそれらのやり方の「すべてが混じり合ってる感」がしました。
あいつはゴリラタイプの回避をする、
あいつはチンパンジー、
あいつはニホンザル、みたいな感じです。

だからといって、類人猿などの霊長類の社会でのふるまいをすべて、
バリエーションとして内包しているだけではなくて、
人類は人類で、独自の社会のスタイルを持ち、
独自の食や性における葛藤の回避方法をとってきたことが、
本書の最後の方でわかることになります。

それと、本筋から外れますが、
霊長類の食事情、果実食か昆虫食か葉食かなどによって食物の分布傾向が違うので
それが群れの有り方や社会のあり方に大きく影響することがわかるのです。
さらに、雌の発情期間の有無や、
子殺しをする種であればその意味を探ることでわかる、
雌の雄との力関係やポジション。
それ以外のいろいろな要素や条件も組み合わさって、
群れの社会システムがどうなるかが決まっていきます。
本書を読んでいてはっとするのは、
そういう社会システムの均衡が崩れると、構造そのものから変わるものだということです。
だから、人間社会でも、女性の地位があがっていけば、
それが社会の構造変化にも繋がるだろうことがわかります。
男性の精神性にも根底から大きな変革を迫り、
強く意識的にならずとも、
たぶん自然な流れでいままでのノーマルがくつがえっていくことになります。

とまあ、本書の深みにまるで迫れない感想になってしまっています。
群れの同質性、雌の囲い方によるそれぞれの群れの安定性、
インセストタブー、モースの贈与論にもふれて、
なかなか多岐にわたる粘り強い論考になっています。
ただ、最初に書いたように、結論は薄くて、
さながら研究の成果を味わうような読み心地でした。
それはそれで、読者の思索へアシストする種類の本であって、
「自らゴールを蹴り込むから見ていてくれたまえ」的な性格ではなかったです。

最後になりますが、
モースの贈与論的な感謝やぬくもりを、なんと切り捨ててしまうタイプのやり方が、
たとえばブッシュマンなどの狩猟民族の生活からうまく機能しているのがわかるのです。
僕は贈与論的なありかたに、
現代人の行き詰まり解消のためのものとしてちょっと希望を抱いていたので、これは驚きでした。

ハンターが獲物をとってきても控えめにして自慢することもせず、
周囲だって「獲物が小さい」など苦情を述べあいながら獲物を分かち合うそうなのですが、
これは贈与されることによる心理的負債を回避することで、
社会を保つやりたかだということなのでした。
これはこれで、わかるなあというやり方です。
ただ、孤独が強まり、かつ個人性が希薄になり、
個人の手の届く範囲が広まった現代において、
その心理的負債を回避するやり方がそのままプラスにだけ作用しないとも僕には考えられて、
そこは心理的負債を抱え込みすぎない程度に、
贈与的なあたたかみを共有できるありかたってないかどうか、
今一度、探ってみないとなと思いました。


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