読書。
『鏡の国のアリス』 ルイス・キャロル 高杉一郎訳
を読んだ。
アリス二作品の二作目にあたるのが、この『鏡の国のアリス』です。
このあいだ、一作目の『ふしぎの国のアリス』を読みましたし、
何故、いま『アリス』を読んでいるかというと、
現在上映中の映画、ティム・バートン監督の最新作
『アリス・イン・ワンダーランド』を観るための、
出来うる限りの準備なんでした。
『アリス・イン・ワンダーランド』は
『ふしぎの国』と『鏡の国』のどっちにもまたがった続編という
位置づけの作品らしいのです。公式WebSiteを見てみても、
『ふしぎの国』にでてこなかったキャラクターが
登場しているので、こりゃ、『鏡の国』を読まねば、と
急いで取り寄せて読んでみました。
大体、このティム・バートン版の映画はディズニーの配給
ですが、昔作られたディズニーアニメ版の『ふしぎに国のアリス』が
そもそも、原作のアリス二作品のどちらをも元にして作ったものらしいんです。
でも、僕はこのアニメを見たことが無いので、どのくらい
『鏡の国』のテイストが生かされているのかわかりません。
『アリス・イン・ワンダーランド』を観るならば、
このディズニー版アニメをしっかり鑑賞しておくのが、
もっとも適切な準備なのかもしれないですねぇ。
まぁ、そこんとこはしょうがない。
それで、ここからが本の感想になります。
最後の解説にも書かれていましたが、『ふしぎの国』よりも
作りこまれた世界という感じがしました。
論理的にどうこうというのではなくて、
まず、出てくるキャラクターたちが、チェスの駒だったにしても、
統一感があり、マザーグース由来のキャラたちなども、
違和感なくアリスとやりとりしている様などから、
作者は考えているなぁという印象を受けます。
即興的に書かれたものならば、キャラはもっと浅薄なものになるでしょう。
発想勝負で、長い記述には耐えられないものになると思われるのですが、
そこは破綻せずにキャラたちは自分たちの役割を全うします。
注釈にもでてきますが、論理学のパロディみたいなのがでてきたり、
そういうところにも、即興ではないがゆえの、
物語へのエッセンスの盛り付けができている感じがするんですよね。
そして圧巻なのが、詩です。
文章は読んでいて真似できそうな気がしますが
(そういう人は多いと思いますが、やってみると出来なかったりするんですよね)、
その物語の中枢を担う、数編の詩が、
全然素人っぽくないんですよね。それに堅くもない。
そのへん、やっぱ、ルイス・キャロルという人はセンスがある人だったんだなぁと
思わせられたりします。また、英語の原文を読める人ならば、
韻を踏んでいるとか、いろいろ遊びの部分までわかるでしょう。
遊びの部分は、詩にとどまらず、物語中の会話でも、
意味の取り違えの面白さなどを、それこそ英語をわかる人ならば
くすくすと笑ってしまうであろう技巧が盛り込まれています。
しかし、そこがまた!
それゆえに、『ふしぎの国』よりも、
アリスのキャラが立っていないようにも読めました。
まぁ、まだ一度しか読んでいませんから、二度読んだ『ふしぎの国』
よりも印象が薄いという可能性もあります。
それでも、『ふしぎの国』の場合だと、世界はキテレツで稚拙なもので、
そこをアリスは、まともさと賢さでくぐりぬけて、世界に
負けない自分っていうものを発揮しました。
今回の『鏡の国』の場合だと、最後まで、
どこか『鏡の国』のお客さんといったふるまい、動き方、考え方に
見えてしまいます。『鏡の国』の世界とは深いところでは交わらない
アリスというのが見えてきます。
クイーンになりたい、というアリスですが、それも、
まるで夏季休暇に田舎へバカンスへ来た都会の女の子よろしく、
『鏡の国』にひと時の楽しみを求めに来たにすぎない姿っていうのが
読めてくるわけです。
それは、『ふしぎの国』を経験しているアリスだから、
心の底からは鏡の国に動じないだろうっていう、
読者の構え方があるのかもしれないですし、
実際、アリスは、翻弄される場面はあっても、
どこか冷静な部分を持っていて、
すっと我に返って気持ちを立て直すことができているのが
読めるからなのかもしれません。
というか、単に、ふしぎの国よりも手に負えないのが
鏡の国だから、アリスがそういう風に見えるのかもしれませんね。
そうはいうものの、30過ぎのオトコが読んでも
面白いことは面白い。
中3くらいから楽しめるような気がしますが、
今回読んだ「講談社青い鳥文庫」によると、小学校上級生から
となっていました。「英語でこうなっているから」という
解説はよくわからないと思うんだけどなぁ。
やっぱり、僕は中3から対象、を推していきます。
『鏡の国のアリス』 ルイス・キャロル 高杉一郎訳
を読んだ。
アリス二作品の二作目にあたるのが、この『鏡の国のアリス』です。
このあいだ、一作目の『ふしぎの国のアリス』を読みましたし、
何故、いま『アリス』を読んでいるかというと、
現在上映中の映画、ティム・バートン監督の最新作
