読書。
『言語学の教室』 西村義樹 野矢茂樹
を読んだ。
認知言語学という学問の先生である西村さんが、
哲学者の野矢さんを生徒役に迎えて対談する形式の本です。
本書の中盤にはいるくらいの話になるけれど、
言葉でカテゴライズするときにプロトタイプがあって、
それに拠ってカテゴリー分けしているという。
プロトタイプというものにプラトンのイデア論が思い浮かびました。
似てるかな、と。
ぼくは、言語の成り立ちや構造にも興味があるけれど、
言語化の前段階の意味だけの状態にもっとも興味があるみたいなんです。
学生のときから、言葉の源泉のどろどろしたものとして興味を持っている。
独創性に絡めてね。つまり、独創性はそのどろどろの内容によるというわけです。
認知言語学は、
けっこう文学的な言葉の使い方についてあれこれ考えている人には面白いんじゃないか。
レトリックだとか、同じ真理を表現していても、
言葉の並べ方で意味が違ってくるんだ、って思える人は認知言語学向きです。
日本人の使役文でもってする「~~させてしまった」みたいな言い方のうちには、
責任を持ちすぎなのが多いようです。
また、たとえば、借りたウォークマンなんかが壊れたときに、
「壊してしまった」といって謝るのが日本人で、
「壊れたわ」とただ報告して返すのがアメリカ人
という違いがあるというようなことも書いてありました。
日本人ってのは、責任を感じて謝る国民性なんだなあ。
また、「壊れたよ」と言って返されるとムッとするのが日本人だ、とも。
勝手に壊れてもそこに責任を見るのだなあ。
言われてみると、そういう思考の中にいるとわかったりする。
なかなか気づけない。
なんでも自分のせいにするっていうのは日本人のメンタリティとしてあるようだ、
って言語学から見えてくるんだけれど、
なんでもかでも他人のせいにするメンタリティの人もいるわけです。
自分のせいにするにも他人のせいにするにも
「責任」ってものを重く重ーくとらえているのが共通しているのかな。
初めて知ったものとしては、メトミニー(換喩)がありました。
赤い頭巾をつけた女の子を、「赤ずきん」と呼んだり、
メガネをつけた男の子を、「メガネ」と呼んだり、
「村上春樹を読んでいる」という言い方で、
村上春樹さんの作品を読んでいる意味になることだとか、
そういう種類の、言葉の使い方については、
そっか、そういうグループの言葉だったのかと初めてカテゴライズして認識しました。
全編とおして、ちょっと難しいのですが興味が勝れば読み通せます。
言葉自体に興味がある人はきっとエキサイティングな読書になりますよ。
『言語学の教室』 西村義樹 野矢茂樹
を読んだ。
認知言語学という学問の先生である西村さんが、
哲学者の野矢さんを生徒役に迎えて対談する形式の本です。
本書の中盤にはいるくらいの話になるけれど、
言葉でカテゴライズするときにプロトタイプがあって、
それに拠ってカテゴリー分けしているという。
プロトタイプというものにプラトンのイデア論が思い浮かびました。
似てるかな、と。
ぼくは、言語の成り立ちや構造にも興味があるけれど、
言語化の前段階の意味だけの状態にもっとも興味があるみたいなんです。
学生のときから、言葉の源泉のどろどろしたものとして興味を持っている。
独創性に絡めてね。つまり、独創性はそのどろどろの内容によるというわけです。
認知言語学は、
けっこう文学的な言葉の使い方についてあれこれ考えている人には面白いんじゃないか。
レトリックだとか、同じ真理を表現していても、
言葉の並べ方で意味が違ってくるんだ、って思える人は認知言語学向きです。
日本人の使役文でもってする「~~させてしまった」みたいな言い方のうちには、
責任を持ちすぎなのが多いようです。
また、たとえば、借りたウォークマンなんかが壊れたときに、
「壊してしまった」といって謝るのが日本人で、
「壊れたわ」とただ報告して返すのがアメリカ人
という違いがあるというようなことも書いてありました。
日本人ってのは、責任を感じて謝る国民性なんだなあ。
また、「壊れたよ」と言って返されるとムッとするのが日本人だ、とも。
勝手に壊れてもそこに責任を見るのだなあ。
言われてみると、そういう思考の中にいるとわかったりする。
なかなか気づけない。
なんでも自分のせいにするっていうのは日本人のメンタリティとしてあるようだ、
って言語学から見えてくるんだけれど、
なんでもかでも他人のせいにするメンタリティの人もいるわけです。
自分のせいにするにも他人のせいにするにも
「責任」ってものを重く重ーくとらえているのが共通しているのかな。
初めて知ったものとしては、メトミニー(換喩)がありました。
赤い頭巾をつけた女の子を、「赤ずきん」と呼んだり、
メガネをつけた男の子を、「メガネ」と呼んだり、
「村上春樹を読んでいる」という言い方で、
村上春樹さんの作品を読んでいる意味になることだとか、
そういう種類の、言葉の使い方については、
そっか、そういうグループの言葉だったのかと初めてカテゴライズして認識しました。
全編とおして、ちょっと難しいのですが興味が勝れば読み通せます。
言葉自体に興味がある人はきっとエキサイティングな読書になりますよ。
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