『アリス・イン・ワンダーランド』を観るための、
出来うる限りの準備なんでした。
『アリス・イン・ワンダーランド』は
『ふしぎの国』と『鏡の国』のどっちにもまたがった続編という
位置づけの作品らしいのです。公式WebSiteを見てみても、
『ふしぎの国』にでてこなかったキャラクターが
登場しているので、こりゃ、『鏡の国』を読まねば、と
急いで取り寄せて読んでみました。
大体、このティム・バートン版の映画はディズニーの配給
ですが、昔作られたディズニーアニメ版の『ふしぎに国のアリス』が
そもそも、原作のアリス二作品のどちらをも元にして作ったものらしいんです。
でも、僕はこのアニメを見たことが無いので、どのくらい
『鏡の国』のテイストが生かされているのかわかりません。
『アリス・イン・ワンダーランド』を観るならば、
このディズニー版アニメをしっかり鑑賞しておくのが、
もっとも適切な準備なのかもしれないですねぇ。
まぁ、そこんとこはしょうがない。
それで、ここからが本の感想になります。
最後の解説にも書かれていましたが、『ふしぎの国』よりも
作りこまれた世界という感じがしました。
論理的にどうこうというのではなくて、
まず、出てくるキャラクターたちが、チェスの駒だったにしても、
統一感があり、マザーグース由来のキャラたちなども、
違和感なくアリスとやりとりしている様などから、
作者は考えているなぁという印象を受けます。
即興的に書かれたものならば、キャラはもっと浅薄なものになるでしょう。
発想勝負で、長い記述には耐えられないものになると思われるのですが、
そこは破綻せずにキャラたちは自分たちの役割を全うします。
注釈にもでてきますが、論理学のパロディみたいなのがでてきたり、
そういうところにも、即興ではないがゆえの、
物語へのエッセンスの盛り付けができている感じがするんですよね。
そして圧巻なのが、詩です。
文章は読んでいて真似できそうな気がしますが
(そういう人は多いと思いますが、やってみると出来なかったりするんですよね)、
その物語の中枢を担う、数編の詩が、
全然素人っぽくないんですよね。それに堅くもない。
そのへん、やっぱ、ルイス・キャロルという人はセンスがある人だったんだなぁと
思わせられたりします。また、英語の原文を読める人ならば、
韻を踏んでいるとか、いろいろ遊びの部分までわかるでしょう。
遊びの部分は、詩にとどまらず、物語中の会話でも、
意味の取り違えの面白さなどを、それこそ英語をわかる人ならば
くすくすと笑ってしまうであろう技巧が盛り込まれています。
しかし、そこがまた!
それゆえに、『ふしぎの国』よりも、
アリスのキャラが立っていないようにも読めました。
まぁ、まだ一度しか読んでいませんから、二度読んだ『ふしぎの国』
よりも印象が薄いという可能性もあります。
それでも、『ふしぎの国』の場合だと、世界はキテレツで稚拙なもので、
そこをアリスは、まともさと賢さでくぐりぬけて、世界に
負けない自分っていうものを発揮しました。
今回の『鏡の国』の場合だと、最後まで、
どこか『鏡の国』のお客さんといったふるまい、動き方、考え方に
見えてしまいます。『鏡の国』の世界とは深いところでは交わらない
アリスというのが見えてきます。
クイーンになりたい、というアリスですが、それも、
まるで夏季休暇に田舎へバカンスへ来た都会の女の子よろしく、
『鏡の国』にひと時の楽しみを求めに来たにすぎない姿っていうのが
読めてくるわけです。
それは、『ふしぎの国』を経験しているアリスだから、
心の底からは鏡の国に動じないだろうっていう、
読者の構え方があるのかもしれないですし、
実際、アリスは、翻弄される場面はあっても、
どこか冷静な部分を持っていて、
すっと我に返って気持ちを立て直すことができているのが
読めるからなのかもしれません。
というか、単に、ふしぎの国よりも手に負えないのが
鏡の国だから、アリスがそういう風に見えるのかもしれませんね。
そうはいうものの、30過ぎのオトコが読んでも
面白いことは面白い。
中3くらいから楽しめるような気がしますが、
今回読んだ「講談社青い鳥文庫」によると、小学校上級生から
となっていました。「英語でこうなっているから」という
解説はよくわからないと思うんだけどなぁ。
やっぱり、僕は中3から対象、を推していきます。
やっぱり、少しは予習して行ったほうが、物語も深く感じられそうですね。
メモメモ...
『アリス・イン・ワンダーランド』、観てきました。
やっぱりResoさんも注目されていたのですね。
ティム・バートンの作りあげた世界と、
ルイス・キャロルの空想した世界が、
がっぷりよっつに組んで良い勝負をしたなっていうような
印象を受ける世界観が繰り広げられていましたです。
とりあえず、『ふしぎの国』のおおまかなストーリーや
『ふしぎの国』と『鏡の国』のキャラクターがどういうのが
いるのかっていうのをふまえているだけでも
違うと思います。
原作とはまるっきり別物っていう映画ではありませんでした。